クーポラだよりNo.59~プッチーニのオペラと「道」と聖セシリア~
オペラ「ボエーム」は、クリスマスの夜に咲いた恋物語です。
詩人ロドルフォは、パリの学生街カルティエ・ラタンで、仲間の芸術家たちと暮らしていました。
ロドルフォの仲間は、画家と哲学者と音楽家です。
ロドルフォも仲間も、皆、夢を仕事にしていますが、稼ぎが少なく、貧乏なので、屋根裏部屋で共同生活しているのです。
クリスマスの夜、仲間たちは、レストランで外食しようと、出かけていきますが、ロドルフォは、独り部屋に残って、書きかけの原稿を仕上げています。
すると、そこへ、玄関のドアをノックする音がし、若い女性の声が聞こえてきました。
「灯りのろうそくの火が消えたので、火を貸してくれませんか?」ロドルフォは、ろうそくを手にして、すぐに、玄関をあけます。すると、清楚で、可憐な若い女性が、立っていました。
彼女が手にしていた、消えたろうそくに、ロドルフォは、火を付けてあげます。
彼女は、お礼を言って立ち去ろうとしますが、めまいを起こして、その場に倒れてしまいます。
驚いたロドルフォは、彼女が目覚めるまで、そばで介抱しながら、彼女の顔立ちや身なりを、観察します。
彼女は、とても美しい顔立ちでしたが、痩せて身なりも質素で、ロドルフォと同じように貧しいようです。
間もなく、目を覚ました彼女は、また、すぐに立ち去ろうとするので、ロドルフォは、お互い自己紹介をしようと、彼女を引き留めて、「冷たき手よ」の独唱で、自分の身の上話を始めます。
一方、ロドルフォに応える彼女は、「私の名はミミ」というソプラノ独唱です。
どちらの独唱も、高度な歌唱力を必要とする、美しい曲で、このオペラ「ボエーム」を作曲した人は、「蝶々夫人」で知られているイタリアの作曲家プッチーニです。
プッチーニは1858年にイタリアのトスカーナ地方の古都ルッカに生まれました。
プッチーニは、バッハのように、宗教音楽を職業としてきた家系の出で、ミラノの音楽院で、作曲を学び、20代の頃の作品が認められて、売れっ子のオペラ作曲家になります。
プッチーニが作曲するオペラは、「蝶々夫人」の独唱「ある晴れた日に」で知られるように、歌詞の内容と音楽が見事に調和し、旋律を聞いただけでも、情景が浮かべられる力を持っているので、観る人は、楽しい映画やお芝居を見るように、自然とオペラの世界に入れる魔法を持っています。
また、プッチーニは、名旋律を生み出す天才で、彼のオペラの一曲が、独り歩きをすることも、よくあります。
たとえば、プッチーニの遺作オペラ「トゥーランドット」のテノール独唱「誰も寝てはならぬ」は、2006年トリノオリンピックで、日本人女性フィギュアスケート選手としては、初めて金メダルを獲得した荒川静香選手が、フリーの曲で使用し、有名になりました。
この「誰も寝てはならぬ」は、中国のお姫様「トゥーランドット」に求婚した、異国の王子カラフが歌う独唱です。
絶世の美女、トゥーランドット姫は、次々とやってくる求婚者に3つの謎ときを課して、それが解けない場合には、求婚者の首をはねるという、恐ろしい姫でした。
しかし、異国の王子カラフが、見事に姫の課題の3つの謎を解いてしまいます。
姫は、常日頃から、自分の謎を解いた人ならば、その人の愛を受け入れると、父王と国民の前で誓って、恐ろしい処刑を繰り返してきました。
しかし、いざ、カラフ王子が、本当に、姫の謎を解くと、姫は、彼の愛を拒みます。
すると、寛容なカラフ王子は、「ぼくの名前を解き明かしてごらんなさい」と逆に、王子から、姫に、謎を与え、「姫が、謎を考える猶予は、一晩だけ、夜明けまでに、ぼくの名前がわからないときは、姫は、ぼくのもの、しかし、もし、姫にぼくの名前がわかったら、その時は、潔く、ぼくは、死にましょう。」とカラフ王子は宣言します。
そして、今宵、謎の解きの結末がわかる夜明けまで、誰も寝てはならぬと、トリノオリンピックで使用された、あの「誰も寝てはならぬ=Nessun dorma(ネッスン・ドルマ)」をカラフ王子は、歌うのです。
カラフ王子の祖国は戦いに敗れ、王子は異国をさすらう放浪の身なので、誰にも、自分の名前を見破られる心配はないと、勝算したのでした。
ただし、ひとつ、王子の誤算がありました。
群衆の中に、昔、王子に仕えていた女奴隷リューが、偶然に、その場に居合わせて、トゥーランドット姫に、見つかって捕まえられ、王子の名前を白状するまで、リューは拷問にかけられそうになります。
リューは、拷問にかけられる前に、短剣で自分の胸を刺し、命をたってしまいます。
リューは昔から、カラフ王子が好きだったので、王子の愛を成就させるために、我が身を犠牲にし、王子は、リューの死によって、トゥーランドット姫と結ばれます。
「ボエーム」のミミも、病弱な自分は、ロドルフォの負担になるからと、身を引き、死んでいきます。
「蝶々夫人」の蝶々さんも、約束を破ったピンカートンを、恨みもせず、大切な我が子をピンカートンのアメリカ人の妻に、差し出して、短剣でわが胸を貫き、自害します。
その他にも、プッチーニは、ヒロインの自己犠牲によって、男性を救うというオペラを作曲しています。
騎士道精神のヨーロッパは、殿方の方が、姫のために自己犠牲を引き受けるはずなのに、プッチーニの描く女性は、殿方を助けてばかりです。
オペラの世界だけでなく、イタリアの古典映画にも、若き女性の自己犠牲がありました。
フェリーニ監督の出世作、「道」のジェルソミーナです。
薄幸で心の清らかなジェルソミーナは、粗野な男ザンパノを恨むでもなく、彼に寄り添い続け、最期は、ザンパノに捨てられて、死んでしまいます。
ジェルソミーナは、いつもトランペットで哀しい旋律を吹いていました。
この旋律を生んだのは、イタリアの作曲家ニーノ・ロータで、彼は「道」他にも、「ゴットファーザー愛のテーマ」や「ロミオとジュリエット」の名旋律を世に送り出しています。
イタリア音楽界で、若き女性の自己犠牲の多数例は、なぜかしらと、考えながら、ふと20数年前に、夫と訪れたイタリアのある教会を思い出しました。
その教会は、イタリアの音楽の守護聖人、聖セシリアを祀った、ローマのサンタ・チェチーリア教会です。
聖セシリアは、AD200年ごろ、日本では邪馬台国の時代に殉教した女性です。
サンタ・チェチーリア教会には、斬首の傷跡が、生々しい若い女性が、横たわった大理石の彫刻が祀られています。
1600年製作の、その彫刻には、「聖セシリアの墓をあけた遺体の姿をそのまま写した。」と宣誓した碑文があります。
碑文が真実ならば、聖セシリアの遺体は、1400年以上も、当時のままだったことになります。
キリスト社会では、たびたび聖人の奇跡が、登場しますが、この聖セシリアの遺体にまつわるお話も、まさしく奇跡です。
私は夫ともに、この目で、聖セシリアの彫刻を見て、「碑文の内容は、真実だね」と、夫と感動し合った日のことを、思い出しました。
生前の聖セシリアは、楽器を奏でながら、歌ったと伝えられています。
イタリアの作曲家たちのオペラや音楽に、若き女性の自己犠牲のテーマが多いのは、聖セシリアに関係あるのかもしれないと、夫の5回目の命日の今日、古い記憶に想いを馳せながら、思いました。
2020年1月29日
大江利子
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