クーポラだよりNo.117~パリアッチと大人バレエクラブの文化祭舞台発表~
「パリアッチ、歌ってください」
30年前、岡山市内の夜景が眺望できる高層ビルの最上階のラウンジで、弾き語りのアルバイトをしていたある夜、お客様からリクエストされました。
パリアッチとは、イタリア語で道化師という意味ですが、まさにその名前のオペラがあります。
1892年に初演されたレオンカヴァッロ作曲のオペラ「道化師」です。
オペラ「道化師」の登場人物はたった5人、旅回りの芝居一座の座長カニオ、その妻ネッダ、一座の二枚目役者ベッペ、せむしの役者トニオ、そして村の青年シルヴィオです。
オペラの舞台は南イタリア・カラブリア地方、カラブリアは長靴の形をしたイタリア半島のつま先にあたる部分です。
時代設定は、1865年頃(和暦では慶応元年、大政奉還まであと3年となる幕末の頃)の8月15日です。
日本では8月15日は終戦記念日ですが、イタリアは聖母マリアの祭、聖母被昇天祭で、クリスマス、復活祭と並ぶ国民的な祝日であり、その日は伝統的にピクニックをします。
つまり、座長カニオは、聖母昇天祭にあてこみ、村で芝居をうち、一儲けしようと思っているわけです。
しかし、その芝居の本番前にカニオは、妻のネッダが浮気をしていることをせむし役者トニオから告げられます。
せむしのトニオはネッダに恋しており、座長であり夫であるカニオの目を盗んで彼女に迫りますが、肘鉄をくわされました。
それを恨んだトニオは腹いせにネッダをつけまわし、彼女が浮気をしていることをつきとめて、カニオに告げ口したのです。
でも、ネッダが浮気するのには理由がありました。
ネッダとカニオは普通の夫婦のように、大人同士の恋愛の末に結婚したのではなく、源氏物語の紫の上と光源氏のような関係でした。
幼い頃、孤児だったネッダは座長のカニオに拾われ養育され、その末に結婚したのです。
ネッダは嫉妬深いカニオから解放されたくて、鳥ように自由に空を飛んでどこかに行きたいと、憧れていました。
そしてネッダはその憧れを現実にできる相手をついに見つけたのです。
旅先でいつも立ち寄る村の青年シルヴィオと恋仲になったネッダは、彼と駆け落ちしようと計画しました。
ネッダの浮気を知らされたカニオは、嫉妬に狂い、男泣きにむせびながら顔におしろいを塗って道化の顔にメイクし、衣装をつけて芝居に出る支度を整えます。
オペラ道化師の中では、このシーンは、テノールの名高い独唱「衣装をつけろ!=Vesti la giubba !」で表現されます。
~Vesti la giubba !(衣装をつけろ!)~
Recitar! Mentre preso dal delirio non so più quel che dico,e quel che faccio!
(芝居をするんだ!混乱しちまって、自分で何を言っているか、何をしているかわからないけれど!)
Eppur è d'uopo, sforzati! Bah! sei tu forse un uom? Tu se' Pagliaccio!
(それでも無理にでもやるんだ!お前は人か?お前は道化なんだ!)
Vesti la giubba,e la faccia infarina.La gente paga, e rider vuole qua~
(衣装をつけろ、おしろいを塗れ、観客はそれを笑いたくて金を払うのだから)~
30年前に「パリアッチ歌ってください」と言ったお客様は、このカニオの独唱「衣装をつけろ!」をリクエストしたのです。
歌手の演技力と声量を存分に発揮できるこの曲は、男性歌手のコンサートで歌われることが多く、道化師のオペラ全部を見たことがない人でも、「衣装をつけろ!」だけは知っているという人が多いのです。
また「衣装をつけろ!」はテノールが歌う曲なので、その常識に囚われていた私は、「私はソプラノですから歌えません。」と、当然のようにリクエストを退けました。
そして以降、このリクエストのことをすっかり忘れていたのですが、1週間前にふと思い出しました。
思い出したきっかけは、私が講師をしている公民館の大人バレエクラブの文化祭舞台発表です。
11月23日に開催された公民館文化祭の大人バレエクラブ舞台発表には、今年4月からバレエを始めたという新人2名を含む6名が出演しました。
その6名のうち5名は現役社会人、看護師、小学校の先生など第一線で働く人たちです。
そして公民館の大人バレエクラブの活動は月2回しかなく、しかもその1回は、クラブ員たちの年齢と体力を考慮すると1時間くらいが限度です。
つまり今年4月からバレエを習い始めた新人たちは、10時間足らずで、文化祭本番を迎えたわけですが、バレエの常識で判断するなら、その時間数では、振り付けを理解して記憶するのは難しいでしょう。
そこで私は、バレエの常識を破り、振り付けを記憶することをクラブ員のみなさんに強制しませんでした。
本番は、振り付けのカンニングペーパーとして私が先頭にたち、本来バレエは無言で踊るべきものですが、私が先導して振り付けを声に出しながらクラブ員たちと踊りました。
舞台本番当日、6名の大人バレエクラブの面々は、ロマンチックな濃紺の衣装を身につけ、少女のような愛らしい笑顔で生き生きと踊っていました。
本番のあと、新人さんのひとりが言いました。
「この年齢でバレエを習い始めて、舞台で踊れるなんて、本当に嬉しいです」
この言葉を聞いて、バレエの常識を破って正解だったなと思うと同時に、「衣装をつけろ!」のリクエストのことをふと思い出しました。
「衣装をつけろ!」のリクエストをいただいたとき、テノールが歌うものだと決めつけて、ソプラノの私には歌えないとお断りしたけれど、お客様のご要望は、ただ単に、ご自分が知っていたオペラの曲を歌って欲しかっただけで、私なりに歌えば喜んでくださったのかもしれないなと、ようやく思えるようになりました。
こんな風にオペラやバレエのことを柔軟に考えられるようになったのも大人バレエクラブで頑張っている皆様のおかげです。
2024年11月29日
大江利子
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