クーポラだよりNo.43  ~「一葉」のお蕎麦とノルシュテイン~


お蕎麦を食べると、必ず思い出してしまう、お蕎麦屋さんがあります。



長野で偶然に出会った、そば処「一葉」です。



18年前の秋、夫と私は、買ったばかりの、可愛いひよこ色のインプレッサが嬉しくて、長野まで、往復1200キロのドライブを決行しました。



ふたりとも、車で出かけるのは、初めての長野でした。



列車やバスの旅では、思うに任せないことも、車なら自由が効くので、私たちは、ドライブ中に、気になった場所にふらりと立ち寄り、花豆のパフェや五平餅など、長野の美味しいものを味わいながら、旅の最後に「一葉」を見つけたのです。



普段から蕎麦好きの私たちは、そばの本場、信州長野で、美味しいお蕎麦に出会えたらいいなと、密かに期待していました。



もうすでに、冠雪した中央アルプスを遠くに臨み、稲刈りが終わったばかりの黄金色に輝く、のどかな田園風景が広がる、見晴らしの良い道、信濃から越後までの塩の道として知られている千国(ちくに)街道沿いを走っているときでした。



黒い瓦屋根に白壁の、懐かしい一軒家の庭先に立つ看板「手打ちそば」に目が留まり、私たちは車をとめました。



出入り口の滑りの良い引き戸をガラガラと開けると、厨房から漂ってくる湯気からは、ほのかな甘いソバの香りがし、壁に貼られた毛筆のお品書きに、期待感が膨らみました。



ソバ粉は、粗挽きと細挽きの二種類が選べて、のど越しの良い、細挽きの十割そばを注文しました。



窓際の席に、お互い向かい合って座り、たった今、下ってきた中央アルプスの山々を眺めつつ、わくわくしながら、お蕎麦の登場を、待ちました。



ゆで上がりを待つ間に、そば茶と、ソバ粉の揚げ菓子が出てきました。



キャラメル色の香ばしい揚げ菓子は、歯触りと素朴な味わいが絶妙でした。



主役のお蕎麦の味は、期待以上で、こんなに美味しいお蕎麦に出会ったのは、初めてでした。



偶然に入ったお店が、名店であった幸運に、私たちは喜びましたが、後々、困ったことになりました。



なぜなら、その後、どんなに美味しいと評判のお蕎麦を食べても、「一葉」の味に勝るものはなく、せっかく出向いて、お蕎麦屋さんに入っても、がっかりすることが続き、「一葉」の、あの味が恋しくてたまりませんでした。



しかし、「一葉」がある長野県安曇野までは片道600キロ、お蕎麦だけのために、信州再訪の決心は、なかなかつきませんでしたが、7年後の2007年の春に、その機会が巡ってきました。



長野県 安曇野の、いわさきちひろ美術館で、ロシアのアニメーション作家ユーリー・ノルシュテイン展が開催されることになったのです。



ノルシュテインは1941年、ソ連時代のロシアに生まれ、家具工場の職人や声優の経験もあるユニークな経歴のアニメーション作家です。



ノルシュテインの作品は切り絵のようなアニメが動く、幻想的な映像美が特徴です。



彼のよく知られている作品「霧につつまれたハリネズミ」は、擬人化された動物たちのお話です。



主人公のハリネズミ君は、子熊さんから「星を数えながら、一緒に、お茶を飲もうよ」と、お誘いを受けて、霧がたちこめる森の中を、エゾ苺のジャムを抱えて急ぎます。



ハリネズミ君は大きなミミズクに後をつけられたり、川に落ちたり、大切なエゾ苺のジャムを失くしたり、ハプニングが続き、なかなか子熊さんのところへ行けません。



見る側は、ノルシュテインの描く、霧がたちこめる不気味な夜の森の世界にひきこまれ、まるで自分が、小さなハリネズミになったような気持ちになって、森の中のハプニングに、ハラハラドキドキしてしまいます。



またノルシュテインは音楽を非常に効果的に使います。



押しつけがましさや、虚飾のないバッハの音楽を使った代表作「話の話」は、1979年に発表されましたが、世界中のアニメーターたちに深い感動を与え、翌年に、数々の国際賞を受賞し、今年の夏に旅立った高畑勲(火垂るの墓の監督)も、ノルシュテインに心酔し、その様子を記事にのこしています。(アニメージュ文庫「話の話」)



夫は、日本では、あまりノルシュテインが話題にのぼらなかった頃から、「話の話」が大好きで、その背景音楽に使用されていたバッハの平均律8番のプレリュードを練習し、届くのはいつになるかわからない、ノルシュテイン自筆サイン入りの「話の話」の高価な額装リトグラフを、前金払いで注文するほどでした。



11年前(2007年)上達はしないけれど、毎月購入だけはしていた、NHKラジオ語学講座ロシア語テキストのお知らせコーナーで、夫の大好きなノルシュテインの絵本展が、安曇野ちひろ美術館で開催されることを知り、彼とともに、再び片道600キロ、長野県まで車を走らせ、そして、恋しい「一葉」のお蕎麦を、また味わうことができました。



ノルシュテインは、作品を創り出すために、奥様とふたりで、背景もキャラクターもすべての絵を手で描き、自ら撮影し、自らアニメーションにつなぎ合わせていきます。



この方法は、恐ろしく時間と手間がかかりますが、出来上がった作品は、得も言われぬ詩的な世界が広がり、見る者を感動させ、時が経ても、色あせることのない魅力に満ちあふれたノルシュテイン作品は、世界中の人々に愛され続けています。



「一葉」も、美味しいお蕎麦を提供するため、自ら種蒔き・収穫した蕎麦を、自ら製粉し、お蕎麦を打ち、薬味のねぎも、わさびも自家生産しているそうです。



私も、「一葉」のお蕎麦や、ノルシュテイン作品のように、自ら創り出す力を失わず、自ら学び感動したことを歌と文に反映させる姿勢を取り続けようと思います。



2018年9月29日

大江利子



「話の話」

オーベルハウゼン国際短編映画祭国際映画クラブ賞、

ザグレブ国際動画祭大賞

リール短編及び記録映画祭動画部門グランプリ・国際批評家連盟賞、

オタワ国際動画映画祭グランプリ、いずれも、1980年受賞

クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

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