クーポラだよりNo.50~クレモナ名物モスタルダとストラディヴァリウス~


イタリアの伝統保存食に、モスタルダという、一風変わった果物の甘煮があります。




モスタルダは、りんごや、梨、サクランボなど、色とりどりの果物をシロップで煮込み、仕上げにからしを効かせ、ジャムのように甘いのに、スパイシーで刺激的な味わいがあり、肉料理や生ハム、チーズなどの付け合わせにぴったりです。




モスタルダは、北イタリアの街クレモナの名物です。




私がこのモスタルダを初めて耳にしたのは、25年前のイタリア留学中でした。




1993年12月末、夫がイタリア留学中の私のもとへやってきたときのことです。




師のカヴァッリ先生は、クレモナへ夫を案内するという私に、モスタルダのことを、教えてくださいました。



「Andrete a Cremona, compri una Mostarda. C’e ne sono varie frutti, e’ dolci e piccanti. È molto buona. Mi piace molto. Si vende piccola bottigla.」



「クレモナに行くなら、モスタルダをお買いなさいな、いろいろな果物が入っていて、甘くて、ピリッとして、とっても美味しいのよ。私は大好きなの。小さなビンに詰めて売られているわ。」



先生はそうおっしゃると、特に美味しいものを表現するときのイタリア人特有のジェスチャーで、ご自分の親指と人差し指を口元に運び、チュッとキスの音をたてました。



クレモナは、私が住んでいたミラノから鉄道で1時間ほどの小さな街です。




クレモナはローマや、フィレンツェ、ヴェネツィアのような人気観光地ではありませんが、弦楽器の歴史的な名器が展示された貴重な博物館があるのです。




天才弦楽器職人アントニオ・ストラディヴァリの博物館です。




ストラディヴァリは300年ほど前に、クレモナで活動していた職人ですが、彼の製作した弦楽器は、現在でも素晴らしい音色を放ち、トップレベルの演奏家たちが代々、愛用し続けています。




ストラディヴァリの製作した楽器は、「ストラディヴァリウス」呼ばれ、その素晴らしさは音色だけでなく、見た目もたいへん美しいので、美術収集家の羨望の的でもあるのです。




300年の時空を超えてなお、音色の輝きを失わないストラディヴァリウスは、どのような方法で製作されたのか、科学的に分析しても謎は解けず、世界最高峰の座は揺るぎのないもので、ヴァイオリニスト辻久子氏が、1973年に自宅を売却して3500万円のストラディヴァリウスを手にしたというエピソードが実在するほどです。




クレモナのストラディヴァリ博物館には、同時代に活動した楽器職人アマティやガァルネリの弦楽器に混ざって、貴重なストラディヴァリウス(愛称クレモネーゼ)が1挺、展示されていました。




父の粂三郎(くめさぶろう)がヴァイオリン製作者だった夫は、イタリアの地で、最初に訪れたかったのが、クレモナのストラディヴァリ博物館でした。



幼い頃から、テレビでイタリアの地が紹介されるたびに、ヴァイオリンの聖地クレモナを想い、憧れ、涙を浮かべていた父の姿を見て育った息子が、やっと父の悲願を果たしにやってきたのでした。



1993年12月28日、クレモナ駅から、私たちは歩いてストラディヴァリ博物館を目指しました。



日本よりも湿気の少ないイタリアの冬は、とても乾燥するので、水分とエネルギー補給を兼ねて、クレモナ駅前広場の市場で、目についた鮮やかな色のマンダリーニというみかんを買いました。



マンダリーニは、温州みかんよりも小ぶりで、甘く、味の濃さといったら、たとえようもないほどです。



わずか数百円で、食べきれないほどのマンダリーニがつまった紙袋を小脇に抱え、歩いて20分ほどで、私たちは、市庁舎(コムーネ宮)のヴァイオリン展示場で、ガラスケースで厳重に湿度管理されたストラディヴァリと対面しました。



その時のお客は、私たちだけで、人の良さそうな職員さんから、「ここで結婚式をしませんか?」と熱心に勧められました。(イタリアでは、役所に立ち会ってもらう、署名だけの結婚式がある)私も夫もお互い顔を見合わせ、一瞬迷いましたが、丁重にお断りしました。




今思えば、ちょっと残念です。(結局、私たちは結婚式をあげず、婚姻届だけ、提出したので)



続いて、ストラディヴァリ博物館に移動し、そこでも歴史的な銘器がガラスに入れられ、薄暗い寒々としたホールに展示されていました。


そのうちに、ガラスケースから1挺のストラディヴァリウスが取り出され、係の人が、簡単な曲を弾き始めました。



毎日一定時間は、音を出してやらないと、いくら銘器でも、ダメになってしまうのだそうです。



ヴァイオリンの音には、耳の肥えた夫が、係の人が奏でる音を聴きながら、変だな、何度も言いました。



ストラディヴァリウスの音にしては、曇っていて、輝きがないと、言うのです。



作られてから、休むことなく300年以上、名手によって弾かれ続けているストラディヴァリウスの音色を実際にホールで聞いたことがあり、ヴァイオリン職人を父にもつ夫の言葉に、間違いはないでしょう。



それから、9年後、また別のストラディヴァリウスを聞いて、夫は同じ感想を言いました。



それは岡山シンフォニーホールで行われた千住真理子氏のコンサートで、彼女の新しい愛機ストラディヴァリウスで演奏したときのことです。



彼女は300年も弾き手がおらず、眠っていたストラディヴァリウスをつい最近手に入れたばかりだったのです。



あれから17年、千住真理子氏のストラディヴァリウスは300年の眠りから覚めたでしょうか?



先日、とても不思議なことが、起こりました。



我が家に、ある事情で、一年前に、美しいアンティークピアノがやってきました。



そのピアノは100年ほど前に作られたアップライトピアノで、とても弾きにくく、鍵盤がスムースに動かなかったのですが、下手な私でも、毎日、限界まで弾き続けていると、半年ほどで、変化が起き、滑らかに鍵盤が動き、音もしっかりと鳴り、長い眠りから覚めたようでした。



アンティークピアノの元の持ち主が、驚くほどの変わり様で、どんな銘器でも、毎日、限界まで音を奏でていないと、その能力は広がらないということを、我が身で体験し、嬉しくなりました。



人間の身体も同じで、特に声帯の筋肉は、毎日の訓練が不可欠です。



しかし、哀しいことに人生経験を重ねて、人としての円熟性が増し、個性に奥行きが出てくる年齢と、身体能力の最高潮な時期が重なるのは、ごくわずかな期間です。



私は、師のカヴァッリ先生が、現役を引退された年齢の50歳をすでに越え、一般的にはソプラノ歌手の限界の年齢にきていますが、有り難いことに、その自覚もなく、毎日、お稽古できています。



日々、哀しいことも、嬉しいことも、すべての経験をスパイスとして、モスタルダのように、甘く刺激的な歌で、これからもお客様を楽しませていこうと思います。



2019年4月29日

大江利子

クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

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