20150129kan

2015年1月19日、深夜、仕事から帰宅後、夫は、突然倒れました。
10日間、意識不明のまま、55歳の生涯を閉じました。
夫とは、1990年、公立中学校で知り合いました。
彼は、美術の先生、私は、音楽の先生。
彼との結婚生活は、全力で人生を駆け抜けていこうとする夫を、必死に支える毎日でした。
多方面にアンテナをはり、勉強家の夫。
大きな身体に繊細な感覚。
独特の審美眼を持つ夫が、残した3台のオートバイ。
カワサキ、GPZ250R
カワサキ、KLX650
ビモータ、YB81000
3台とも、私が乗る!
オバ

記事一覧(54)

クーポラだよりNo.54~朴葉味噌と熊谷守一とピカソ~

モクレン科の落葉樹、朴(ほお)木の葉を使ったユニークな料理があります。飛騨高山地方の郷土食、朴葉(ほおば)味噌です。朴(ほお)の木の枯れ葉にネギや生姜などの香辛野菜やキノコ、鮭などを混ぜ込んだ味噌をのせて、直火でゆっくりとあぶりながら、熱々をいただくのが朴葉味噌です。この朴葉味噌に私が初めて出会ったのは、三か月前、5月に行われたオートバイ・ラリーの帰路に、宿泊した岐阜県白川村の温泉宿の朝ごはんの時です。白川村の温泉宿の朝ごはんは、茶室のように上品な床の間付きの和室に用意されていましたが、見慣れた和風の朝食のおかずの品々の中に、面白い一品がありました。それは、ひとり用の卓上炭火コンロに、鉄鍋や土鍋の代わりに大きな楕円形の枯れ葉が火にかけられ、その葉の上で、お味噌が、ふつふつと煮えていました。お味噌は豆味噌らしく、艶のある赤レンガ色で、味噌の表面からは、ネギやキノコが顔をのぞかせています。「お匙(さじ)で混ぜて、味噌を焦がしながら、ごはんといっしょに、召し上がってください。」と、給仕の仲居さんから食べ方を教わりました。味噌好きな私は、普段から、サバの味噌煮や牡蠣の土手鍋、田楽など、白ごはんと相性の良い味噌料理をいろいろ料理してきましたが、落ち葉を炭火で直接あぶって、お味噌を焦がしながらいただく、という野外料理のように素朴な食べ方の朴葉味噌の存在は、この時初めて知りました。教わったとおり、炭火コンロで枯れた朴葉をゆっくりとあぶりながら、熱々の焦げたお味噌で、白ごはんをいただきました。

クーポラだよりNo.53~「エリーゼのために」と「愛のロマンス」とアルペジオ~

『エリーゼのために』を弾けるようになるまで、娘がピアノを続けていたらなぁ。音楽鑑賞がお好きな、ある知人の男性が、そう言いました。その男性の娘さんは、お父様が憧れていた『エリーゼのために』を弾けるようになるまでは、習い事のピアノを続けなかったのです。私は、その男性のお気持ちも、そして娘さんのお気持ちも、とてもよくわかります。ピアニストレベルの技術を習得するには遅すぎる、中学生からというスタートで、ピアノを習い始めた私も、ピアノを習う以前は、その男性のように『エリーゼのために』に憧れを抱いていました。流れるような伴奏と、もの悲しく民謡調の素朴な旋律の『エリーゼのために』に、小学生時代の私は恋をしていた、といっても過言ではありません。そしてこの美しく小さな音楽を、我が指で、奏でられたら、どんなに素晴らしいだろうと想像し、いとこの、お下がりの古いオルガンで、毎日飽きもせずに、小学生の私は『エリーゼのために』を独習したものです。自分なりに工夫し、何か月も、練習してみましたが、結局、独習では、『エリーゼのために』を、曲の冒頭から最後まで、よどみなく弾けるようにはなりませんでした。楽譜を一見すると、音符の数が、さほど多いわけでもなく、とりたてて、テンポが速いわけでもないのに、独習時代の私の『エリーゼのために』は、音がつながらず、つまずいたようにしか弾けませんでした。『エリーゼのために』の他にも、同じように憧れて、独習した曲があります。映画「禁じられた遊び」のテーマ曲になった『愛のロマンス』です。「禁じられた遊び」の監督は、アラン・ドロンを世界的スターに押し上げた「太陽がいっぱい」を監督した、フランスの名匠ルネ・クレマンです。「禁じられたあそび」の主役は5歳の少女ポーレットと10歳の少年ミシェルです。

クーポラだよりNo.51~水芭蕉とサンライズ・サンセットラリー~

水芭蕉の花の色は、花嫁衣装の角隠しに使われる布のように純白です。おしろいをかけたような白さが清楚で、立ち姿が、すがすがしい水芭蕉ですが、花びらに見える部分は、実は葉が変形したもので、白い中心の薄緑の穂の方が花なのです。水芭蕉は、北海道や中部地方などの寒冷地、日本海側の高地の湿地帯に自生しており、その開花時期は、地域によって異なりますが、融雪後の5月から7月です。福島、栃木、新潟、群馬の4県にまたがる尾瀬国立公園では、毎年5月末頃、その湿原に、自生した水芭蕉が白いじゅうたんを敷き詰めたように咲きそろい、幻想的な世界が広がります。その尾瀬沼の、夢のような水芭蕉風景を歌にした日本の愛唱歌があります。昭和24年、NHKのラジオ番組「ラジオ歌謡」で、シャンソン歌手石井好子によって歌われた「夏の思い出」です。「夏の思い出」は、昭和22年、「夢と希望のある曲を」とNHKから依頼を受けた詩人の江間章子が、数年前に、彼女が実際に尾瀬を訪れたときに目にした、湿原一面に広がる水芭蕉の感動体験を詩にしました。「夏の思い出」がラジオ放送されるや否や、その歌詞の舞台の尾瀬は、脚光を浴びて、たちまち観光客が押し寄せました。また「夏の思い出」の、穏やかでゆったりと流れるような旋律は、人々に歌い継がれ、日本の代表的な愛唱歌となり、平成6年、文化庁とPTA全国協業会によって選定された日本の歌100選の中にも、選ばれました。「夏の思い出」は、中学校の音楽の授業の中で、必ず指導しなくてはならない必須教材としても、たびたび選定されました。私が中学校の音楽教諭をしていた昭和61年から平成4年の間の9年間も、「夏の思い出」は、必須教材でした。当時、文部省が定める必須教材歌曲は、学年ごとに1、2曲あり、指導しやすいものと、難しいものがありました。たとえば、土井晩翠作詞、滝廉太郎作曲の「荒城の月」や三木露風作詞、山田耕筰作曲の「赤とんぼ」は、中学1年生の必須教材歌曲で、いずれも名曲ですが、格調高すぎて、元気いっぱいの中学生たちに、それらの歌詞をしみじみと味わわせながら、歌わせるのは、至難の業でした。しかし「夏の思い出」の歌詞の日本語は平易でわかりやすく、その旋律もリズムも単純で、とても指導しやすかったのを覚えています。当時、生徒全員に持たせていたリコーダーで、簡単に演奏できて、すぐに合奏も可能でしたし、変声期を迎えて、高い声を出しにくくなった男子生徒も、無理なく、歌えるようでした。曲の理解を深めるために、歌詞の説明を長々と加えなくても、歌って、リコーダーで演奏するだけで、生徒たちは歌詞の世界を味わえているようでした。私が、初めて「夏の思い出」の歌を知ったのは小学校の合唱クラブでした。週に一度のクラブ活動でしたが、担当の先生は、毎週、わら半紙に印刷した曲を、たくさん配ってくださり、その中に「夏の思い出」がありました。小学6年生、当時、12歳だった私は、やはり「夏の思い出」を歌うだけで、すぐにその世界に浸ることができました。尾瀬に行ったこともなければ、水芭蕉の花を見たこともありませんが、幼い私でも、中田喜直作曲の覚えやすい旋律によって夢のような世界に浸ることができました。そして、いつか尾瀬に行って水芭蕉を見ることに、漠然と憧れを抱くようになり、その想いは胸の奥深く沈めていました。ところが、2日前の5月27日、月曜日の早朝に偶然にも、水芭蕉の花が咲いているところを目にする幸運に恵まれました。場所は、残念ながら尾瀬ではなく、世界遺産に登録された、日本建築の合掌造りの建物で有名な白川郷近くの温泉宿の裏庭でした。白川村の平瀬温泉の宿で朝風呂を楽しんでいると、窓の向こうの裏庭に群生した水芭蕉の白い姿が見えたのです。急いで、お湯から上がり、スマホカメラで、何枚も写真をとったのは言うまでもありません。こんな偶然な形で、水芭蕉に出会える日がくるとは、思っていませんでした。私が白川村に泊まったのは、オートバイのラリーに参加したためです。サンライズ・サンセットラリーという自由なレースです。日の出とともに、太平洋側の任意の海辺から出発し、日の入りまでに、石川県の千里浜にゴールするのです。今回、私は、新岡山港から出発し、約550キロ走って、無事にゴールできました。

クーポラだよりNo.50~クレモナ名物モスタルダとストラディヴァリウス~

イタリアの伝統保存食に、モスタルダという、一風変わった果物の甘煮があります。モスタルダは、りんごや、梨、サクランボなど、色とりどりの果物をシロップで煮込み、仕上げにからしを効かせ、ジャムのように甘いのに、スパイシーで刺激的な味わいがあり、肉料理や生ハム、チーズなどの付け合わせにぴったりです。モスタルダは、北イタリアの街クレモナの名物です。私がこのモスタルダを初めて耳にしたのは、25年前のイタリア留学中でした。1993年12月末、夫がイタリア留学中の私のもとへやってきたときのことです。師のカヴァッリ先生は、クレモナへ夫を案内するという私に、モスタルダのことを、教えてくださいました。「Andrete a Cremona, compri una Mostarda. C’e ne sono varie frutti, e’ dolci e piccanti. È molto buona. Mi piace molto. Si vende piccola bottigla.」「クレモナに行くなら、モスタルダをお買いなさいな、いろいろな果物が入っていて、甘くて、ピリッとして、とっても美味しいのよ。私は大好きなの。小さなビンに詰めて売られているわ。」先生はそうおっしゃると、特に美味しいものを表現するときのイタリア人特有のジェスチャーで、ご自分の親指と人差し指を口元に運び、チュッとキスの音をたてました。