クーポラだよりNo.125~50年越しの憧れの曲~

今年は50年前から憧れていた曲、ショパンの英雄ポロネーズに挑戦しています。



ポロネーズとは「ポーランド風の」という意味のフランス語で、ポーランド起源のダンスまたはそのための曲の形式(舞曲)のことを指します。



ポロネーズの起源はワルツやガボット、メヌエットのようにお祭りで踊られていた農民のダンスではなく、宮廷で貴族の行進が始まりだと言われており、ショパンの英雄ポロネーズは左手の迫力ある伴奏リズムに乗って、勇壮な旋律が展開するのが特徴です。



「英雄ポロネーズ」という題はショパン自身が名付けたわけではありません。



一説にはショパンと関わりが深かった弟子たちか、あるいはこの曲を聞いて感心した人たちが名付けたといわれています。



1945年に製作されたショパンの伝記映画「楽聖ショパン」は、史実に基づいているわけではありませんが、印象的な英雄ポロネーズの登場シーンがあるのでご紹介します。



11歳のフレデリック(ショパンのファーストネーム)はワルシャワ郊外の緑豊かなジェラゾラ・ヴォラ村の質素な家で熱心にピアノを弾いています。



フレデリックの指から流れ出る音楽は、甘く軽快で人々の心をすぐに虜にしてしまいます。



フレデリックは7歳から自分で作曲していました。



フレデリックのピアノの師匠エルスナーは自分の幼い弟子の天賦の才を見抜いていました。



そして、その才能に相応しい場所で弟子の才能を開花させるべきだと両親に強く勧めていました。



エルスナー先生が勧めていたのは、パリでの公開演奏です。



当時パリは、ヨーロッパで最も芸術に関心が高く、一流の芸術家たちが集まっていました。



それにパリには、エルスナー先生の旧友プレイエルがいました。



プレイエルはハイドンの弟子だった人で、新しい構造のピアノを作る会社を起こし、興行主としても活躍していたのです。



モーツアルトやハイドンの時代のピアノは現代のように88鍵もなく、豊かで大きな音も出ませんでした。


当時の音楽は封建社会の頂点だった貴族や教会が独占していたので、彼らの要求に応えるために控え目で折り目正しい雰囲気のものが求められ、ピアノも現代のように大きな音が出なくても良かったのです。


しかし時代が進み、市民革命がおこり、人間の豊かな感情や自然の景色などを題材にした音楽を社会が求めるようになると、ベートーヴェンの熱情ソナタのようにダイナミック響きを必要とする曲が作曲され始めたので、ピアノメーカーもそれに応えて改良を加えていき、現代のようなピアノになっていくのです。



プレイエルのピアノの特徴は鍵盤のタッチが軽くてアクロバティックな演奏に向いていました。



プレイエルはエルスナー先生からポーランドに神童がいるとの知らせを受けて、興味を示しパリに来るようにと言ってくれました。



しかしフレデリックの両親は反対でした。



ポーランドからフランスはあまりにも遠いし、自分の息子にそこまで才能があるとも信じられず、地元ワルシャワ貴族のお抱えピアノ教師にでもなれたら十分くらいにしか思っていなかったのです。



月日は流れ、エルスナー先生とフレデリックがようやくパリのプレイエルのところへ出立できたのは11年後でした。



パリに到着したエルスナー先生とフレデリックは旅装も解かずに、プレイエルの会社に駆けつけました。



プレイエルはピアノメーカーとしても興行主としても大成功し、彼の会社のショールームの中には、最新式の豪華なグランドピアノが何台も陳列されていました。



プレイエルの社員たちはきらびやかなショールームには場違いなエルスナー先生とフレデリックを見て、ふたりを制しますが、振り切ったふたりが社長室に飛び込むと今度はプレイエルが冷たく言い放ちました。



「神童の時ならば価値があったけれど、大人になったのでもう用はない。」



驚いたエルスナー先生は、反論します。



「11年もたてば神童は成長し、天才になる。フレデリックは作曲もする。素晴らしい曲だよ!」



それでもプレイエルは、ふたりを追い出そうとしながら言います。



「パリでは天才の作曲した音楽なんて街中にいくらでも転がっている!」



するとその時、ショールームからフレデリックが作曲した曲を誰かが弾き始めました。



それは、リストでした。


リストは、ハンガリー出身で超絶技巧の腕をもつピアニスト兼作曲家として、すでにパリで名声を確立していました。



リストはショールームに置いていたフレデリックの楽譜を偶然に目にして弾き始めたのです。



「名曲だ!誰の曲だい?」



リストは嬉しそうに弾きながら、集まってきたプレイエルの社員たちに尋ねましたが、誰もわかるはずがありません。



フレデリックは黙って、リストが弾いている隣のピアノに座って、同じように弾き始めました。


「ああ、君が作曲者だね!素晴らしい曲だ。それに君の演奏も素晴らしい!握手をしたいが、この曲を中断したくないから無理だ。」



リストはフレデリックの曲を嬉々として弾きながら言いました。



それは英雄ポロネーズでした。



「それでは、僕が旋律を弾くから、リスト先生、あなたが伴奏を弾いてください」



「うん、いい考えだ!」



フレデリックとリストは英雄ポロネーズを片手で弾きながら、空いた方の片手で固い握手を交わしました。


それを見ていた、プレイエルはエルスナー先生に言います。



「ショパンの公開演奏会は2週間後だ!」



私が初めて英雄ポロネーズを聞いたのは、1976年NHKで放映されていた名曲アルバムです。



素晴らしい旋律と迫力ある左手の連続オクターブに圧倒され、思ったものです。今は無理だけど、いつか必ず弾けるようになりたいと。



50年越しの憧れのショパンの英雄ポロネーズ、譜読みを始めて6ヶ月目、ゆっくりだけれど、なんとか最後まで弾けるようになってきました。



ちょっと背伸びですが、来年2月の発表会にお披露目できるようお稽古しようと思います。

2025年7月31日

大江利子

クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

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