クーポラだより No.41  ~551の豚まんとオブローモフ~


551蓬莱(ほうらい)の豚まんは、浪速っ子の愛するおやつです。


大阪の商店街や駅ビル内などには、鮮やかな赤一色の背景に白文字で、「551蓬莱」と書かれた看板の前に、いつも大勢の人が豚まんを買い求めるために並んでいます。



関西には、毎年、夫の仕事に同伴して一週間ほど滞在しておりましたが、岡山っ子の私はその美味しさを知らなかったので、551蓬莱の赤い看板の前に並ぶことは一度もありませんでした。



「たかだか肉まんを、買うためだけに、どうしてこんなに人が並んでいるのだろう?」と、不思議に思い、人だかりのする551のお店を横目で見ながら、通り過ぎたものです。



しかし、数年前のある日、コンサートのお客様からの贈り物で、551の豚まんをいただく機会がやってきました。



15分ほど、蒸して食べると、とても美味しいですよ、と電話口で、お客様は、涼やかなお声で、食べ方の秘訣を教えてくださいました。



初めて食べた551の豚まんのなんと美味しいことか、小さな肉まん1個にこれほど幸せを感じたのもまた、初めてで、551のお店の前に、人だかりがしていた理由が、やっとわかりました。



それ以来、私は551の豚まんが大好きになると同時に、今までは、肉まんは、おやつの対象外だったのに、オートバイで出かけて、小腹が減ったときに立ち寄るコンビニエンスストアで、真っ先に、ガラスケースの肉まんに、目がいくようになってしまいました。



肉まんは、点心と呼ばれる中国のおやつですが、小麦粉をイーストで発酵させてつくるパンの仲間で、蒸したての熱々が何よりものごちそうです。



世界各地、特に寒い地方には、小麦粉の生地におかずを包んだ、温かいおやつが、よく見られます。



日本では、長野のおやきがそれに、よく似ています。



昨年、オートバイで青森まで行った帰り道に立ち寄った、長野の駒ケ岳サービス・エリアで、本場の味、野沢菜入りのおやきをいただきました。



せいろから蒸上がったばかりの、ほかほかと湯気が立った温かいおやきは、とても美味しくて、旅の良い思い出となりました。



点心の国、中国よりもさらに、北国のロシアでは、ピロシキという、おかず入りの温かいパンがあります。



本場のピロシキは、残念ながらまだ一度も味わったことはないのですが、ある映画の中で、主人公が美味しそうに食べているシーンが強く印象に残っています。



その映画はロシアの作家ゴンチャロフの小説「オブローモフ」を映画化した

「オブローモフの生涯より」です。



主人公のオブローモフは、大地主の息子で、働かなくても、生活できる贅沢な身分です。



子供の頃は愛らしいく、利発な男の子でしたが、甘やかされて育ったオブローモフは、大人になっても、甘えたところが抜けず、官僚に就職しても長続きせず、社交界でも口下手で、恋人もできずに、ひきこもりの毎日を送っていました。



しかし、彼の性格は、温和で、正直で、人と競争することが苦手なだけで、

お肉とキノコがたくさん入ったピロシキが大好物の愛すべき人物でした。



オブローモフには、唯一、心が許せる人物、幼なじみの親友シュトルツがいました。



シュトルツは、オブローモフと正反対に、幼い頃からとても厳しく育てられたので、自立心が旺盛で、規則正しい生活を送り、若くして外国で成功していました。



まったく性格の違うふたりでしたが、大の仲良しで、シュトルツが帰郷したときだけは、

オブローモフも生まれ変わったように、活動的になりました。



一方、シュトルツは休暇で帰って来るたびに、親友のお腹が太鼓腹になって、怠惰になっていることに、心を痛め、オブローモフの大好物のピロシキを禁止し、野菜中心の食事をとるように提案します。



ピロシキ禁止令に素直に従っていたオブローモフですが、ある夜、我慢しきれずに、シュトルツの目を盗んで、こっそり食べようとしたところを、親友に見つかってしまいます。



オブローモフとシュトルツの間に気まずい空気が流れます。



スクリーンを見ているこちら側にも、ふたりの気まずさが伝わる緊張の一瞬です。



シュトルツは、どうしたのでしょうか。



彼は、オブローモフを叱るどころか、大笑いして、ピロシキをいっしょに食べ始めるのです。



映画「オブローモフの生涯より」には、オリガという名前の若い娘が、登場します。



シュトルツが、自分が仕事に戻ったあとも、オブローモフが元の怠惰な生活に戻らないようにと、心優しく、聡明なオリガに、見張り役を頼むのです。



オブローモフとオリガの間には恋が芽生えますが、オブローモフの方が、僕はあなたにふさわしくないと言って身を引きます。



時は流れ、映画のエンディングはシュトルツ夫人となったオリガが、ひっそりと亡くなったオブローモフを偲びます。



小説「オブローモフ」が発表されたとき、当時、とても反響を呼び、オブローモフが「無用な人、余計な人」の代名詞になり、「オブローモフ主義とは何か」という論文まで登場し、彼の存在価値について、近代社会は考えさせられました。



オリガは、活動的で精力的に働くことを生きがいとするシュトルツと、人と争うことを好まず、怠け者のオブローモフのいったいどちらを本当に愛していたのでしょうか。



映画にも小説にも、その答えは、明確にされていません。



オリガは歌がとても上手で、ベッリーニ作曲オペラ「ノルマ」の中の「清らかな女神よ」が十八番でした。



映画の中では、「清らかな女神」をオリガとシュトルツとオブローモフの3人で合唱する微笑ましいシーンが印象的です。



「ノルマ」を作曲したベッリーニはイタリアのシチリア出身の早逝した人ですが、たくさんの甘美な旋律のオペラを残しており、ベートーベンのような情熱も、モーツァルトのような軽快さもないのですが、人の心を暖かく包むような柔和な音楽で、オリガの十八番の「清らかな女神」は、彼のもっとも、よく知られた1曲です。



ただし、ベッリーニの作品は、聞き手には、優しく幸せを運ぶような旋律でも、歌う側にとっては、大変で、特にこの「清らかな女神」は、大歌手のマリア・カラスを引退に追い込んだ難曲です。



私も、オリガと同じように「清らかな女神」が十八番ですが、そのお墨付きをくれたのは、

2014年12月6日、オリエント美術館で「ベッリーニの夕べ」を歌った私の声を聞いた夫でした。



辛口の批評家の夫は、私の歌声を聞き始めて20年目に、やっと人前で「清らかな女神」を歌ってもよいと言ってくれました。



物が溢れた現代社会で生きる人々に、幸せを感じさせるものは、もしかしたら主食よりも、おやつであり、必要なものよりも、余計なものの方なのかも知れません。



私自身にとっては、歌は主食のようなものですが、他の人にとっては余計なオブローモフ的なもの、または、おやつのようなものだと思います。



551は美味しい豚まんを提供するために、この機械化の進んだご時世に、1個1個、職人が手包みするそうです。



私も、「清らかな女神」を、聞いてくださる方に、幸せを感じていただけるように、日々精進して歌っていきたいと思います。



2018年7月29日

大江利子

クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

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