クーポラだよりNo.64~プルチネルラとベルガンサとみんなの発表会~
「プルチネルラ」は、ナポリの恋人たちの痴話げんかを描いたコミカルなバレエです。
町娘ロゼッタとプルデンザは、自分の恋人に飽き飽きし、色男のプルチネルラに惹かれています。
娘たちから秋波をおくられたプルチネルラは、美しい妻ピンピネルラを持つ身でありながら、娘たちの期待に応えて戯れの恋を楽しみます。
そんな様子を見て、嫉妬に狂った娘たちの恋人カヴィエルロとフロリンドは、闇夜にプルチネルラを襲います。
命の危険を感じたプルチネルラは、死んだふりをして暴挙をかわします。
カヴィエルロとフロリンドは、動かなくなったプルチネルラを見て、自分達が犯した罪に恐ろしくなり、その場から逃げ出してしまいます。
一方、知恵者プルチネルラは、友人フルボに自分の変装をさせて死体になってもらい、離れたところから街の人たちの反応を伺います。
まず、やってきたのは妻のピンピネルラで、愛しい夫の哀れな死体を見て半狂乱です。
嘆き悲しむ彼女のもとへ街の人々が集まり、皆悲しみに暮れているところに、本物のプルチネルラがひょっこりと現れて、一同は幽霊が出たと勘違いし、大騒ぎになります。
しかし、実はプルチネルラは生きていて、死体は変装した友人だと判明し、町娘と若者も仲直りし、大団円におさまります。
この大衆芝居のような「プルチネルラ」は、17世紀のイタリア仮面喜劇「4人の瓜二つのプルチネルラ」を参考にしてつくられたバレエで、1920年5月15日、ロシアのバレエ団「バレエ・リュス」によって、パリ・オペラ座で初演されました。
「バレエ・リュス」は興行師セルゲイ・ディアギレフによって結成されたバレエ団です。
1872年、ディアギレフは、帝政ロシアの裕福な地方貴族の息子として生まれ、大学在学中の彼は、本業の法律の勉強にはまったく身が入らず、芸術家になりたくて、作曲家リムスキー・コルサコフのもとで個人的に音楽を学んでいました。
しかし、師のコルサコフから作曲の才能がないことを明言された彼は、自分が愛する芸術を世の中に紹介することに情熱を傾けるようになります。
当初ディアギレフは、私財を投じ、買い集めた絵画の展覧会を開いていましたが、次第にオペラやコンサート興行で成功をおさめ、ついには新進気鋭の人材を集めたバレエ団「バレエ・リュス」を結成し、世界各地を巡演してバレエ界に革命をおこします。
バレエ・リュス登場以前のバレエは、伝統の型からはみ出さず、そのパトロンである王侯貴族に受けの良い、格調高く優雅な芸術でした。
「白鳥の湖」に代表されるように、贅沢な空間の広い舞台で、華やかな衣装をまとったバレリーナの正確な回転や跳躍、猫のように柔軟な四肢と爪先立ちの踊りで観客を魅了することがバレエでしたが、大衆にとっては、どこか近寄り難い芸術でした。
しかし、バレエ・リュスのバレエは、自分達でオリジナルな作品を創造し、伝統に縛られない斬新なステップで、広く一般に親しみやすい芸術でした。
たとえば、1919年ロンドンで初演されたバレエ・リュスの「三角帽子」は、衣装と舞台のデザインはピカソが担当し、美人の粉ひき屋の女将に悪代官が恋をするという歌舞伎の世話物のような筋書きのバレエです。
バレエ・リュスの活動期間は、1909年の旗揚げ公演から、ディアギレフの死とともに解散した1929年までですが、その20年間に、「春の祭典」「シェヘラザード」「火の鳥」など、現代のバレエ上演に欠くことのできない重要な作品をつぎつぎと誕生させました。
それにしてもなぜ、ディアギレフ個人によって結成された小さなバレエ団に、バレエ界の流れを変える革新力があったのでしょうか?
それはディアギレフが、バレエ公演にとって難しいことを逆手にとり、柔軟なアイデアで新しい形のバレエを創り続けたからです。
国や王から手厚く保護されていた伝統的な国立や王立バレエ団とは違い、専用の劇場を持たない流浪の集団バレエ・リュスが、二つの大戦にはさまれ世情不安な時代に、巡業先で公演を成功させるには、舞台演出はなるべく簡素で小人数のダンサーで、観客を夢中にさせなければなりません。
この難題を常に抱えていたバレエ・リュスは、伝統や常識は無視して、一般大衆の観客が、すぐに理解できて、作品の最初から最後まで目が離せないほど興味をそそられるバレエを創ることに重きを置いたので、プルチネルラのような傑作が誕生したのです。
プルチネルラは、バレエ・リュス作品の中でも際立って面白いバレエですが、音楽が特にユニークで、作曲は「春の祭典」のストラビンスキーが担当しました。しかし本人のオリジナルではなく、ディアギレフがナポリの音楽学校の図書館で見つけた17世紀のオペラを、ストラビンスキーが編曲してつなぎ合わせたもので、古典オペラのアリア(ソロの歌)で、ダンサーが踊ります。
プルチネルラのもっとも有名なアリアは、メゾソプラノによって歌われる「Se tu ’ami(セ・トゥ・マ・ミ=もしもあなたが私を愛してくれるなら)で、26歳の若さで世を去った、作曲家ペルゴレージのオペラの1曲です。
バレエ好きな私の夫は、プルチネルラが特にお気に入りで、いろいろなバレエ団のプルチネルラのレーザディスクを集めて、見比べていましたが、夫一押しの一枚があります。
それは、オランダのバレエ団、スカピーノ・バレエのプルチネルラです。
スカピーノバレエ団は、第二次世界大戦直後1945年に結成され、学校巡回公演を通じて子供たちにバレエの楽しさを伝えることを大切にしてきたダンサーグループです。
そんなスカピーノバレエ団のプルチネルラの演出はとても単純で、普段着にしたいような可愛い衣装を身につけたダンサーが、子供たちが真似をして踊りだしたくなるような楽しいステップで踊ります。
そして「Se tu m’a mi」を歌っているのは、スペイン出身のオペラ歌手テレサ・ベルガンサです。
ベルガンサは、超一流の歌劇場で主役を歌い続け、バルセロナ五輪の開会式で歌った経験をもつメゾソプラノですが、その世界的な歌手ベルガンサのコンサートが1997年2月16日、香川県志度町で開かれました。
私と夫が、香川県志度町のコンサート会場に足を運んだのは言うまでもありません。
23年前、四国の小さな街の音楽ホールの舞台に登場したベルガンサは、シンプルな黒のパンツ姿で、プログラム内容も、シューベルトの魔王など、学校で習うような歌が中心で親しみやすい曲目でした。
コンサート終了後、私と夫は、ベルガンサに、彼女が歌ったスカピーノバレエのプルチネルラのレーザディスクのジャケットを差し出し、サインを乞いました。
サインをしているベルガンサに、私はイタリア語で質問しました。「Lei ha ricordato questo lavoro ?レイ・ア・リコルダート・クエスト・ラボーロ(あなたはこのお仕事を覚えておられますか?)
すると、ベルガンサは「Si si ,Certo!シ、シ、チェルト!=ええ、もちろん」と人懐っこい笑みを浮かべながら答えてくれ、私と夫はとても幸せな気持ちで家路につきました。
今年の夏、私は、自分が企画した新しい形の発表会の第2回目を開くことを決心しました。
バレエでも歌でも詩吟でも、ジャンルを問わず、老若男女年齢を問わず、発表したい人なら誰でも大歓迎というユニークな会「みんなの発表会」を昨夏初めて開催し、とても好評だったからです。
コロナウィルス影響で制約ある状況ですが、バレエ・リュスのように難題を逆手にとり、ベルガンサのコンサートのように、わかりやすい内容で、会に参加された方々全員に幸せな気持ちになってもらえるように知恵を絞り、会を成功させようと思います。
2020年6月29日
大江利子
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