20150129kan

2015年1月19日、深夜、仕事から帰宅後、夫は、突然倒れました。
10日間、意識不明のまま、55歳の生涯を閉じました。
夫とは、1990年、公立中学校で知り合いました。
彼は、美術の先生、私は、音楽の先生。
彼との結婚生活は、全力で人生を駆け抜けていこうとする夫を、必死に支える毎日でした。
多方面にアンテナをはり、勉強家の夫。
大きな身体に繊細な感覚。
独特の審美眼を持つ夫が、残した3台のオートバイ。
カワサキ、GPZ250R
カワサキ、KLX650
ビモータ、YB81000
3台とも、私が乗る!
オバ

記事一覧(43)

クーポラだよりNo.42 ~シューマンの飛翔とベートーベンの熱情ソナタ~

「次の発表会は、何を弾くの?」2年に1度の夏に交わす、私と友人のお決まりの会話です。ピアノの先生をしている友人が、ご自分の生徒さんのために開く、2年に1度の発表会に、私も参加させてもらっているのです。14歳から本格的にピアノを習いはじめ、無我夢中で、毎日何時間もピアノを練習し続けた私のピアノ人生は、公務員となった22歳の4月に、一旦、終わりとなりました。大学卒業後、郷里岡山で中学校の音楽の先生となった私は、毎日の授業、部活指導、校内暴力で荒れ狂う生徒たちの指導で、疲れ切り、学生時代のようなピアノを練習する時間も気力もなく、生きているのが、やっとの毎日でした。学校行事で全校生徒が歌う校歌や、生徒たちが授業で歌う曲のピアノ伴奏程度なら、学生時代のような練習をしなくても、用は足りました。練習をしなくなった私のピアノの腕前は、あっという間に落ちました。もともと、私のピアノ技術はプロのピアニストレベルではないものの、それでも、ショパンの革命のような速い曲や、連続オクターブがつぎつぎと出てくる難曲のリストも、弾けていたのに、練習しなくなったら、まったく、指が動かなくなってしまったのです。高校時代も大学時代も、音楽専門の道へ進学した私は、自分よりも、はるかに上手にピアノを弾く同級生たちを目の当たりにして、劣等感がありました。どんなに練習しても、同級生たちのレベルに、到底及ばないことが、16歳で、わかってしまい、打ちのめされました。それでも、下手なりに私が、毎日何時間も練習を続けられたのは、試験や、習っていた先生の発表会など、人前でピアノのソロ演奏をする機会に恵まれていたからです。それが、就職し、いくら毎日ピアノを仕事で使うとはいっても、コンサートに弾くような曲を演奏するわけではないので、練習に身が入らず、腕前が落ちると、ますます練習しなくなりました。また就職と同時に、歌への情熱が高まり、歌の勉強の方に重点をおいたので、人前でソロ演奏できる機会には、独奏ではなく、独唱をしました。人前で演奏することが大好きな私は、その欲求は、歌で満たされ、もともと劣等感があったピアノからは、ますます、遠ざかったのです。しかし、ある友人との出会いが、私のピアノへの情熱に、再び、火をつけたのです。彼女は、良き母であり、良き妻であり、幼い子供から、お年を召した方まで、幅広い年齢層の生徒さんを抱えた優しいピアノの先生でした。彼女はある日、シューマンの「飛翔」という難しい曲を、私の前で演奏してくれました。彼女の「飛翔」は、すっかり仕上がっており、いつでも舞台で独奏できる状態でした。しかし、彼女には、まったく、その予定はなく、ただ「飛翔」が好きなので、自分で練習して仕上げたと言うのです。私は、それを聞いて、とても感動しました。なぜなら、私のピアノはいつも試験や、舞台のために、練習していたので、自分が純粋に演奏したいと思う曲を仕上げた経験はなかったからです。手が小さく、指が速く動かない私は、その欠点が目立たず、華やかに聞こえる曲を選び、純粋にその曲が好きかどうかは、私の選曲基準ではなかったのです。私は、彼女の「飛翔」を聞いて、もう一度ピアノを練習したくなりました。そして、今度こそは、たとえ何年かかっても、純粋に、自分の好きな曲を練習しようと思いました。私は、彼女に、彼女の生徒さんと一緒に発表会に出演させて欲しいと、お願いしました。すると、快諾してくれた彼女自身も、「飛翔」を披露することになり、ふたりで、生徒さんに混じって独奏することになったのです。今から10年前のことです。10年前のその日から、私たちは純粋に好きな曲だけを選び、発表会のたびに2年に1度の割合で、新しい曲が、仕上がっていきました。お互いに、2年先の発表会に向けて、練習している曲を、披露し合い、批評し合って、励まし合うのが日課となり、楽しく学び合う月日が流れました。純粋に好きな曲だけを、練習しているうちに、技術も自然と身についていきました。じわじわとザルで水をすくうような、進歩ですが、10年の継続はかなりの進歩をもたらしました。そして、今年はまた、発表会の年、私は、ベートーベンの熱情ソナタの3楽章を選びました。熱情ソナタは、「月光」、「悲愴」とともに、三大ソナタと呼ばれるベートーベンの初期のソナタの傑作です。熱情ソナタの1楽章は、青春時代の恋のような、情熱的な熱い旋律で、2楽章は、至福の安らぎに満ちた、静かな曲です。そして、私が発表会に演奏する3楽章は、嵐のような、激しいリズムと切ない旋律が繰り返され、若き日、エネルギーに満ちあふれていた時代を思い出させてくれます。この熱情ソナタの3楽章を弾きこなすには、とても強い指の力が必要です。アップライトピアノしか持っていない私は、近所の公民館のグランドピアノを借りて、指の力を強化するために、本番ひと月前から、猛練習をはじめていました。すると、先日、見知らぬ男性が、やって来られて、毎日、聞こえてくる熱情ソナタが気になって、誰が弾いているのか、確かめにきたと、おっしゃるのです。彼は、熱心なクラシック音楽愛好家でした。男性はアルミニウムを加工するお仕事をされていて、お仕事の技術で作った、音符が入ったアルミニウムの素敵なコースターをプレゼントしてくださいました。

クーポラだより No.38 ~灰汁巻き(あくまき)と張り子の虎と藍染めのワンピース~

薩摩地方に灰汁巻き(あくまき)と呼ばれる素朴な食べ物があります。灰汁巻きは、粽(ちまき)の仲間で、薩摩地方の伝統食です。灰汁巻きには味がほとんどないので、きな粉や黒蜜などをかけていただきます。もち米を、孟宗竹の皮に包んで、樫の灰汁でゆっくりと煮込んでつくられた灰汁巻きは、保存が効き、西郷隆盛が西南戦争で兵糧として持参しました。灰汁巻きの始まりは、関ケ原の戦い(1600年)に、薩摩藩の兵糧として、あるいは、豊臣秀吉朝鮮出兵時(1592年)の携行食として、等、諸説ありますが、干飯(ほしい)のように水で戻す必要がなく、しっとりとして柔らかく、食べやすいのが特徴です。私は、今年2月、オートバイで宮崎県から鹿児島を目指して走っていた時、立ち寄った道の駅(宮崎県小林市野尻町ゆーぱる野尻)で灰汁巻きに出会いました。地元の新鮮野菜やハイカラな手作りパンが並ぶ中、私の目を引いたのは、筆箱くらいの大きさの茶色い竹の皮の巻物でした。ひらがなで「あくまき」と書かれた未知の巻物を、手に取ると、硯(すずり)を持ったときのような、ずっしりとした重みを手のひらに感じました。購入した灰汁巻きを、すぐには食べず、6日間のオートバイ旅を終え、帰宅した夕食用に、竹の皮の包みを開けてみました。

クーポラだよりNo.34  ~落語「崇徳院」とオペラ「こうもり」~

瀬を早み 岩にせかるる滝川の 割れても末に逢はむとぞ思ふ(滝の水は岩にぶつかると二つに割れますが、すぐにまた一つになるので、現世では障害があって結ばれなかった恋人たちも、来世では結ばれることでしょう。)大和歌壇の宗匠、藤原定家が選定した小倉百人一首の77番歌として知られている情熱的なこの歌の作者は、崇徳(すとく)天皇です。崇徳天皇は第75代の天皇で、保元の乱で覇権争いに敗れ、都を追われ讃岐に流されました。朝廷の邪魔な存在だった崇徳天皇は罪人扱いされ、都に戻ることを生涯許されず、流刑地の讃岐で、46歳で崩御しました。都に戻ることを切望しながらも、その願いが聞き届けられなかった崇徳天皇は、我が身が叶わないなら、せめて我が文字だけでも都に入れて欲しいと、3年がかりで、無欲無心で完成させた写経に、哀しい歌を添えて都へ送ります。浜千鳥 跡は都へ通えども 身は松山に 音をのみぞなく(書き写したわが文字のみは、あの千鳥と同じように都へ辿り着くことができるが、当の自分はこの松山でただ泣き沈むばかりである)しかし、その写経さえも、怨念がこもっているとされて、朝廷から送りかえされてしまいます。送り返された写経を見た崇徳天皇は、怒りのあまり、夜叉のようになったとの伝説が残っています。この悲運の天皇、崇徳天皇の夜叉伝説は、後世の芸術家たちの琴線をくすぐり、浮世絵の題材や、保元・平治物語にも登場しています。江戸時代の奇想天外な発想の絵師、歌川国芳も夜叉と化した崇徳天皇を描いています。

クーポラだよりNo.33 ~六騎(ろっきゅ)とフィガロの結婚~

理由もないのに、心をつかまれて、忘れられない詩に出会います。御正忌(ごしょうき) 参詣(めん)らんかん情人(やね)が 髪結うて まっとるばん寺の 夜明けの 細道に鐘が鳴る逢(お)うて 泣け との 鐘が鳴る「からたちの花」の作詞者、北原白秋が残した「六騎(ろっきゅ)」という詩です。六騎(ろっきゅ)とは、馬に乗った六人の平家落武者のことです。壇ノ浦の戦いに敗れた平氏の残党は四国や九州各地の秘境に落ち延びました。白秋の生まれ故郷にも六人の平家落武者が住み着き、地元住民たちを夜盗から守りました。御正忌(ごしょうき)とは親鸞上人の命日、情人(やね)とは、恋人のことです。クリスマスもバレンタインもなかった、その昔、結婚前の男女が夜明けまで共に過ごすことができるのは、御正忌の夜くらいでした。「六騎」は、六騎伝説が残る北原白秋の生まれ故郷の町で行われる、年に一度の伝統行事、御正忌の夜を待ち焦がれていた恋人たちのせつない心情を表した詩なのです。白秋のお国言葉の柔らかなアクセントが、艶っぽい内容を一層魅力的にしています。この「六騎」の詩に、すっかり心を奪われた私は、昨年秋、オートバイで、六騎伝説が残され、白秋の生家が保存されている福岡県柳川市まで行ってまいりました。

クーポラだより No.32 ~シネマ・クレールとカストラートの発声~