クーポラだよりNo.62~皆川先生の日本語とバッハ~
ピアノでバッハを弾くのは、私の日課です。
スポーツをする前に柔軟体操するように、音階練習で指をほぐしたら、まずバッハを弾くのです。
この習慣は、私がピアノを本格的に習い始めた中学生からです。
私が初めて、バッハのピアノ曲に出会ったのは、中学2年生の時です。
中学2年の私は、地元岡山では難関だった女子高のピアノ科への受験を目指していました。
その女子高は、少数精鋭の生徒に英才教育を行っていることで定評があった、私立の山陽女子高等学校でした。
女の子の習い事として、今ではすっかり下火になったピアノですが、私が山陽女子の音楽科を受験した頃は、ピアノ人口は、とても多かったのです。
山陽女子のピアノ科の入学試験は、自由曲と課題曲、それぞれ1曲、試験当日に、弾かなくてはなりません。
自由曲は、モーツァルトかベートーベンかハイドンのピアノソナタの中から、好きな1曲、課題曲は、山陽女子が指定した1曲です。
山陽女子が課題曲に指定していたのは、バッハの「インベンション」です。
バッハの「インベンション」は、15曲から構成された練習曲集で、課題曲はその中から、1曲が指定されます。
バッハのインベンションは、楽譜を見ると、一見簡単そうですが、モーツァルトやベートーベン、ハイドンのソナタと、まったく異なる難しさがあります。
私たちが普段、耳にしているポピュラー音楽は、旋律と伴奏があり、ひとつの曲の中に、異なるふたつのメロディーが、混在することはありません。
モーツァルトやベートーベン、ハイドンのソナタも同様に、旋律と伴奏があり、右手が旋律、左手で伴奏、というパターンで作曲されています。
しかし、バッハのインベンションは、伴奏部分は存在せず、複数の旋律が絡み合うように作曲されていて、右手と左手は、それぞれに異なる旋律を弾くという、非常にややこしい音楽です。
このややこしいインベンションを、なめらかに弾けるようになるには、片手で丁寧に練習することが、いちばんの近道ですが、そうすることによって、飛躍的にピアノの腕が上達します。
バッハはもちろん、その効果を意図して、鍵盤楽器の学習者のために、このインベンションを作曲したのです。
このインベンションのように複数の旋律だけで作られる作曲法は、対位法と呼ばれ、バッハが活躍したバロック時代に発展し、バッハはその対位法の大家です。
対位法で作曲されたバッハの曲は、弾けるようになったことに満足を覚えますが、沸き立つような感情の高まりとは無縁です。
ピアノの詩人と呼ばれるショパンの曲ならば、弾いていると、とても感傷的な気分に浸れるのですが、バッハの曲を弾いていると、指の訓練をしているようでロマンチックにはなれません。
対位法のバッハの音楽は、虚飾のない、構成の美しさを追及した、究極の音楽だと言われています。
まるで、漢字を楷書体で毛筆したような、堅苦しいけれど、正確な美しさをもつバッハの音楽ですが、残念ながら、私にとっては、高校受験という思い出が、その美しさを、素直に感じるとることを長らく邪魔していました。
指の訓練と割り切って、いつもバッハを鍵盤でたたいていたものです。
しかし、そんな私のバッハ観を変えてくれた人がいます。
その人は、1927年、東京生まれの皆川達夫という音楽学者です。
皆川達夫は、バッハや古い時代の音楽の美しさを、ラジオや紙面で説き、クラシック音楽に詳しくない人にも、わかりやすく解説した学者です。
私が皆川達夫に出会ったのは、ラジオ番組「音楽の泉」でした。
日曜日の朝、8時5分から50分間「音楽の泉」で、皆川先生(私が勝手に先生と呼んでいました)の正しい日本語で、音楽の解説を聞けることが、とても楽しみでした。
「音楽の泉」では、作曲家も、時代も、ジャンルを問わず、いろいろなクラシック音楽を、皆川先生のわかりやすい解説付きで、紹介していました。
知っている曲もあれば、知らない曲もありましたが、どの曲も、皆川先生の解説を聞くと、とても新鮮な気持ちで、心から楽しんで音楽に耳を傾け、今まで軽視していた曲も、その良さを発見できました。
皆川先生は、造語や流行りの言い回しを使わず、正しい日本語で曲の解説をします。
もし、他の人が使ったならば、妙によそよそしく感じられるはずなのに、皆川先生ならば、よそよそしいどころか、親しみやすく美しい日本語でした。
皆川先生の「音楽の泉」の締めくくりの言葉は、「それではみなさん、ごきげんよう、さようなら」でした。
正しい日本語のあいさつは、バッハの音楽のように、清らかな美しさがあります。
毎日曜日、皆川先生の「ごきげんよう、さようなら」を聞くたびに、私のバッハ観が少しずつ変わり、指の訓練のためでなく、心から好んでバッハを弾くようになりました。
皆川先生が「音楽の泉」を担当されていたのは1988年から2020年3月29日までの32年間です。
2020年3月29日、「音楽の泉」で、きちんと引退のあいさつをされてから、翌月4月19日に、皆川先生は、92歳の生涯を閉じました。
もう二度と、あの「ごきげんよう、さようなら」が聞けないと、思うと、とても寂しく思います。
使う言葉は、その人の教養と品格を表します。
浅学な私には、皆川先生のような正しい日本語は、まだ不釣り合いな気がします。
いつの日か、正しい日本語だけでも、自然な会話ができる人を目指して、バッハと勉強を続けようと思います。
2020年4月29日
大江利子
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