クーポラだよりNo.109~『ベサメ・ムーチョ』と父の思い出~


Bésame mucho

※Bésame, bésame mucho,

ベサメ・ベサメ・ムーチョ

Como si fuera esta noche la última vez.

コモ・シ・フエラ・エスタ・ノチエ・ラ・ウルティマ・ベス

Bésame, bésame mucho,

ベサメ・ベサメ・ムーチョ

Que tengo miedo perderte, perderte después.※

ケ・テンゴ・ミエド・ペルデルテ・ペルデルテ・デスプェス

Quiero tenerte muy cerca,

キェロ・テネルテ・ムイ・セルカ

Mirarme en tus ojos, verte junto a mí.

ミラルメ・エン・トゥス・オホス・ベルテ・フント・ア・ミ

Piensa que tal vez mañana

ピエンサ・ケ・タル・ベズ・マンヤナ

Yo ya estaré lejos, muy lejos de tí.

ヨ・ヤ・エスタレ・ムイ・レホス・ムイ・レホス・デ・ティ

※~※繰り返し


『ベサメ・ムーチョ』とはスペイン語で「私にたくさんキスして」という意味です。


次に『ベサメ・ムーチョ』の詞の日本語の意味も見てみましょう。


私にキスして たくさんキスして これが最後の夜のように

私にキスして たくさんキスして あなたを失うのが怖い

あなたのすぐそばで 瞳に映る私を見たい そばにいてほしい

多分明日には 私は遠くに行ってしまう ここから遠くに


なんとも情熱的な内容のこの詞を作った人は、スペインの女性作曲家・ピアニストのコンスエロ・ベラスケス(1916~2005)です。


1932年、ベラスケスはキスも知らない16歳の時、戦争によって引き裂かれる運命となった夫婦の悲嘆と悲哀に触発されて『ベサメ・ムーチョ』の詞をつくり音楽をつけました。


1941年に初演されると、この『ベサメ・ムーチョ』はいろいろな歌手たち(エルビス・プレスリー、ビートルズ等)に演奏されるようになり、それぞれに味のある歌い方で、世界中の人々に広がっていきました。



日本ではタンゴ歌手の藤沢嵐子(ふじさわらんこ)が1959年に『第10回NHK紅白歌合戦』で歌い、オペラ界では三大テノールで有名なスペイン出身のプラシド・ドミンゴが歌って第26回グラミー賞で最優秀ポップ・パフォーマンス賞にノミネートされました。



映画のサウンドトラックとしても登場し、初演から70年以上経過してもなお、色褪せないスペインを代表する音楽として『ベサメ・ムーチョ』は知られています。



私も小学生の頃に『ベサメ・ムーチョ』に出会いました。


ただし、演奏者の音からではなく、父が持っていた楽譜からです。

高校時代は軽音楽部に所属し、ハワイアンやラテン音楽などが好きだった父は、ギターの腕前は人に教えるほどだったらしく(私が4,5歳くらいまではお弟子さんがいた)、団地住まいの我が家には、父のギターとギターの楽譜がたくさんありました。



両親共働き、鍵っ子の私は、ポツンと独りで留守番をすることが多く、私の遊び相手は父のギターと楽譜でした。



『禁じられた遊び』のように知っている曲もあれば、知らない曲もありましたが、特にこだわりはなく、見た目に簡単そうな譜面を選んでは、ギターをポロン、ポロンとかき鳴らして遊んでいました。



父の楽譜の中に『ベサメ・ムーチョ』もあり、メロディーは簡単だったので、旋律だけなら私でも弾けました。



父はレコードも何枚か持っていて、夕食後、機嫌が良い時は、コレクションの中からお気に入りのラテン音楽をかけて、その中に『ベサメ・ムーチョ』も含まれていました。

父のレコードの『ベサメ・ムーチョ』はメキシコ出身のギター弾き語りグループ、男性トリオの『ロス・パンチョス』の演奏です。



ロス・パンチョスの歌声は、オペラのテノール歌手のように高音が美しく、大袈裟な感情表現もなく、じっと静かに聞き惚れるよりは、身体でリズムをとりたくなるような爽やかな印象です。



実際、『ベサメ・ムーチョ』はボレロのリズムに合わせて作曲されているので、ラテンダンスにピッタリです。



独身時代、ダンスホール通いでステップを磨いていた父は、レコードをかけると、母(養母)に、「おい、ちょっと踊ろう」と誘って、二人で踊り始めたものです。



団地住まいの我が家は狭くて、父たちが踊っていたダイニングは6畳しかありませんでしたが、食器棚やテレビをよけながら、踊っている二人の姿は微笑ましくて、それを見ている私はとても幸せでした。



大人になったら、結婚したら、こんなカップルになりたいなと、踊る父たちを羨望の眼差しで見ながら、その時の私は思ったものです。



来月、2024年4月から、また私は、現在開講している公民館とは別の公民館で大人バレエの講座を新設することにしました。



これで、週末の土曜日の夜は、ほぼ埋まってしまいますが、案外と私のレッスンを喜んでくださる方がいるので、増やすことにしたのです。



私の希望は、父のように、踊りたいなと思ったら、狭い空間でも臆することなく楽しく踊れる人が増えることです。



来月からの公民館の大人バレエのためのスペースは、鏡もないし、バーもありません。



けれども、公民館の館員さんたちはとても親切で大人バレエというものに好意的です。



私は用意してくださった空間で、できることを見つけて、受講生の皆様が楽しめることを精いっぱいやろうと思います。



狭いダイニングでも、楽しく踊っていたあの時の父のように。


2024年3月29日

大江利子


クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

0コメント

  • 1000 / 1000