クーポラだよりNo.124~中3の夏の読書感想文~
1979年(昭和54年)7月、中3の私は夏休みを利用して、分厚いハードカバー2冊に渡る長編小説「風と共に去りぬ」の読破に挑戦しました。
「風と共に去りぬ」の作者は、1900年アメリカジョージア州アトランタに生まれたマーガレット・ミッチェルです。
ミッチェル女史の父はアトランタの弁護士協会や歴史協会会長を務め、地元史に精通し、彼女の母方の親戚は南北戦争経験者たちで「風と共に去りぬ」にはその影響が色濃く出ています。
ミッチェル女史の執筆活動は新聞社「アトランタ・ジャーナル」に就職し、日曜版のコラムを担当したことに始まります。
しかし、最初からジャーナリスト志望ではなく、もともとは医学を志していました。
大学で医学を学んでいたミッチェル女史は、1919年に大流行したインフルエンザによって母が亡なり、母の代わりに家の切り盛りをするため、故郷に戻って就職したのでした。
このことも、「風と共に去りぬ」の主人公の母が腸チフスによって亡くなり、主人公が故郷タラに戻るところに反映されています。
ミッチェル女史は2度の結婚経験があり、1度目は22才、2年後に離婚し、2度目の夫が「風と共に去りぬ」の執筆に協力的でした。
ただし、出版目的ではなく、ミッチェル女史が足を骨折し、その療養中の心の慰めとして始めた創作活動でした。
原稿は約10年かけて完成し、たまたまミッチェル女史のもとを訪れた編集者の目に留まり、1936年6月30日に出版されるや否や空前絶後のベストセラー、翌年ピューリッツァ賞を受賞しました。
3年後の映画化でも世界的な大ヒットを飛ばし、第12回アカデミー賞は10部門のオスカーを受賞したのです。
主婦から一気にベストセラー作家になったミッチェル女史は、次作を期待されましたが、持てる力をすべて注いで完成させた作品だからと次作の筆は持とうとしませんでした。
風と共に去りぬの出版から13年後、交通事故がもとで、ミッチェル女史は48歳でなくなり、遺言によって彼女の未発表原稿はすべて破棄されました。
なんと高潔な意志の持ち主なのでしょう。
私が「風と共に去りぬ」を初めて知ったのは映画です。
日本初テレビ放映となった1975年10月8日と10月15日で、当時小6の私は夢中になって見た記憶があります。
映画を見ると、原作が読んでみたくなり、15歳の誕生日に買ってもらった河出書房出版の世界文学全集21、22巻の読破に挑戦したのです。
以下、中3の私が書いた読書感想文です。
風と共に去りぬを読んで
三D 山本利子
今まで読んできた小説の中で、愛について考えさせられたものは、なかったように思える。
一口に愛といっても色々あるが、この小説では男性と女性の間に生まれる愛と、相手を思いやる愛がテーマなのではないかと思う。
まだ人生経験の少ない、まだ十五年しかこの世に存在していない私がこんな事を考えるのは早いかもしれないが、ここで今まで考えていた事、この小説を読んで考えたことを述べたいと思う。
私が今まで考えてきた愛、愛の表現とは、相手に尽くす、いたわる、大事にするとことが愛、愛の表現だと思っていた。
ただ相手を思っていっしょにいたいと、という独占欲のある愛は本当の愛ではないと思っていた。
しかしこの小説を読んでみて、独占欲のある愛も真実の愛だとわかった。
レット・バトラーが風のようにスカーレットの前にあらわれては、愛を告白し、最後はスカーレットが自分を愛していなくとも、強引に結婚し、スカーレットの第3番目の夫となった。
レットは真実、スカーレットを愛していた。
これは独占欲のある愛だと私は思った。
それから、スカーレットが単純な理由でアシュレを愛するようになり、レットが自分の前を去るまでアシュレを追い続けることを止めなかった。
このスカーレットがアシュレに対する愛は、私が先ほどまで真実の愛だと考えていた、「態度で示す愛」の典型的なものだろう。
この愛のためアシュレは男としての意地を失ってしまう。
つまりスカーレットがいいと思ってしたことはアシュレにとって悪いようにしかならない。
なんとアシュレは哀れだろう。
スカーレットを愛しているのにスカーレットからくる愛の報酬は仇にしかならないとは。
それに気づかぬスカーレットも哀れだ。
つまり彼女は子供なのだ。
愛に対してはまったく無知なのである。
彼女は自分にくる愛はきづかず形のない夢のようなうその愛を追い続ける。
そして自分を愛しているものには、その愛をとりあげて、利用する。
そのため、三人の男性が犠牲になり、そして命を落とした。
ではそんなスカーレットをなぜレットは愛したのだろうと私は思う。
彼は何もかも見通していたはずなのに。
そんなことは気づかないはずはないのに。
いや彼だけではない。
ほとんどと言っていいほどすべての男性が彼女のとりこになる。
女の私の目から見て、美しさ以外は彼女の魅力はこれといってないのだが。
男性というものは美しさだけでなく相手の性格に魅力を感じるのだろうか。
しかし愛というものは不思議なものだ。
人間の人生、運命は愛によってその歯車が回転し、推し進められているのだろうと思う。
なんと愛は私たちのまわりに大きく君臨するのだろう。
愛はいつも、私たちを育くみ、見つめ、いたわり、そして苦しみを与える。
この小説を読んで、愛のすべてがわかったわけでもないけれど、若い私にとって大きな収穫だったと思う。
この感想文は毎年発行される母校高揚中学校の校誌に掲載されたものです。
本棚の整理をしていたら、懐かしい冊子が見つかり、約半世紀ぶりに自分の書いたものを読み返しました。
そして反省しました。
あのころのように、もっと真剣に本を読もうと。
2025年7月6日
大江利子
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