クーポラだよりNo.66~「口入れ屋」と詩吟と素人名人会とみんなの発表会~
上方落語に「口入れ屋(くちいれや)」という、日本の伝統音楽にとっては興味深い演目があります。
口入れ屋とは奉公人に勤め先を紹介する仲介屋のことですが、丁稚(でっち)、仲居、板前など斡旋する職種によって専門が分かれていました。
この落語に登場する「口入れ屋」は、明治の頃、商家の大店(おおだな)が立ち並ぶ大阪の船場(せんば)で、女子衆(おなごし=女中)を斡旋していた店のお話です。
ある日のこと、丁稚の定吉は、口入れ屋でいちばん美しい女性を連れ帰り、女将(おかみ)さんから、お叱りを受けます。
定吉が働いていた商家の奉公人は、住み込みの若い男ばかりでした。
当時、男の奉公人は、丁稚から番頭になるまで長く勤めましたが、女の奉公人は半年契約で入れ替わりました。
半年ごとに女子衆(おなごし)さんが入れ替わるたびに、男の奉公人が色めき立っては商売に障るので、女将さんは、なるべく不細工な女性を口入れ屋から連れ帰るように定吉に言っていたのです。
いつもなら、女将さんのお言いつけどおりにする定吉でしたが、今回は、番頭どんから十銭の駄賃と引き換えに美女を連れ帰るようにと、こっそり頼まれていました。
番頭どんは、暖簾(のれん)分けが決まっていて間もなく晴れて別家(べっけ)し、独立するので、美女の女子衆さんにお嫁さんになってもらおうと、彼女を口説くつもりだったのです。
そうとは知らず、人の良い女将さんは、定吉が連れてきた女性を不細工でないからと、追い返すのは気が引けるし、さりとて、あてにしていた掃除や炊事番などの下(しも)の女子衆さんとして使うにはもったいないと、美貌の彼女に、上(かみ)の仕事であるお針ができるかどうかを尋ねます。
すると美女は、「袷(あわせ)、単衣(ひとえ)、綿入れ、襦袢、羽織袴、十徳(じっとく)、雪駄の裏側、と針が通るものならなんでも縫い上げられる」と恥じらいながら答えます。
次に、三味線は弾けますかと問われた美女は、やはり謙虚に、「地唄、江戸歌、長唄、常盤津、義太夫、清元、端唄、大津絵、伊予節、都々逸、よしこの、追分、騒ぎ唄、新内、源氏節、チョンガレ、祭文、阿保陀羅経(あほだらきょう)…」と、自分ができる日本のあらゆる音楽を立て板の水のごとく答えます。
私が、初めてこの「口入れ屋」聞いたのは、ごく最近ですが、この美女の三味線の口上の部分をとても愉快だと思う反面、恥ずかしく思いました。
なぜなら、地唄も長唄も江戸歌、その他、「口入れ屋」の美女ができるといったいずれも、私は日本人として生まれ育って半世紀以上も経つのに、まったく頭に浮かばなかったからです。
節を耳にすれば、どこかで聞いたことを思い出すかも知れませんが、普段慣れ親しんだクラシック音楽のように、曲の冒頭を聞くだけで、たいていの曲の題名と作曲家が口からでるようなわけにはいきません。
歌舞伎、文楽、箏曲、雅楽など我が国を代表する伝統音楽は、大学時代に知識として身につけ、中学校で音楽を指導していた時代は、生徒に教えなくてはならない曲に限り、勉強しましたが、その他は、まったく自ら親しもうともせず、今日まで過ごしてきたことを反省したのです。
もちろん私が日常の仕事に使う楽器はピアノであり、専門とする発声はオペラを歌うためのものなので、西洋音楽中心になってしまうのは当然なのですが、だからといって、母国の伝統音楽に対して、いつまでも無知なままで良いわけがありません。
このように、日本の伝統音楽も西洋音楽と等しく理解していかなければ片手落ちだ、と私が思い始めたのには、あるきっかけがありました。
それは、おととしの秋に、初めて生の詩吟を聞いたからです。
その詩吟は武田信玄と上杉謙信の戦いを題材にした「川中島」でした。
吟じてくれたのは毎月一回、私が開催する合唱講座に参加していた80代の女性でした。
彼女は人前で吟ずることは自分の良い勉強になるからと、自らすすんで、長年続けてこられた詩吟を披露してくださったのです。
彼女の声は80代という年齢をまったく感じさせず、みずみずしくて清らかな音色で、しかも言葉の発音が明瞭でした。
詩吟は、オペラのように遠くまで声が届き、詩の内容がはっきりと聞き手に伝わるように正しい腹式呼吸を使って吟じることが大切ですが、80代の彼女が、私の合唱講座で、どんな曲も正しい音程で滑らかに歌っておられた秘密を見たように思いました。
そして、合唱も詩吟も等しく取り組み「人前で発表することは自分の勉強になる」という彼女の前向きな姿勢に私は深く感動し、そんな彼女の姿を若い人達に見てもらいたいと思いました。
また同時に日本の音楽も西洋の音楽も、さらには室内できることなら何でもいっしょに発表し合って楽しめたらいいなと思いつき、昨年から「みんなの発表会」というユニークなコンサートを始めたのです。
昨年初回は、詩吟、吹き矢、独唱、ピアノ、バレエ、ヴァイオリン、サキソフォンで、和の演目はふたつでした。
今年の第2回は、バレエ、ピアノ、飛行機、ヨーヨー、シャンソン、歌謡曲、イタリア歌曲、日本歌曲、オペラで、和の演目はなかったものの、一層楽しい会となりました。
1955年から2002年まで続いたテレビ番組で「素人名人会」という演芸を発表し合う視聴者参加型の番組がありました。
素人名人会は「みんなの発表会」のように何でも発表できましたが、和の出し物が中心で、踊りは、日舞や剣舞、楽器は三味線や尺八や筝、歌は民謡や歌謡曲でした。
ピアノを本格的に習い始める以前の小学生の私は、鳴り物なら洋の東西を問わず、何でも好奇心があったので、この「素人名人会」を見るのが大好きでした。
小学校で習う音楽は、西洋音楽中心で、音楽室で触れることができた楽器もアコーディオン、木琴、鉄琴、オルガン、大太鼓など洋楽器ばかりでしたから、「素人名人会」で、一般の人が当たり前のように和楽器を奏し、小さな男の子が袴姿で日舞を踊る姿はとても新鮮でした。
当時の私にとっては、日本の民謡もクラシックもすべての音楽が等しく楽しめたのです。
しかし、音楽大学で専門教育を何年も受けた後の私は、いつしか西洋のクラシック音楽が最上に思えて、その他の音楽の良さを発見することも楽しむことも忘れていたように思います。
けれど、詩吟と合唱を両方とも親しむ彼女の歌声に触発されて始めた「みんなの発表会」で、再び小学生の頃のように、広い視野で音楽を楽しむ自分を取り戻せたように思います。
落語「口入れ屋」の美女のように何でもできる人になれたらいいなと思うと同時に、来年の「みんなの発表会」では和の出し物が増えることをひそかに期待している私です。
2020年8月29日
大江利子
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