クーポラだよりNo.55~マカロニ・ウェスタンと星降る夜のリストランテ~
マカロニ・ウェスタンは、イタリア人監督が作った西部劇を指す和製の英語です。
昭和の時代に、お茶の間のテレビのブラウン管から、「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ、」と、上品でユーモラスな語り口の映画解説者として庶民に親しまれた淀川長春が、マカロニ・ウェスタンの代表作品「荒野の用心棒」を日本に紹介する際に、アイデアを出したとされる俗語です。
「荒野の用心棒」は、セルジオ・レオーネが監督し、のちに「ニュー・シネマ・パラダイス」を手掛けるエンニオ・モリコーネが音楽を担当、主役の名無しのガンマンには、まだ若手の駆け出しだったアメリカ俳優のクリント・イーストウッドでした。
マカロニ・ウェスタンの代名詞「荒野の用心棒」は世界的な大ヒットを飛ばし、クリント・イーストウッド主演で「夕陽のガンマン」、「続・夕陽のガンマン」の続編が製作されました。
マカロニ・ウェスタンは、1960年代から1970年代にかけて500本以上、イタリア人スタッフによって大量に製作され、撮影地も、コストが抑えられる理由で、本場のアメリカではなく、スペインなどが選ばれました。
そして、役者陣には、クリント・イーストウッドやヘンリー・フォンダのように、アメリカ俳優が起用されることもありましたが、ジュリアーノ・ジェンマや、フランコ・ネロといったイタリアの人気俳優や、「男と女」で名を馳せたフランス俳優ジャン・ルイ・トランティニャン、「テス」で、野生的で、素晴らしい美貌の持ち主の女優ナターシャ・キンスキーの父で、西ドイツの個性的な俳優クラウス・キンスキーなど、ヨーロッパの俳優が起用されました。
マカロニ・ウェスタンは、ヨーロッパ大陸内で、寄せ鍋風なユニークな製作手法で成功した映画ですが、もっともユニークなことは、役者のセリフがイタリア語で収録されたことでした。
日本のテレビ番組で、マカロニ・ウェスタンが放映されはじめたのは1970年代です。
1970年代の当時、小学生だった私は、平日は夜9時に就寝することを両親から厳しく言い渡されていましたが、土曜日だけは例外で、夜11時まで「土曜映画劇場」という名作映画を紹介するテレビ番組を見ることが許されていました。
この「土曜映画劇場」で、私は人生初のマカロニ・ウェスタン、フランコ・ネロ主演の「真昼の用心棒」を見たのです。
残念ながら映画本編の役者のセリフは日本語吹き替えが行われ、ガンマンたちの「チャオ」や「ボン・ジョルノ」と、イタリア語であいさつを交わす貴重な場面には、遭遇しませんでしたが、映画のテーマ音楽の歌だけは、原語のイタリア語でした。
「真昼の用心棒」のテーマソングは、1968年サンレモ音楽祭「カンツォーネ・ペル・テ(君のための歌)」で、優勝したセルジオ・エンドリゴが歌っていました。
明瞭な発音なのに、もの悲しく聞こえる、不思議な甘いエンドリゴの歌声に、魅力を感じて、私がじっと聞き入っておりますと、傍らでその様子を見ていた母が、「これは、イタリア語で歌っているのよ。」と、教えてくれました。
エンドリゴの歌を聞いたときが、自分の近い将来に、情熱を注いで学ぶことになるイタリア語の魅力的な発音を、初めて私が認識した瞬間でした。
「真昼の用心棒」を土曜映画劇場で見たときの私は、8歳の少女で、まさか、17年後の25歳から、働きながらイタリア語を本格的に学ぶ意欲が湧くなどと、想像さえもしていませんでした。
イタリア語の文法は、英語とは別の意味で複雑です。
中学校教師の仕事と両立させながら、イタリア政府給費生試験にチャレンジするレベルまで、イタリア語を習得するのは、とても大変でした。
ラテン語を起源とする複雑難解なイタリア語を使うどころか、理解するだけでも苦労し、文法書の丸写しを3回行い、やっと理解し、少しずつ頭にイタリア語が頭に入っていきました。
イタリア人と日常会話が話せるまでの、道のりが、なんと遠かったことでしょう。
オペラを歌うためには、ドイツ語もフランス語も必要で、どちらも勉強しましたが、どんなに難しくても、やはりイタリア語がいちばん好きです。
それはイタリア語との最初の出会いが、マカロニ・ウェスタンの映画で出会ったエンドリゴの魅力的な歌声のためでしょうか。
留学と前後の旅行も含め、イタリア滞在期間は1年半ほどで、26年前に、帰国してからは、せっかく覚えたイタリア語で、歌うことはあっても、会話として使うことは皆無でした。
言葉は道具なので、使わないと、サビついてしまい、使えなくなってしまいます。
大好きなイタリア語を忘れたくなくて、サビつき防止の私の勉強方法は、お気に入りのイタリア映画のセリフを覚えるまで何度も聞くことです。
聞く時間は、就寝前、子守唄代わりにイタリア映画の音だけ、聞くのです。
最近は、「星降る夜のリストランテ」が私の教材です。
ローマの地元住民に愛されている、とあるレストランに訪れた客たちが、テーブルを囲んで食事をしながら弾ませる会話が、「星降る夜のリストランテ」の主役です。
「星降る夜のリストランテ」のお客たちの会話を聞いていると、私も、そのレストランに座っているような感覚で、楽しみながらイタリア語を復習しながら眠りに落ちます。
日本列島の片田舎の岡山で、イタリア人との会話のチャンスも絶無だろうと思い、あきらめの混ざった悟りの境地で、何年間も、お気に入りの映画を聞くだけという、消極的な復習をしていました。
ところが、先月8月に、滅多に乗らないJR瀬戸大橋線で、懐かしいイタリア語が耳に飛び込んできました。
小さな男の子をふたり連れた、イタリア人の若い男性が、私と同じ車両に乗り込み、私のすぐ横にやってきました。
私は、勇気を絞って、男性に話かけました。「Quanti anni hanno? (クワンティ・アンニ・アンノ?=彼らは何歳ですか?)
男性は驚いた表情を見せましたが、すぐに、私がイタリア語を話せることを悟り、嬉しそうに笑顔で答えてくれました。
「Lui ha tre anni, lui ha cinque anni (ルーイ・ア・トゥレ・アンニ、ルーイ・ア・チンクエ・アンニ=彼は3歳、彼は5歳です。)
その後、私と男性は、目的の駅に下車するまでの10分ほど、イタリア語で会話を楽しみました。
偶然とはいえ、その10分間が、なんと楽しく充実した時間だったことでしょう。
小さな出会いに心踊り、人生は、どこに暮らしていても、偶然の楽しみに満ちていることを確認し、イタリア語の復習に少しだけ自信が持てた、真夏の朝でした。
2019年9月29日
大江利子
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