クーポラだよりNo.123~62歳目前の新たな挑戦~
2025年5月26日午前4時15分、62歳の誕生日を1カ月後に控えた私はオートバイの後部座席に最小限の着替えと日用品を詰め込んだバッグを載せて、走り出しました
私が向かった先は瀬戸内海の児島湾沿岸の小さな港、小豆島行きのフェリーが発着する新岡山港です。
新岡山港は我が家からは東南に位置し、ちょうど日の出の方角です。
4時15分は夜明け前で、周囲の景色はまだ漆黒の闇に溶け込んでいましたが、目指す港の空には朝焼けが見え始めています。
この日、岡山市の日の出時刻は4時55分、私が新岡山港に到着した4時40分には、海の彼方の空の端は朝焼け色の濃いローズピンクが広がっていました。
新岡山港からは神武天皇が降り立ったという伝説が残る高島が見えます。
潮が引いたら、歩いていけそうなくらいの距離の小さな無人島で、鳥たちの楽園になっています。
高島の上空を鳥たちが乱舞しつつ朝のあいさつをする鳴き声を聞きながら水平線上に太陽が昇るのを待ってみましたが、あいにく雲が邪魔をして、朝日を拝むことはできないまま、日の出時刻が過ぎました。
ちょっと残念ですが、雨が降っていないだけでも幸運です。
なぜなら、私はこれから石川県の千里浜海岸まで、約500キロの距離を走るサンライズ・サンセットラリーのスタートをこの新岡山港で切るからです。
太平洋側の任意の海辺から日の出とともにスタートし、同日、日の入りまでに千里浜海岸にゴールするサンライズ・サンセット・ラリーに私が出走するのは、今回で7回目です。
過去6回はいずれも完走、この日は、連続7回目の完走をかけて、午前5時に新岡山港から走り始めました。
ラリーの時は、連続走行50キロごとに休憩を取る、というのが、私のペースですが、この日は想定外の寒さで、いつものようには走れず、40キロ走行したら、休憩をとり、ストレッチで身体のこわばりをとりながら走り続けました。
出発前に、防寒用のダウンを携行しようかと迷いましたが、荷物は少ない方がオートバイのバランスには有利なのでやめたことを後悔しました。
私がラリーに使うオートバイは、スズキのボルティです。
オートバイのことは鉄の馬と呼ぶ人がいますが、ボルティは馬というよりもポニーです。
排気量250㏄の小さなボルティはスピードこそ出ませんが、ポニーのように車高が低く、足つきもよく、郵便屋さんが使っているカブのように、小回りが効いて、取り回しが非常に楽なことが利点です。
二輪はスピードに乗って走っている時は、バランスが取れますが、乗降時にバランスを崩して、倒しやすいものです。
同じ二輪でも自転車なら車体が軽いので、倒しても簡単に起こすことができますが、200キロ以上もある大型オートバイのバランスが崩れて、地面に横倒しになると、私のように非力な女性にとって引き起こしは不可能に近いです。
万が一、倒れたとしても自力で引き起こしができる車体は、私にとってはボルティだけなので、毎回ラリーにはボルティを選びます。
しかし、そんな可愛いボルティでも、欲張って携行品をたくさん積めば、重量が増して、引き起こしがやりにくくなります。
実は過去のラリー(帰路の時)で、倒してしまった経験が数回あり、いずれも荷物をたくさん積んでいたため、引き起こしに苦労した苦い思い出があるのです。
それゆえ、7回目の今回は、過去最小限の荷物で臨んだのですが、予想外の寒さで、ダウンを持参しなかったことを後悔しました。
幸いにも雨具は持っていたので、合羽を着こみ、途中でカイロを買って寒さと戦いながらのラリーとなりました。
岡山から兵庫までは東に約100キロ山陽道を走りますが、姫路東からは北上して舞鶴に入り、舞鶴若狭道から北陸道に向かうのがいつもの定石ルートです。
しかし今回は、寒さゆえに、迷いました。
舞鶴へは姫路東から北上しなくとも、滋賀県まで走り、米原から北上して北陸道に乗るという選択肢もあるのです。
少しでも、北上を遅らせると、寒さが和らぐかもしれないと、甘い考えが私の脳裏をかすめましたが、思いとどまりました。
下調べをしていない新しいルートを、一瞬の迷いから選択するのは、危険だからです。
過去6回の定石ルートなら、どこのサービスエリアにどんな施設があり、給油所はどこにあるかなども、ほぼ覚えていました。
寒いけれど、手堅く定石ルートで走ろうと覚悟を決めて、こまめに休憩をとりながら無事に7度目の完走を果たしました。
しかし、私の中では、ゴール翌日が7度目完走以上の挑戦でした。
過去のラリーでは、ゴール翌日は一日200キロ程度をのんびり走って体力回復を図りながら帰路につきます。
しかし今回は、どうしても行きたいところと、どうしても会いたい人が関東地方にいたので、ゴール翌日も500キロ走りました。
宿をとった金沢から上越まで北陸道を北上、上信越道で長野から群馬、栃木、茨城へまでたった1日で500キロ走ったのです。
つまり、5月26日で500キロ、5月27日で500キロ、2日で1000キロを走破しました。
そして1000キロ走った翌日は、茨城から東京の東久留米を経由し、長野県諏訪に宿をとり、最終日は、諏訪から中央自動車道を使って名神、新名神、山陽道で帰宅したのです。
総走行距離は2007キロとなりました。
計画をたてたときは、かなり不安でしたが、今までの経験値からすると、できそうにも思えました。あとは自分の体力と集中力がもつかどうかでしたが、62歳目前の新たな挑戦は、ボルティを倒すこともなく、満点ではないけれど、まあまあ成功でした。
来年のラリーでは、この挑戦を踏まえて、もう少し新しい何かを付け加えられる元気な私でいたいです。
2025年6月4日
大江利子
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