クーポラだよりNo.127~悲劇オペラと喜劇オペラ~


独身時代は、バッドエンドの物語が好きで、悲劇オペラばかりを歌っていました。


コンクールに出場するときやコンサートなど、オペラのアリア(オペラの独唱部分のこと)を人前で歌うときは、悲劇の世界に入りこみ、心ごとすっぽりと呑みこまれることに何の違和感も覚えず声を出していました。


幼い頃から喘息があり、学校を休みがちな私は独りぼっちで過ごすことが多く、また家の中も、大人の事情を内包する両親のため、気まずく冷ややかな空気が漂う家庭で育ったので、喜劇よりは悲劇の方に居心地の良さを感じていたのでしょう。


また、私が留学の地に選んだオペラのメッカ、イタリアでは、上演回数の高い人気オペラは、悲劇だったので、主人公が悲惨な結末を迎えるオペラばかりを勉強することに何の抵抗もありませんでした。


悲劇オペラのうち、オペラにさほど詳しくない人でも、題名だけは耳にする代表的なものにヴェルディの「椿姫」と」「アイーダ」があります。


椿姫のラストは、高級娼婦の主人公が恋人を失い財産も失い絶望の淵の中で結核が悪化し、若くして亡くなります。


アイーダの方は、愛する人とは一緒ですが、祖国を失い、生きたまま石のお墓の中に埋められてしまいます。


どちらもかなり悲惨な結末ですが、それを作曲したヴェルディ自身も若い時に不幸を味わった人でした。


1813年に生まれ1901年に亡くなったヴェルディは、イタリア紙幣に描かれたほどの国民的作曲家です。

87歳でその生涯を閉じるまで26曲のオペラを作曲し、そのほとんどは悲劇で、喜劇はたった2曲だけ、27歳の時に作曲した2番目のオペラ「一日だけの王様」と、79歳の時に作曲した最後のオペラ「ファルスタッフ」です。


その2つの喜劇の間は、52年も悲劇だけを作曲し続けたヴェルディですが、それには理由がありました。


デビューしたばかりのヴェルディは、26歳の時から幼い子供たちや妻を相次いで病気で失い、精神的には失意のどん底にありました。


しかし劇場との契約もあり、それを跳ね除けて完成させた、喜劇オペラ「一日だけの王様」は、興行的には大失敗で、初演はブーイングの嵐で終わりました。


初演に臨席したヴェルディは生涯2度と喜劇を作曲しないと思い詰め、「ファルスタッフ」のペンを持つまで半世紀以上もの時が流れたのです。


悲劇オペラを得意とするイタリアオペラの作曲家は、ヴェルディの他にもうひとり重要な人物がいます。

ヴェルディよりも45歳若いプッチーニです。

「蝶々夫人」の作曲家として日本人には馴染み深いプッチーニは、1858年に生まれ1924年、65歳でその生涯を閉じました。

ヴェルディより短命だったプッチーニは12のオペラを作曲しました。

ヴェルディの半分以下の作品数ですが、そのほとんどが世界のどこかの劇場で常に上演されているという、不滅の人気をもつオペラを作曲しました。

代表的なものをいくつかあげれば「マノンレスコー」「ラ・ボエーム」「蝶々夫人」で、もちろん悲劇です。

プッチーニが悲劇オペラをたくさん作曲したわけは、ヴェルディのように愛する家族を次々と失うという不幸な目に遭ったからではなく、彼が生み出す音楽が、蝶々夫人のアリア「ある晴れた日に」に代表されるように、甘美で覚えやすく、可憐なヒロインが若くして、ドラマチックな死を迎えるというストーリー展開にピッタリだからです。

独身時代の私は、これらヴェルディやプッチーニの有名なアリアだけでなく、総譜を買い込み、オペラ全幕を練習したものです。

いつか悲劇オペラのヒロインを歌えるチャンスがくるかもしれないと夢見ながら。

しかし、結婚を境に悲劇オペラよりも、喜劇オペラの方に魅力を感じるようになりました。

喜劇オペラの王様と言える作品は、何と言ってもモーツアルトの「フィガロの結婚」です。

原作小説は、絶対王政の君主フランス国王が非常に警戒したお話しで、封建社会を痛烈に風刺した物語です。

平民が知恵を働かせて、暴力に訴えることなく貴族を懲らしめるという愉快な結末ですが、モーツアルトが作曲したオペラ「フィガロの結婚」には、そんな政治的な色合いはなく、楽しく愛らしい物語です。

侯爵家に仕えるフィガロと女中のスザンナは恋仲ですが、その二人が結婚式をあげる日に、その結婚を阻む人や応援する人など、周りの人の思惑が、チャーミングなモーツアルトの音楽によって絡み合いながら、幸せな結末を迎えるというものです。

まるでいつの世でもどこの国でも、当たり前に起こる男女間の誤解や嫉妬、口喧嘩や仲直りする様子が、オペラになっているのです。

私は、結婚して主婦になっても、オペラの勉強はずっと続けてきましたが、いつしか悲劇オペラよりも、「フィガロの結婚」のような喜劇オペラばかりを好んで練習するようになりました。

夫との穏やかな結婚生活によってバッドエンドよりもハッピーエンドに親近感が芽生えたのかもしれません。


また結婚生活があまりにも幸せだったので、悲劇に対して免疫がなくなり、バッドエンドのオペラを勉強すると、その世界観に吞みこまれてしまいそうで、歌いたくなくなったのかもしれません。


最近、悲劇に免疫があった独身時代でさえも避けていたプッチーニのオペラ「トスカ」の有名なアリア「歌に生き恋に生き」を練習し始めました。


なぜ避けていたかというと、「トスカ」は、蝶々夫人や椿姫のように、心優しく薄幸なヒロインが死を迎えるという哀れなだけのバッドエンドではなく、殺人や自殺や拷問シーンが出てくる暴力的で悲惨な結末を迎えるという酷いお話しなのです。


悲劇に耐性があった独身時代の私でも、さすがに「トスカ」だけは、同化して歌う気が起きず、ずっと避けていたのです。


ただ、その音楽は、甘美な旋律を生み出す天才プッチーニですから、「トスカ」の酷い物語を忘れさせるほどの魅力あるオペラで、トスカが歌う「歌に生き恋に生き」は往年のソプラノ歌手の十八番となっています。


私の声楽の生徒さんが、このアリアに挑戦してみたいそうなので、私も練習を始めたというわけです。


練習を始めると、意外と違和感なく、歌の世界に没頭できている自分がいて不思議です。


いろいろな人生経験が私にゆとりを与え、悲劇オペラの世界に呑まれることなく歌える強さが備わってきたのかもしれません。

2025年9月29日

大江利子

クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

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