クーポラだよりNo.122~最近の流行の発声について思うこと~
「何か練習したい歌はありませんか?リクエストを下されば自習練習できる動画を作りますよ」
最近の私は、親しくなった人からリクエストをいただき、歌の自主練習動画を作成し、YouTubeで公開しています。
私の自主練習動画の特徴は歌詞だけでなく楽譜も付いていることです。
つまり弾き語りをしている私の歌声に合わせて映画の字幕のように歌詞と楽譜が同時に流れるのです。
この楽譜と歌詞付きの動画を作るには、大変な手間と時間がかかります。
しかし出来上がったときの達成感は、その労苦を忘れるほどに大きく、またリクエストをしてくれた人も喜んで使ってくれるので、自分の弾き語りが誰かの役に立つことが嬉しくて、寝不足と戦いながら、せっせと動画を作り続けています。
リクエストは、私の専門のオペラに限らず、何でも喜んで受け付けています。
アニメソング、シャンソン、映画音楽、フォークソング、昭和歌謡、いろいろなジャンルのリクエストをいただきますが、もしもリクエストをいただかなかったら、オペラ一筋の私にとっては、積極的には出会うことのない曲ばかりなので、強制的に視野が広がり、とても良い勉強になっています。
そしてそのリクエストによって最近の音楽の流行もわかり、感心させられたり、憂えたりもしています。
感心させられたことの中で、最も印象的なことは、ロックバンドの男性歌手、大森元貴さんの驚異的な声域とその美しい裏声です。
オペラを専門とする私の声域は五線よりも下のファから五線よりも上のミまで、つまり約3オクターブあり、ソプラノ歌手としては普通よりやや広い方ですが、大森元貴さんの声域(裏声も含む)はさらに広く、3オクターブ半あり、まるでひとりの人間の中に、テノール歌手とソプラノ歌手が混在しているようです。
これまで裏声を使う男性歌手は幾人もいましたが、大森元貴さんのように地声と裏声を自由自在に操りながら小鳥がさえずるように楽々と高音を出せる歌手を私は他に知りません。
また往々にして裏声を使った歌声は弱過ぎたり、金切り声に近かったりで、耳心地も悪く、美しく聞こえないものですが、大森元貴さんの裏声は瑞々しくて艶やかで、しかも力強いので、圧倒的な歌唱力を持っています。
初めて彼の裏声の歌声を聞いたとき、私はすぐにジェラール・コルビオ監督の映画「カストラート」の主人公のファリネッリを思い浮かべたほどです。
カストラートとは、ボーイソプラノ時代の美しい声を大人になっても保つため、変声期を迎える前に去勢手術を受けた男性歌手のことで、今でこそカストラートは存在しませんが、彼らが活躍した全盛期は、その美しい歌声に人々が酔いしれ、特に優れた歌唱力をもつものはスーパースターだったようです。
そして映画になったファリネッリの声域は3オクターブ半、彼の歌声を聞いた女性はその驚異的なテクニックと美声に失神したとの記録がヨーロッパ各地に残っています。
ファリネッリの美声は、ナポリの高名な声楽教師ポルポラに師事したことにより身につけたと言われています。
私もそのポルポラが作曲した練習曲集をミラノの楽譜店で見つけて購入し、練習してみましたが、ファリネッリの驚異的な発声の秘密がわかる気がしました。
一般的に声楽の練習曲は、朗々と声を響かせることと、音と音を綺麗なレガートで繋いで歌えることを一番の主眼とするために叙情的な旋律が多いのですが、ポルポラの練習曲は異なります。
まるでピアノやバイオリンの運指のためかと誤解するくらい機械的な旋律の練習曲なのです。
音階の激しいアップダウンや、トレモロのような細かい動きを含むメロディーを、どんなに速いテンポでも正確に歌えるようになることを主眼とした練習曲で、これが完璧にマスターできた上で、ボーイソプラノの美しい声を響かせることができたなら、ファリネッリのような歌手が誕生しても不思議はないと思います。
大森元貴さんの歌声は、どうやって身につけたかは謎ですが、ポルポラが要求したような技巧の正確さ、ボーイソプラノのような美しい裏声の両方を合わせもっているのです。
さらに付け加えるなら、楽曲の作詞作曲も大森元貴さん自身なので、凄い天才が現れたものだと感心しているところです。
さてもう一方の憂えることですが、最近の若い日本人女性歌手の発声です。
発声をする体の器官は、声帯と呼ばれている喉の中にある二枚の粘膜ですが、この粘膜は息を吸う時は開き、声を出す(息を吐くとき)ときはぴったりとくっつき1本の弦のようになって振動することにより音を出します。
時報や調律に使う基本のラの音は440ヘルツですが、私たちがラを歌うときは、1秒間に喉の中で声帯が440回振動しているわけです。
くっついた声帯は肺から出てくる空気に振動して音を出し、舌や歯にぶつかって言葉を作り、鼻腔や頭蓋骨に共鳴して歌声となります。
この驚くべき高性能な楽器である声帯は宿っている人の体と呼応しています。
華奢な体つきの人の声帯は薄くて高い声が出やすく、頑健で大柄な体つきのひとの声帯は、厚く低い声が得意です。
そして欧米の女性に比べて華奢な体つきの日本人女性の声帯は、ほとんどの人が高い声を得意とするソプラノ(薄い声帯)が多いと言われ、低い声が得意なアルト(厚い声帯)は稀だと言われています。
公立学校で音楽教師の経験ある私は数千人以上の女生徒の声を聞きましたが、やはりソプラノがほとんどでアルトに出会った経験はないです。
それなのに、最近の日本人女性歌手たちは、無理して低い声を出し、本来ならば地声で歌える音の高さを裏声で歌い、優しく女性らしい高い歌声に価値を見出していないように思うからです。
声帯は、どんなに意図的に作った声で歌っていても、生物的に向いていなければ、やがては音声障害を起こし、薄い2枚の膜の柔軟性は失われ、2枚の膜はくっつきにくくなり、息もれして、しゃがれた声しか出させなくなり、最悪の場合はポリープが出来て、歌うことはおろか、話すことさえも不自由になります。
カストラートのような高音の美声をもつ男性歌手がスーパースターとなり、低くてドスの効いた歌声の女性歌手の方に人気が集まるのは時代の流れなのでしょうか?
なぜそんな流行になるのか私には理解できませんが、声帯はそれぞれの人に与えられた唯一無二の楽器です。
流行に振り回されないで、自分の声帯に合った発声法で、健やかな声を保ち、何歳になっても歌を楽しんで欲しいです。
2025年4月29日
大江利子
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