クーポラだより No.46 ~パネットーネとスカラ座の魔笛と響きホールのカルメン~


パネットーネはイタリアのクリスマスに欠かせないパンです。



バターと卵黄がたっぷり入った生地に、レーズンやプラムなどの干し果物を混ぜ込み、教会の丸い屋根の形に焼き上げた、お祝いのための特別なパンです。



特殊な酵母菌で発酵させたパネットーネは日持ちが良く、焼き上げてから2週間くらいはふんわりと柔らかく、美味しくいただけます。



パンよりはお菓子に近い味で、食べる時もドーム形のパネットーネをケーキのように櫛形にカットしていただきます。



パネットーネはイタリア北部の街、ミラノが発祥です。



私が、パネットーネ発祥の地、ミラノを初めて訪れたのは1991年12月ですが、街のいたるところで、パネットーネが売られているのに目が留まりました。



パネットーネはサンタクロースの服の色のような真っ赤な箱に入って売られ、商店やバールでは、その真っ赤な箱がピラミッドのように美しく積み上げられ、バスや電車の中では、真っ赤な箱を手にした人達を大勢見かけました。



またイタリアのホテルの朝食は、エスプレッソと「ビスコット」と呼ばれる、非常食のような、ぼそぼそとした食感の乾パンに、ほんの少しのバターとジャムが添えられるだけでしたが、クリスマスの前後だけは、リッチな味のパネットーネが登場し、嬉しかったのを覚えています。



パネットーネが嬉しいのは、イタリア人も同様らしく、クリスマス前後の一か月間は、皆、飽きもせずに、おやつに、朝食にと、パネットーネを食べ続けます。



12月初旬、街の商店に真っ赤な箱が並び、街路樹にイルミネーションが施され、街全体がクリスマス色に染まると、オペラの街ミラノは、一年で最も大切な日、12月7日を迎えます。



12月7日は、ミラノの街の守護聖人、聖アンブロジウスの祝日です。



聖人アンブロジウスの遺骨がある、同名の教会は、レオナルド・ダ・ヴィンチによって描かれた「最後の晩餐」の壁画がある教会のすぐ近くで、その二つの教会から、1キロほど離れた場所にオペラの殿堂スカラ座があります。



ミラノ守護聖人アンブロジウスの祝日12月7日は、ミラノ・スカラ座のシーズン初日なのです。



スカラ座シーズン初日は、オペラの街ミラノにとって特別な日で、ファッションの街としても有名なミラノにふさわしく礼装の紳士淑女や、一流デザイナーのドレスに身を包んだ女優や有名人たちが観客としてスカラ座に溢れて、その様子は毎年、大切なニュースとして報道されます。



ミラノ・スカラ座のシーズンは12月7日から翌年の夏までの約半年間で、その間、一流のアーチストによるオペラやバレエ、コンサートが誰でも楽しめます。



スカラ座の演目は定番なものから、めったに上演されない珍しい作品まで、さまざまですが、やはり人気演目は、蝶々夫人や椿姫など、ストーリーがよく知られているオペラです。



私も夫とともに、大晦日の夜に1度だけ、スカラ座でモーツァルトのオペラ「魔笛」を観る機会に恵まれました。



魔笛のストーリーは、楽しいおとぎ話で、旋律もとても覚えやすく、夜の女王の歌や、鳥刺しパパゲーノの歌など、魔笛の歌は夫も私も、舞台上のオペラ歌手に代わって歌えるほどに、慣れ親しんでいました。



スカラ座の客席は、馬蹄形をしており、平土間、バルコニー、天井桟敷の3つの部分に分かれています。



私たちは3階のバルコニー席でしたが、バルコニー席は、4~5人が入れる小部屋で、私と夫は上品なふたりのドイツ人女性との、相部屋でした。



私達とそのドイツ人の女性たちは、国籍も世代も、まったく異なる者同士でしたが、魔笛をいっしょに楽しむという、共通の目的によって、そのバルコニー席の小部屋の中は、穏やかで、幸せな空気が流れ、23年過ぎた今でも、その時のことを思い出せば、あの時の幸福感がよみがえります。



夫とは、自宅のレーザディスクで、いつも一緒にいろいろなオペラやバレエを見て、感動を共有していましたが、しかし、スカラ座でオペラをいっしょに見た感動は別格です。



スカラ座でオペラを見るために、イタリアへ行く準備そのものが心楽しく、半年以上前から、期待に胸膨らませ、夫も私もそれによって、教員の激務を乗り越えられたことを覚えています。



そして、今年5月から、今月12月16日までの約7ヵ月間、あの23年前と同じように、また心楽しく、期待感に満ちた日々がやってきました。



今年5月、東京で私の大学時代の声楽の先生の傘寿記念コンサートがありました。



私はコンサートの2週間前にオートバイの大会で転倒し、右肩を脱臼したばかりでしたが、どうしても先生の歌声が聞きたくて、周囲の心配を退けて、片腕が不自由なまま、東京まで行きました。



先生の歌声は80歳とは思えないほど、若々しく、往年のビロードのような甘い音色は健在で、とても感動しました。そして、その先生のコンサートで、懐かしい人に会いました。



その人は、大学時代、先生の同門の同級生で、私と同様に、歌うことの楽しさの虜になった女性です。



彼女は日本人離れした深く奥行きある素晴らしい声質のメゾソプラノ歌手で、大学卒業後、東京で活躍していましたが、現在は郷里の山形で家庭を持ち、オペラ歌手として活躍しています。



その彼女が、郷里山形では初めて、オペラ「カルメン」の主役を歌うと聞き、私はぜひとも行きたいと思いました。



彼女のカルメン本番までの7ヵ月間、山形までの交通手段や宿泊先やら、あれやこれやと調べ検討し、旅の計画を立てることがなんと楽しかったことか。



私の住む岡山から、彼女が歌うカルメンが上演される山形の「響きホール」まで直線距離だと900km、日本海を眺めながらオートバイで疾走したいところですが、豪雪地帯の12月なので、さすがにそれはあきらめて、新幹線を乗り継いで東京から新潟へ、新潟からは、急行列車で余目(あまるめ)駅まで行き、余目駅から「響きホール」までの、2キロの距離は、雪かきされた道を歩いて行きました。


「響きホール」の周囲はのどかで広々とした田園地帯が広がり、背後には、冠雪を抱いた庄内富士(しょうないふじ)こと、鳥海山(ちょうかいさん)、前方には松尾芭蕉が登った

月山(がっさん)が美しく見えました。



絶景に囲まれた雪国の音楽堂で、情熱的なスペインの物語「カルメン」は魅力的でした。



また、カルメンはパネットーネの干し果物のように、劇中に楽しい要素を混ぜ込むことが可能な、演出の自由度の高いオペラで、これまで私はいろいろな演出のカルメンを見てきましたが、「響きホール」のカルメンは、脇役のセリフに、地元の地名を織り交ぜて観客の笑いを誘い、歌詞は日本語上演で、物語の流れを損なわない程度の省略によって時間を短縮し、

誰でも無理なく最後まで楽しめるように配慮された実に温かみのある演出でした。



そして彼女のカルメンは妖艶で美しく、とても50代とは思えないほど、若さに溢れていました。



彼女の素晴らしい歌声にとても刺激を受けて、励まされ、オペラの舞台に立つ機会に恵まれなくとも、自分のオペラのレパートリーの練習を頑張ろうと強く思いました。



「生の舞台を観ることは宝物になる」と、生前の夫が口にしていた言葉を23年越しに改めて実感した平成最後の12月となりました。



2018年12月29日

大江利子

クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

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