クーポラだよりNo.63~ベートーベンの遺髪と私の病気~
1994年に公開された「Immortal Beloved(不滅の恋人)」は、ベートーベンを描いた映画です。
映画のあらすじは、ベートーベンの死後、彼の秘書が、「自分の楽譜、財産全てを「不滅の恋人」に捧ぐ」という遺書を発見し、ベートーベンと交流のあった女性を訪問し、不滅の恋人が誰なのかを探しあてるというものです。
訪問を受けた女性たちは、ベートーベンと過ごした日々を回想し、天才作曲家の人間的な面を浮き彫りにしていきます。
ベートーベン役には、徹底した役作りで有名なイギリス俳優ゲイリー・オールドマンで、自らもピアノの才能がある彼は、吹き替えを使わず、違和感のないベートーベンを演じています。
不滅の恋人候補の女性役に、ロッセリーニ監督と女優イングリット・バーグマンを両親にもち、母の知的な美貌を受け継いだイサベラ・ロッセリーニが演じています。
結末は、意外な展開で終わるフィクションですが、だんだんと耳が聞こえなくなり周囲との意思疎通がうまくいかないベートーベンの孤独感が胸に迫る、せつない映画です。
不滅の恋人を探して旅する秘書は、実在人物でアントン・シンドラーという音楽家で、ベートーベンの伝記を最初に残した作家です。
ただし、ベートーベン研究が進むにつれて、このシンドラーの本は、捏造があり、彼の著書の信用度は、今では失墜しています。
生前ベートーベンは、シンドラーのことを嫌っていましたが、亡くなる前に、世話をしていたのは、彼だけだったため、天才作曲家の貴重な資料が、シンドラーの手元に渡りました。
シンドラーはそれらをもとに、「ベートーベンの生涯」を書き上げましたが、自分の本に都合の悪い資料や、ベートーベンが、(400冊はあったと推定される)会話に使った筆談帳を破棄し、改ざんしていたことが、新しい研究が進むにつれて、露呈してしまったのです。
一方、ベートーベンの形見を大切に保存していた人によって、学者たちの論争の的だったベートーベンの不名誉な病気について終止符が打たれました。
その形見とは、ベートーベンの遺髪です。
1827年3月26日、ベートーベンは56歳の生涯を閉じますが、死の直前に、友人である作曲家のフンメルの心からのお見舞いを受けました。
フンメルは自分の弟子の16歳の少年も、お見舞いに同行させていました。
少年は、フェルディナント・ヒラーという名前で、のちには、メンデルスゾーン、ショパン、シューマン、ワーグナーたちと親交を結ぶ作曲家に成長した人です。
ヒラー少年は、1827年3月27日、棺におさめられたベートーベンの遺体から、毛髪を一房切り取り、木製の小さな楕円形のロケットにその遺髪をおさめて、宝物として一生大切にしていました。
このヒラーの宝物は、彼亡きあとは、息子が受け継ぎ、その後、数奇な運命をたどって無事に現代まで受け継がれました。その事実は「ベートーベンの遺髪」という本にまとめられています。
2世紀も、ロケットの中におさめられていたベートーベンの毛髪は、1995年に初めて鑑定され、新事実がわかりました。
亡くなった直後、ベートーベンの遺体は解剖され、彼の肝臓は革のように縮んで結節ができ、腎臓は石灰化して、脾臓は黒く硬化しその他の内臓も傷んでいたことがわかっていました。
しかし、これらの内蔵損傷の原因は何の病気であったかは、当時の医学では解明できずに、ベートーベンは梅毒や淋病に感染していたと、非礼極まりない説を述べる学者もいました。
しかし、ヒラーが保存していたベートーベンの遺髪を鑑定し、その中には鉛が大量に含まれていたことが解明され、梅毒や淋病の証拠はありませんでした。
大量の鉛が残っていた理由を断定はできませんが、ベートーベンが好きだった、赤ワインには、当時添加物として鉛が使われ、また食器や水道管にも同様に鉛が使われていたので、徐々に作曲家の内臓に蓄積し内臓を傷つけてしまったのでは、と言われています。
また、毛髪鑑定の結果、楽聖ベートーベンの偉大な創作欲を証明する事実も明らかになりました。
それは、ベートーベンを苦しめていた疝痛にモルヒネが使われていなかったことです。
当時、モルヒネは、鎮痛剤として一般的に使用されましたが、死の床にあっても作曲をしたかったベートーベンは、モルヒネによって意識が混濁することを拒んだのでした。
音楽家にとって致命傷となる聴覚異常がベートーベンを襲ったのは20代の頃からです。
激しい耳鳴りや難聴に悩まされ、徐々に聞こえなくなっていく恐怖で、32歳の時に自殺を考え遺書まで書いた彼ですが、新しい音楽を作曲したいという創作欲が、聴覚を失う恐怖に打ち勝ちました。
40歳には完全に聴力を失ったベートーベンですが、彼の創作の泉は枯れるどころか、ますます新しい世界まで到達し、亡くなる3年前の53歳の時には、人類の宝と呼ぶにふさわしい第九交響曲を作曲したのです。
ところで、私も30代の頃、自殺を考えたことがありました。
37歳の夏、突然襲ってきた激しいかゆみによって、夜はほとんど眠れなくなり、首から下のあらゆる関節の周辺に発生した皮膚炎によって、全身かきむしって血だらけになりました。
かゆみから開放される時は一瞬もなく、夜は眠れず、外出もままならず、発狂しそうになり、車ごと川に飛び込もうと思い、夜中に死に場所を探して、何時間も車を走らせたことさえありました。
けれど、命を絶つ勇気はとうとうでなくて、家に帰り、かゆみに襲われ、身体中かきむしり、眠れず苦しみ続けました。
そんな私の唯一の救いは、毎日のおけいこでした。
どんなにかゆく、寝ていなくても、歌とピアノを練習し終えると、精神の均衡は保てたのです。
皮膚科医が処方する対処療法的な塗り薬を使ったこともありましたが、悪化するだけでした。
それよりは、おけいこをする方が精神に良い作用を及ぼし、かゆみを我慢し、かきむしってしまう手を止めることはできないけれど、絶望せず、ありのままの自分を受け入れることができました。
「今日一日だけ、頑張ろう」そう心に言い聞かせ、出口のないかゆみと闘ったものです。
いちばんかゆくてつらいとき、ピアノのおけいこに選んだ曲はベートーベンのソナタでした。
生命力にあふれたベートーベンの音楽が、私の指を通して身体の隅々まで運ばれて、私の得体の知れない病をゆっくりと追い出しているようでした。
かゆみは37歳から51歳まで17年間続きましたが、とうとう私はかゆみのない日常を取り戻してしまいました。
けれども、今度は、夫を失ってしまった苦しみが、間断なく私を襲い責め続けます。
しかし、またおけいこで乗り越えるしか、自分を救う方法が見つかりません。
この苦しみを、誰かに預けることもできないし、また、もう解決しないことは、私自身がよく知っているからです。
私が夫と再会できるまでに、どれくらいの時間があるのか神のみぞ知るだけですが、ベートーベンのピアノソナタだけでも32曲ありますから、凡人の私にとっては十分過ぎるほどで、やりがいがあるというものです。
2020年5月29日
大江利子
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