クーポラだよりNo.42 ~シューマンの飛翔とベートーベンの熱情ソナタ~
「次の発表会は、何を弾くの?」
2年に1度の夏に交わす、私と友人のお決まりの会話です。
ピアノの先生をしている友人が、ご自分の生徒さんのために開く、2年に1度の発表会に、私も参加させてもらっているのです。
14歳から本格的にピアノを習いはじめ、無我夢中で、毎日何時間もピアノを練習し続けた私のピアノ人生は、公務員となった22歳の4月に、一旦、終わりとなりました。
大学卒業後、郷里岡山で中学校の音楽の先生となった私は、毎日の授業、部活指導、校内暴力で荒れ狂う生徒たちの指導で、疲れ切り、学生時代のようなピアノを練習する時間も気力もなく、生きているのが、やっとの毎日でした。
学校行事で全校生徒が歌う校歌や、生徒たちが授業で歌う曲のピアノ伴奏程度なら、学生時代のような練習をしなくても、用は足りました。
練習をしなくなった私のピアノの腕前は、あっという間に落ちました。
もともと、私のピアノ技術はプロのピアニストレベルではないものの、それでも、ショパンの革命のような速い曲や、連続オクターブがつぎつぎと出てくる難曲のリストも、弾けていたのに、練習しなくなったら、まったく、指が動かなくなってしまったのです。
高校時代も大学時代も、音楽専門の道へ進学した私は、自分よりも、はるかに上手にピアノを弾く同級生たちを目の当たりにして、劣等感がありました。
どんなに練習しても、同級生たちのレベルに、到底及ばないことが、16歳で、わかってしまい、打ちのめされました。
それでも、下手なりに私が、毎日何時間も練習を続けられたのは、試験や、習っていた先生の発表会など、人前でピアノのソロ演奏をする機会に恵まれていたからです。
それが、就職し、いくら毎日ピアノを仕事で使うとはいっても、コンサートに弾くような曲を演奏するわけではないので、練習に身が入らず、腕前が落ちると、ますます練習しなくなりました。
また就職と同時に、歌への情熱が高まり、歌の勉強の方に重点をおいたので、人前でソロ演奏できる機会には、独奏ではなく、独唱をしました。
人前で演奏することが大好きな私は、その欲求は、歌で満たされ、もともと劣等感があったピアノからは、ますます、遠ざかったのです。
しかし、ある友人との出会いが、私のピアノへの情熱に、再び、火をつけたのです。
彼女は、良き母であり、良き妻であり、幼い子供から、お年を召した方まで、幅広い年齢層の生徒さんを抱えた優しいピアノの先生でした。
彼女はある日、シューマンの「飛翔」という難しい曲を、私の前で演奏してくれました。
彼女の「飛翔」は、すっかり仕上がっており、いつでも舞台で独奏できる状態でした。
しかし、彼女には、まったく、その予定はなく、ただ「飛翔」が好きなので、自分で練習して仕上げたと言うのです。
私は、それを聞いて、とても感動しました。
なぜなら、私のピアノはいつも試験や、舞台のために、練習していたので、自分が純粋に演奏したいと思う曲を仕上げた経験はなかったからです。
手が小さく、指が速く動かない私は、その欠点が目立たず、華やかに聞こえる曲を選び、純粋にその曲が好きかどうかは、私の選曲基準ではなかったのです。
私は、彼女の「飛翔」を聞いて、もう一度ピアノを練習したくなりました。
そして、今度こそは、たとえ何年かかっても、純粋に、自分の好きな曲を練習しようと思いました。
私は、彼女に、彼女の生徒さんと一緒に発表会に出演させて欲しいと、お願いしました。
すると、快諾してくれた彼女自身も、「飛翔」を披露することになり、ふたりで、生徒さんに混じって独奏することになったのです。
今から10年前のことです。
10年前のその日から、私たちは純粋に好きな曲だけを選び、発表会のたびに2年に1度の割合で、新しい曲が、仕上がっていきました。
お互いに、2年先の発表会に向けて、練習している曲を、披露し合い、批評し合って、励まし合うのが日課となり、楽しく学び合う月日が流れました。
純粋に好きな曲だけを、練習しているうちに、技術も自然と身についていきました。
じわじわとザルで水をすくうような、進歩ですが、10年の継続はかなりの進歩をもたらしました。
そして、今年はまた、発表会の年、私は、ベートーベンの熱情ソナタの3楽章を選びました。
熱情ソナタは、「月光」、「悲愴」とともに、三大ソナタと呼ばれるベートーベンの初期のソナタの傑作です。
熱情ソナタの1楽章は、青春時代の恋のような、情熱的な熱い旋律で、2楽章は、至福の安らぎに満ちた、静かな曲です。
そして、私が発表会に演奏する3楽章は、嵐のような、激しいリズムと切ない旋律が繰り返され、若き日、エネルギーに満ちあふれていた時代を思い出させてくれます。
この熱情ソナタの3楽章を弾きこなすには、とても強い指の力が必要です。
アップライトピアノしか持っていない私は、近所の公民館のグランドピアノを借りて、指の力を強化するために、本番ひと月前から、猛練習をはじめていました。
すると、先日、見知らぬ男性が、やって来られて、毎日、聞こえてくる熱情ソナタが気になって、誰が弾いているのか、確かめにきたと、おっしゃるのです。
彼は、熱心なクラシック音楽愛好家でした。
男性はアルミニウムを加工するお仕事をされていて、お仕事の技術で作った、音符が入ったアルミニウムの素敵なコースターをプレゼントしてくださいました。
知り合いでもなく、友人でもない人が、純粋に、熱情ソナタのピアノの音だけを聞いて、行動をおこされたとは、改めて、ベートーベンの音楽の力の強さを実感しました。
また、こんな素敵な出会いを作るきっかけとなった、「飛翔」を演奏してくれた友人に感謝せずにはおれません。
これから、音楽を通じてどんな素敵な出会いが待っているのか、楽しみにしながら、日々の練習の励みにしようと思います。
2018年8月29日
大江利子
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