クーポラだよりNo.53~「エリーゼのために」と「愛のロマンス」とアルペジオ~


『エリーゼのために』を弾けるようになるまで、娘がピアノを続けていたらなぁ。



音楽鑑賞がお好きな、ある知人の男性が、そう言いました。



その男性の娘さんは、お父様が憧れていた『エリーゼのために』を弾けるようになるまでは、習い事のピアノを続けなかったのです。



私は、その男性のお気持ちも、そして娘さんのお気持ちも、とてもよくわかります。



ピアニストレベルの技術を習得するには遅すぎる、中学生からというスタートで、ピアノを習い始めた私も、ピアノを習う以前は、その男性のように『エリーゼのために』に憧れを抱いていました。



流れるような伴奏と、もの悲しく民謡調の素朴な旋律の『エリーゼのために』に、小学生時代の私は恋をしていた、といっても過言ではありません。



そしてこの美しく小さな音楽を、我が指で、奏でられたら、どんなに素晴らしいだろうと想像し、いとこの、お下がりの古いオルガンで、毎日飽きもせずに、小学生の私は『エリーゼのために』を独習したものです。



自分なりに工夫し、何か月も、練習してみましたが、結局、独習では、『エリーゼのために』を、曲の冒頭から最後まで、よどみなく弾けるようにはなりませんでした。



楽譜を一見すると、音符の数が、さほど多いわけでもなく、とりたてて、テンポが速いわけでもないのに、独習時代の私の『エリーゼのために』は、音がつながらず、つまずいたようにしか弾けませんでした。



『エリーゼのために』の他にも、同じように憧れて、独習した曲があります。



映画「禁じられた遊び」のテーマ曲になった『愛のロマンス』です。



「禁じられた遊び」の監督は、アラン・ドロンを世界的スターに押し上げた「太陽がいっぱい」を監督した、フランスの名匠ルネ・クレマンです。



「禁じられたあそび」の主役は5歳の少女ポーレットと10歳の少年ミシェルです。



第二次世界大戦で、戦争孤児となった少女ポーレットは、幼な過ぎて、爆撃によって、ママンが死んだことも、愛犬が死んだことも、理解できません。



少女ポーレットは、お墓の意味さえわからずに、十字架を集めて遊ぶことに熱中します。




少年ミシェルは、もう10歳なので、十字架で遊ぶのは、いけないことだと知りながら、愛らしくて、かわいそうなポーレットのために墓地から十字架を盗むのです。



激しい戦闘シーンはないものの、無邪気なポーレットと純真なミシェルの姿に、強く心揺さぶられる永遠の名画であり、反戦映画です。



そしてスクリーン全編を通して流れる音楽が、ナルシソ・イエペスによるギター独奏「愛のロマンス」なのです。



この『愛のロマンス』も、『エリーゼのために』と同じく、流れるような伴奏部分ともの悲しい民謡調の旋律が特徴で、ギター奏者にとっては定番の1曲です。



趣味人だった私の父は、ギターもかじっていましたので、飽きっぽい父が使わなくなったギターと父の古いギター譜で『愛のロマンス』を小学生の私は、独習しました。



ギターで『愛のロマンス』を奏でるほうが、オルガンで『エリーゼのために』をひくよりは、少し、サマになっていたように思います。



いずれにせよ、どちらの曲も、素人が簡単に独習できる曲ではないことが、のちに音楽の道に進んで、すぐにわかりました。



しかし、この素朴で派手さのない、小さな2曲のいったいどこが、そんなに難しいのでしょうか?



それは、「流れるような」と表現した伴奏部分です。



音楽の専門用語では、「流れるような」音の連なりを、「アルペジオ」といいます。



『エリーゼのために』も『愛のロマンス』も、この「アルペジオ」を使って作曲されているので、技術的に難しいのです。



「アルペジオ」の語源は、イタリア語で、ハープ(竪琴)を意味する「アルパ」からきています。



ハープは数ある楽器の中でも、最古の楽器の一つです。



紀元前4000年エジプトのラムセス3世の王墓の壁画にすでに、ハープを奏でる人が描かれています。







ギリシア神話の音楽の神アポロンは、いつもハープを手にした姿で表現されています。



西洋では、大切なことを語り伝えるときには、聞き手の心を揺さぶり、心の奥深くまで浸透するように、言葉を選び、詩にして、ハープをつまびきながら、歌い継いできました。



詩の根底に流れるテーマは、人の繊細で尊い感情である愛や憧れや悲しみです。



怒りや不満など、相手を攻撃するような、激しい感情表現は、ハープには似合いません。



切々と、人々に訴えかけるように歌ったり、語ったりする伴奏にハープは適しているのです。



イタリア語で、アルパ(ハープ)を奏でることを、アルペッジャーレといい、アルパ(ハープ)を奏でた時に生まれる、流れるような音の連なりを「アルペジオ」と呼ぶようになりました。



1本1本の指で素早く弦をつまびく動作、すなわちアルペッジャーレが、ハープの流れるような、繊細でロマンチックな音を生み出しています。




このアルペッジャーレを模した奏法、すなわちアルペジオを、鍵盤楽器のピアノで、再現するとなると、弦をつまびく代わり、打鍵するのですから、ハープやギターよりも、もっと1本1本の指の独立した強い筋力が必要となり、そのためには、指の特別な鍛錬が毎日必要となってくるわけです。



小学生の私のように、単なる憧れだけでは、『エリーゼのために』をよどみなく弾けるようにはならないのです。



毎日、アルペジオのために、単調な指の鍛錬をするには、根気が必要です。



しかし、その根気が実って、我が指がハープを奏でるようになめらかに動き、ロマンチックなアルペジオの音楽を演奏できた時の感動は格別です。



そして、その感動を少しでも味わってしまうと、毎日の指の鍛錬も意味をもち、退屈ではなくなってきます。



幸か不幸か、人間の指の筋肉は、毎日鍛錬しないと、すぐに、怠けてしまう忘れやすい性質をもっています。



小学生のころから憧れて、遅めのスタートでしたが、鍛錬してやっと手に入れたアルペジオが弾けるようになった私の指、忘れてしまうのはもったいないので、今日もピアノに向かいます。



そして、私と同じように、アルペジオを愛し、実際にトライしようとする音楽好きな仲間が少しでも増えることを願って。



2019年7月29日

大江利子

クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

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