クーポラだよりNo.112~ベルばらごっこと元宝塚スターのバレエバー~


愛それは甘く 愛それは強く 愛それは尊く 愛それは気高く 愛、愛、愛

あぁ愛あればこそ 生きる喜び ああ愛あればこそ 世界は一つ 愛ゆえに人は美し


この少しセンチメンタルな歌詞は宝塚歌劇団が1974年8月29日に初演した「ベルサイユのばら」の劇中に歌われる「愛あればこそ」という歌詞の1番です。


「ベルサイユのばら」は今年50周年を迎える宝塚の人気演目ですが、もともとは漫画家 池田理代子が1972年から1973年にかけて集英社の雑誌『週刊マーガレット』に連載した同名の少女漫画が原作です。


原作の「ベルサイユのばら」はフランス王妃マリーアントワネットが誕生した1755年からその恋人のフェルゼン伯爵が亡くなる1810年までの史実を舞台に実在と架空の人物を巧みに織り交ぜながら、登場人物の人間模様を描いた壮大な歴史ロマンです。


その歴史ロマンには、たくさんの魅力的な人物が登場しますが、何と言っても、一番は男装の麗人オスカルです。


オスカルはフランス国王の忠実な臣下ジャルジェ将軍の末娘、6番目の令嬢として誕生しますが、男の子として育てられます。


オスカルより上の5人はすべて女の子だったので、跡継ぎが欲しいジャルジェ将軍は幼い頃からオスカルに銃や剣を教えて、軍人としての英才教育を施し、父の期待通りオスカルは、近衛隊長になります。


オスカルの近衛の仕事はオーストリアからフランス王太子妃として嫁いできたマリーアントワネットの護衛です。


マリーアントワネットはダンスが得意な愛くるしい少女で、明るく活発な性格でしたが、彼女の夫のフランス王太子は見栄えのパッとしない地味な性格です。


夫として王太子を尊敬していたけれど、男としての物足りなさを感じていたマリーアントワネットはスウェーデン貴族フェルゼンと恋仲になってしまいます。


賢く男らしいフェルゼンは、王太子妃の恋人になっても、地位やお金を欲しがるような俗物ではなく、純粋に彼女の人柄を愛し、控え目な態度で彼女を支えました。


そんなフェルゼンに、オスカルは恋をします。それはオスカルの初恋でした。いくら男として育てられても、オスカルは女性としての心を失っていなかったのです。


しかし、そんなオスカルを見て、傷ついている人物がいました。それはオスカルと兄弟のように育てられたアンドレでした。


アンドレはオスカルの乳母の孫息子で、身分は平民でしたが、ジャルジェ将軍の意向で、ふたりはいつも行動を共にしていました。オスカルの影のような存在として、アンドレは彼女を守り、誰よりも深く彼女を愛していました。


マリーアントワネットとフェルゼンの秘密の恋、オスカルを深い愛情で包むアンドレ、アンドレの深い愛に気づかず、フェルゼンに恋し、苦悶するオスカル、フランス革命という歴史の潮流に翻弄されながら四者の愛が錯綜してゆく様子が「愛あればこそ」の歌詞に集約されています。


私がこの「愛あればこそ」に出会ったのは、1976年、中1の時です。


世間は、ベルばらブームで沸き返り、舞台で宝塚を観劇したことはない私ですが、テレビで放映される宝塚の「ベルサイユのばら」を食い入るように見ては、「愛あればこそ」を必死に覚えて、中学の友達とベルばらごっこをして遊びました。


ベルばらごっこの友達は、私を入れて4人だったので、マリーアントワネットとフェルゼン、アンドレとオスカルに自分たちで配役し、宝塚の歌やセリフを練習しました。


私はアンドレ役を練習しました。


人前での発表を目標に練習していたわけではありませんが、4人で集まって、歌ったり芝居の練習をしたりすることが、楽しくて仕方ありませんでした。


私たちのベルばらごっこのお手本は、当時の宝塚スターたちですが、現在ように八頭身で足が長い男役とは違い、ずんぐりむっくりした人が多く、華やかな衣装や、金髪の鬘がミスマッチに見えました。


しかし、その中でとびぬけて高身長で足が長くベルサイユのばらの衣装がピッタリの男役スターがいました。


その男役スターはフェルゼン役をしていた鳳蘭です。

鳳蘭は1946年生まれの中国籍をもつ人で、友人に誘われて、宝塚がどんなものなのかも知らずに受験し合格したという逸材です。


宝塚音楽学校に入る準備を何もしていなかったので、日本舞踊やピアノなど、あらゆることが初めてで、とても苦労したそうです。


「ベルサイユのばら」のフェルゼン役で注目を集めて、その名が広く知られるようになったのは、30歳の時、それから3年後には引退、女優の道に入ります。


引退直後は、彼女の活躍をテレビで見ることがありましたが、私があまりテレビに興味がなくなったせいもあり、最近では彼女のことを聞かなくなりました。


ところが、先月末に鳳蘭のことを知るチャンスがあったのです。


昨年から私は近所の公民館で大人バレエクラブを開講していますが、クラブ員も少しずつ増え、土曜日の夜は、充実した時間を過ごしています。


公民館には広い床と鏡、着替えの部屋も駐車場もあり、それらをすべて無料で使用できるので有り難いこと、この上ないのですが、ただひとつ足らないものは、バレエ専用のバーがないことです。


当初は私が持参した簡易バーで、お稽古してきましたが、やはりしっかりとしたバーの必要性を感じ、色々探していた矢先に、中古品ですが、専用のバーが手に入ったのです。


そのバーは信じられないほど安い値段でインターネットに売りにだされていたので、すぐに私は山梨県まで引き取りに行きましたが、なんと鳳蘭が開校していたスタジオのバーだったのです。


鳳蘭は舞台人を育てるため、2008年にバレエスタジオを開校、2024年3月末に閉校したのでした。


今年78歳になる鳳蘭です。閉校の理由は分かりませんが、年齢のことや後継者のこと、何か続けられない事情があり、愛着あるバレエバーをそっと手放したのでしょう。


上質でしっかりとした鳳蘭のバレエバーでお稽古できるようになって、私の大人バレエクラブの生徒さんは大喜び、私は土曜日のクラブの時間がますます楽しくなりました。


この楽しさは、中学生の時に友達と没頭したベルばらごっこを思い出させてくれます。


憧れだったベルばらの宝塚スターのバレエバーに力をもらいながら、これからも大人バレエクラブを充実させていこうと思います。

2024年6月29日

大江利子

クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

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