クーポラだよりNo.65~浪人とジプシーと音楽の力~
先月7月6日、イタリアの偉大な作曲家エンニオ・モリコーネが亡くなりました。
1928年(昭和3年)、ローマで生まれたモリコーネは、音楽の守護聖人サンタ・チェチーリアの名を冠する国立音楽学校「サンタ・チェチーリア音楽院」でトランペットと作曲を学んだ人ですが、映画音楽の作曲によって彼の才能は開花しました。
500曲以上の映画音楽を作曲した中で、モリコーネの名前を最も有名にしたのは、「Nuova Cinema Paradiso(ヌォーヴァ・チネマ・パラディーゾ)=ニュー・シネマ・パラダイス 」のテーマ音楽です。
ニュー・シネマ・パラダイスの主人公は、戦争未亡人の母と幼い妹との3人暮らしの少年サルバトーレです。
サルバトーレは、小学校が終わると一目散に教会で映画を上映している映写技師のアルフレードのところへ行きます。
映画館がなかったサルバトーレの街では、教会がその代わりをしていました。
娯楽の少ない街では、映画を見ることは人々の大きな慰めと喜びで、教会の祭壇の裏側の狭い部屋で、たった独りで一年中休むことなくアルフレードは映写機を操作していました。
戦争のために小学校の課程も満足に終えることができなかった無学なアルフレードは、他に生きていく術(すべ)がなかったこともありますが、人々が映画を見て、泣いたり笑ったりする姿を見ることが何よりもの生きがいと感じ地味な仕事である映写技師をしていたのです。
映画が大好きなサルバトーレは、仕事の邪魔だからとアルフレードから追い払らわれても、少しも懲りずに毎日、教会に行って彼の仕事を観察するうちに映写機の操作方法を覚えてしまうほどでした。
我が子がいないアルフレードは、サルバトーレのことを、本当の息子のように愛しく思えて、ふたりの間には親子のような心の交流が芽生えていきました。
アルフレードの大きな父性愛を代弁するかのような、人の心を優しく包み込み、どこか懐かしい音楽をモリコーネは、この映画のために作曲しました。
1988年、ニュー・シネマ・パラダイスは、このモリコーネの音楽に乗って、世界的な大ヒットを飛ばし、アメリカ映画嗜好が強い日本でも、イタリア映画の魅力に開眼させられました。
ニュー・シネマ・パラダイスの監督は、当時32歳のジュゼッペ・トルナトーレで、還暦を迎えた60歳のモリコーネとは、サルバトーレとアルフレードのように親子ほどの年の差があるコンビでしたが、その後もふたりは「みんな元気」「マレーナ」「シチリア!シチリア!」など、イタリアの魅力がふんだんに詰まった名画を世に送り出していきました。
トルナトーレには、心温まる曲を提供したモリコーネですが、彼自身が30代の頃は、西部劇の名監督セルジオ・レオーネのために、野生的な音楽を作曲していました。
「荒野の用心棒」は、レオーネ監督とモリコーネが組んだ西部劇で俳優クリント・イーストウッドの出世作として有名なマカロニウェスタンですが、日本と特別な因縁のある映画です。
1964年(昭和39年)に制作された「荒野の用心棒」は、その3年前に公開された黒澤明監督の「用心棒」にそっくりだったのです。
ふたつの映画の違いはガンマンが登場する西部劇か、侍が登場する時代劇かの違いだけで、どちらも、ふらりと現れた主役が、街で対立していた影の組織を全滅させて去っていくという物語です。
セリフや細かい演出も、何もかもそっくりなのにもかかわらず、レオーネ監督はオリジナル側の日本の映画会社と黒澤監督に、無許可で「荒野の用心棒」を公開したため、訴訟騒ぎに発展し、裁判は日本の東宝が勝訴し、賠償金の支払いで決着しましたが、そもそもの盗作の発端は、レオーネ監督が黒澤監督の「用心棒」を見て、とても感動したことによるものです。
その後、黒澤監督は、盗作問題はわきにおいて、映画の先進国であり、芸術の国イタリアの名監督から真似されるほどの名誉に浴した「用心棒」の続編として「椿三十郎」を制作しました。
「椿三十郎」も「用心棒」同様、ふらりと現れた浪人が、武家の汚職問題を解決し、見返りをもとめず、去っていくという筋書きです。
ふらりと現れた人が厄介な問題を解決し、また去っていく、つまりアメリカ映画の傑作「シェーン」のような筋書きは、映画や舞台作品にはとても魅力的なのです。
レオーネ監督も「荒野の用心棒」のあとも、「夕陽のガンマン」、「続夕陽のガンマン」と引き続きクリント・イーストウッドを主役にして、同様の筋書きで映画を制作しました。
日本では、「椿三十郎」のように、武士の身分でありながら主家を失い、諸国を浮浪する侍を浪人、ヨーロッパでは、定住せずに放浪している人たちをジプシーと呼びます。
平凡な浪人やジプシーは芸術の題材としては、面白くありませんが、非凡な存在、例えば宮本武蔵や坂本龍馬のような魅力ある人物は、ドラマや映画の主役に引っ張りだこです。
オペラ「カルメン」では、どんな男性をも虜にする魔性の魅力をもつジプシーの女性が主人公です。
オペラのラストにカルメンは、元恋人からナイフを突き付けられて復縁を迫られますが、「死なんて恐れない、私は自由気ままに生きるのだ」と高らかに歌い、元恋人に殺されてしまいます。
フランスの小説家メリメが執筆した原作では、色恋のもつれから殺されたジプシー女の暗い小説なのに、オペラでは、ビゼーが作曲した美しくて官能的な音楽の力によって、カルメンは情熱のままに生きた自由奔放なヒロインとして表現されています。
音楽の力を借りると、不道徳な人物も、非現実な筋書きも、人は素直に受け入れて感動してしまうのが不思議です。
いつも安心が保証された生活をしていると、反対のことに魅力と憧れを感じてしまうものなのかも知れません。
バレエにもジプシーの女性が主役になった素敵な作品があります。
「レ・ミゼラブル=ああ無情」の作者のヴィクトル・ユーゴの小説「ノートルダムのせむし男」をもとにしたバレエ「エスメラルダ」は、パリにふらりと現れた、エスメラルダという名の美しいジプシーの踊り子が主役です。
バレエ「エスメラルダ」の音楽を作曲した人は「ニュー・シネマ・パラダイス」のモリコーネと同じイタリアの作曲家チェーザレ・プーニで、彼より126年前の1802年に生まれ1870年に68歳で亡くなるまでにバレエ音楽を300曲以上残しました。
プーニは、バレエと切り離なされて、彼の音楽だけを演奏会で耳にする機会の少ない作曲家ですが、非現実なストーリーを納得させるプーニ音楽の力は、チャイコフスキー同様に素晴らしいものです。
来月8月、私は自分が企画した第2回目の「みんなの発表会」で、バレエ「エスメラルダ」より、情熱的な一曲を踊りますが、プーニの音楽の力を借りて、50代後半の私でも魅惑的なバレエが踊れるようにと、お稽古に励む毎日です。
2020年7月29日
大江利子
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