クーポラだよりNo.56~アプフェルシュトゥルーデルとグールドのトルコ行進曲~
オーストリア風アップルパイのことをアプフェルシュトゥルーデルといいます。
アプフェルはドイツ語でりんごを意味します。
シュトゥルーデルも同じくドイツ語で、パイ生地を、新聞紙を広げたくらいの大きさにまで、薄く伸ばして、野菜やチーズなどを詰め物にして、春巻きのようにクルクル巻いて、オーブンで焼き上げた食べ物のことです。
シュトゥルーデルの詰め物をお肉にすれば、立派なおかずの一品ですし、フルーツやジャムにすれば、おやつになります。
リンゴはシュトゥルーデルと、とても相性が良く、アプフェルシュトゥルーデルはウィーンっ子が愛する素朴な焼き菓子です。
このアプフェルシュトゥルーデルを私が初めていただいたのは、1997年1月2日、オーストリアのウィーン空港内のカフェです。
この1997年のヨーロッパの冬は、記録的な大寒波に襲われました。
ウィーンの街では昼間でも、気温がマイナス13度までしか上昇せず、空港施設内のカフェに座っていても、私と夫は、厚手のコートも毛糸の帽子も脱ぐことはできず、寒さに震えていました。
瀬戸内の温暖な気候に生まれ育った私と夫は、初めて体験する、ヨーロッパ大陸の厳しい冬に圧倒され、ナポレオンが冬将軍に襲われて、ロシア遠征に失敗した歴史を、身をもって体験しました。
私たちは、言葉少なく、上半身は猫のように背を丸くして、身を縮め、背の高いゲルマン民族に合わせた寸法の椅子に座って、床に届かない足を、ぶらぶらさせながら、空港のカフェで注文したアプフェルシュトゥルーデルとコーヒーを待ちました。
数分のちに、ふたりのぶんの熱いコーヒーとアプフェルシュトゥルーデルが出てきました。
大きな平皿いっぱいに、真っ白なホイップクリームが、巨大な春巻きのようなアプフェルシュトゥルーデルを覆い隠すほどに、山盛りにのせられていました。
口に運ぶ前は、大量のホイップクリームに、怖気づきましたが、甘酸っぱくて、あたたかいアプフェルシュトゥルーデルと甘さを抑えた爽やかなホイップクリームとの相性は素晴らしく、山盛りのホイップクリームは、難なく、我々ふたりの胃袋におさまりました。
アップルシュトゥルーデルをすっかり平らげ、煎じた漢方薬のように濃く苦いウィーン風コーヒーを飲み干すころには、私たちは、寒さも忘れていました。
ウィーンっ子の定番おやつのアプフェルシュトゥルーデルは、もともとはトルコがもたらした食べ物です。
現在のトルコは東ヨーロッパのバルカン半島東端に位置する国ですが、15世紀頃にはオスマン帝国として西ヨーロッパの大国の王様たちを脅かしていました。
オーストリア皇帝が暮らしていた、音楽の都ウィーンも、1529年と1683年の2回、オスマン軍包囲の憂き目に遭いました。
2度とも、オスマン帝国はウィーン陥落に失敗しますが、1683年のオスマン軍はウィーンに素敵な置き土産、コーヒー豆を残しました。
このトルコ人の食文化であるコーヒーは、ウィーンの人々を魅了し、ウィーンの街で初めてカフェが登場し、同時に、トルコ人の食べ物のシュトゥルーデルも広まり、アプフェルシュトゥルーデルというお菓子が誕生し、オーストリア人の愛するお菓子となりました。
音楽でも、オスマン軍、すなわちトルコ人の民族音楽が作曲に取り入れられました。
ハイドンの軍隊交響曲、ベートーベンやモーツアルトのトルコ行進曲が特に有名です。
なかでも、モーツアルトのトルコ行進曲は、この1曲だけが、ひとり歩きして広く知られていますが、実は、彼が作曲した3楽章構成のピアノソナタ第11番の最終楽章のことなのです。
モーツアルトのピアノソナタ11番の1楽章は、優雅な8分の6拍子の変奏曲で、つづく、2楽章は、のびやかで明るいメヌエット、そして3楽章が、その「トルコ行進曲」です。
トルコ軍は、伝統的に軍隊の士気鼓舞のために、軍楽隊を戦場に同行させる習慣があり、
その音楽はメフテルといいますが、モーツアルトのトルコ行進曲は、そのメフテルをとりいれたコスモポリタンな音楽です。
このモーツアルトのトルコ行進曲は、慣習的にとても速い速度で演奏されますが、あるユニークな存在のピアニストが超スローテンポで、演奏し、賛否両論の話題になりました。
そのピアニストはグレン・グールドです。
グレン・グールドについては以前のクーポラだよりNo.13でも、とりあげた、ちょっと変わり者の天才ピアニストです。
独特な審美眼をもち、時代を超越したグールドは、有名になり過ぎた曲でも、決して既成事実に迎合せず、はっきりと信念をもって、演奏するピアニストでした。
このモーツアルトのトルコ行進曲も、高速で弾き飛ばすよりも、超スローテンポで弾いた方が、曲の由来であるメフテルの雰囲気を伝えるためには効果的だと、グールドが判断したのかもしれません。
とにかく、グールドが超スローテンポで演奏したことにより、ピアノ初学習者の発表会の定番曲ぐらいにしかみなされず、軽んじられた扱いだったモーツアルトのトルコ行進曲に、光があたり、注目を集めました。
次元はあまりにも違いますが、私が取り組んでいるクラシックの弾き語りも、いつの日か、光があたればいいなぁと、思います。
そしてトルコ軍のコーヒーやアップルシュトゥルーデルのように、異なる民族の文化の交流が豊かな文化を育むように、私が弾き語る音楽も、クラシックジャンルにとらわれず、素敵な曲は、何でも演奏したいなと思う日々です。
2019年10月29日
大江利子
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