クーポラだよりNo.51~水芭蕉とサンライズ・サンセットラリー~
水芭蕉の花の色は、花嫁衣装の角隠しに使われる布のように純白です。
おしろいをかけたような白さが清楚で、立ち姿が、すがすがしい水芭蕉ですが、花びらに見える部分は、実は葉が変形したもので、白い中心の薄緑の穂の方が花なのです。
水芭蕉は、北海道や中部地方などの寒冷地、日本海側の高地の湿地帯に自生しており、その開花時期は、地域によって異なりますが、融雪後の5月から7月です。
福島、栃木、新潟、群馬の4県にまたがる尾瀬国立公園では、毎年5月末頃、その湿原に、自生した水芭蕉が白いじゅうたんを敷き詰めたように咲きそろい、幻想的な世界が広がります。
その尾瀬沼の、夢のような水芭蕉風景を歌にした日本の愛唱歌があります。
昭和24年、NHKのラジオ番組「ラジオ歌謡」で、シャンソン歌手石井好子によって歌われた「夏の思い出」です。
「夏の思い出」は、昭和22年、「夢と希望のある曲を」とNHKから依頼を受けた詩人の江間章子が、数年前に、彼女が実際に尾瀬を訪れたときに目にした、湿原一面に広がる水芭蕉の感動体験を詩にしました。
「夏の思い出」がラジオ放送されるや否や、その歌詞の舞台の尾瀬は、脚光を浴びて、たちまち観光客が押し寄せました。
また「夏の思い出」の、穏やかでゆったりと流れるような旋律は、人々に歌い継がれ、日本の代表的な愛唱歌となり、平成6年、文化庁とPTA全国協業会によって選定された日本の歌100選の中にも、選ばれました。
「夏の思い出」は、中学校の音楽の授業の中で、必ず指導しなくてはならない必須教材としても、たびたび選定されました。
私が中学校の音楽教諭をしていた昭和61年から平成4年の間の9年間も、「夏の思い出」は、必須教材でした。
当時、文部省が定める必須教材歌曲は、学年ごとに1、2曲あり、指導しやすいものと、
難しいものがありました。
たとえば、土井晩翠作詞、滝廉太郎作曲の「荒城の月」や三木露風作詞、山田耕筰作曲の「赤とんぼ」は、中学1年生の必須教材歌曲で、いずれも名曲ですが、格調高すぎて、元気いっぱいの中学生たちに、それらの歌詞をしみじみと味わわせながら、歌わせるのは、至難の業でした。
しかし「夏の思い出」の歌詞の日本語は平易でわかりやすく、その旋律もリズムも単純で、
とても指導しやすかったのを覚えています。
当時、生徒全員に持たせていたリコーダーで、簡単に演奏できて、すぐに合奏も可能でしたし、変声期を迎えて、高い声を出しにくくなった男子生徒も、無理なく、歌えるようでした。
曲の理解を深めるために、歌詞の説明を長々と加えなくても、歌って、リコーダーで演奏するだけで、生徒たちは歌詞の世界を味わえているようでした。
私が、初めて「夏の思い出」の歌を知ったのは小学校の合唱クラブでした。
週に一度のクラブ活動でしたが、担当の先生は、毎週、わら半紙に印刷した曲を、
たくさん配ってくださり、その中に「夏の思い出」がありました。
小学6年生、当時、12歳だった私は、やはり「夏の思い出」を歌うだけで、すぐにその世界に浸ることができました。
尾瀬に行ったこともなければ、水芭蕉の花を見たこともありませんが、幼い私でも、
中田喜直作曲の覚えやすい旋律によって夢のような世界に浸ることができました。
そして、いつか尾瀬に行って水芭蕉を見ることに、漠然と憧れを抱くようになり、その想いは胸の奥深く沈めていました。
ところが、2日前の5月27日、月曜日の早朝に偶然にも、水芭蕉の花が咲いているところを
目にする幸運に恵まれました。
場所は、残念ながら尾瀬ではなく、世界遺産に登録された、日本建築の合掌造りの建物で有名な白川郷近くの温泉宿の裏庭でした。
白川村の平瀬温泉の宿で朝風呂を楽しんでいると、窓の向こうの裏庭に群生した水芭蕉の白い姿が見えたのです。
急いで、お湯から上がり、スマホカメラで、何枚も写真をとったのは言うまでもありません。
こんな偶然な形で、水芭蕉に出会える日がくるとは、思っていませんでした。
私が白川村に泊まったのは、オートバイのラリーに参加したためです。
サンライズ・サンセットラリーという自由なレースです。
日の出とともに、太平洋側の任意の海辺から出発し、日の入りまでに、石川県の千里浜にゴールするのです。
今回、私は、新岡山港から出発し、約550キロ走って、無事にゴールできました。
せっかく石川県までオートバイで走ってきたので、中部地方を下りながらのんびり帰ろうと、岐阜県白川村の宿に泊まったのです。
夫が残した愛車のオートバイを自分で乗り続けたくて、二輪免許を取得しましたが、13歳から弾き続けてきたピアノを弾く手で、オートバイを運転し、レースに参加するほど、お転婆になるとは、自分でも想像していませんでした。
そして、旅先で42年越しの想いが、かなえられて、水芭蕉に出会えたことも。
夫の残してくれたオートバイが私に与えてくれたものは、偶然の出会いの驚きと発見、
そして喜びです。
そして、人生も、オートバイの旅のように、予想もしない展開に満ち満ちていて、
人生の旅の途中に悲しみがあり、喜びがあるのだと、思えるのです。
夏が来れば 思い出す はるかな尾瀬 遠い空 霧の中にうかび来る 優しい影 野の小道
水芭蕉の花が 咲いている 夢見て咲いている水のほとり
シャクナゲ色にたそがれる はるかな尾瀬 遠い空
夏がくれば思い出す はるかな尾瀬 野の旅よ 花の中にそよそよと ゆれゆれる 浮島よ
水芭蕉の花が匂っている 夢見て匂っている水のほとり
まなこつぶれば懐かしい はるかな尾瀬 遠い空
2019年5月29日
大江利子
0コメント