クーポラだよりNo.40 ~ガルバルジーと夏の嵐と竹久夢二~
40年以上も、捨てられない本があります。
音楽の専門書でもなく、装丁の豪華な文学書でもないけれど、眺めているだけで、とても楽しく、幸せな気分になれる本なのです。
昭和52年(1977年)、中学2年生だった私は、「楽しいクッキー」というお料理の本を、生まれて初めて自分のこずかいで買いました。
お菓子作りに憧れていた私は、近所の文房具屋の店先に、月刊誌に混ざって並べられていた「楽しいクッキー」に目が留まり、美味しそうな表紙を見て、どうしてもその本が欲しくなったのです。
当時、私のこずかいは一か月500円、「楽しいクッキー」は一冊480円、一か月分のこずかいを、一度に、使い果たしてしまいましたが、後悔はありませんでした。
「楽しいクッキー」は、お菓子作りの実用書で、14歳だった私が、食べたことも、見たこともない、華やかなクッキーの作り方が、わかりやすく、写真入りで解説されていました。
クッキーの基本は、材料を混ぜて、焼くだけですが、加える材料や、成形の仕方によって、いろいろな名前があることも知りました。
猫の舌を意味する「ラングドシャ」、アーモンドが入った「マカロン」、屋根瓦に似た「チュイール」など、「楽しいクッキー」には、作り方だけでなく、それぞれのお菓子にまつわる由来も、解説してあります。
学校の英語や歴史の授業では、習わない、カタカナの地名や人名が、「楽しいクッキー」には登場し、行ったこともない異国の地に降り立った気がして、西洋文化に親近感を覚えました。
「楽しいクッキー」を買って帰ったのち、早速、食べたいクッキーを作ろうと台所に立ちましたが、道具や材料がいろいろ不足し、作れるものは限られました。
クッキー作りには、オーブンが欠かせませんが、40年前の実家には、トースターしかありませんでした。
実家のトースターは、平置きの食パンが、1枚入るだけの広さで、外観は、オーブンに似ていますが、似ているのは、扉のあけ方だけで、オーブンのような温度調節はなく、焼く時間も、連続5分が限界でした。
どんなクッキーでも、オーブンで10分くらいは、焼かねばなりません。
実家のそのトースターだと、5分で切れてしまったタイマーを、すぐに回して、連続使用し、10分焼きましたが、焼け具合が焦げ過ぎと、ちょうどいい部分が半々になり、見た目が残念なクッキーになってしまいました。
いろいろ制限がある中で、14歳の私が、良く焼いたクッキーはシンプルな材料の「サブレ」でした。
サブレとは、口の中に入れたときにサクッとした歯ごたえと砂のように、サラサラとした味わいなので、フランス語で砂を意味する「sable’=サブレ」と呼ばれるのです。
サブレには、小麦粉と砂糖、卵、それに無塩バターがたっぷり入ります。
当時は、無塩バターは手に入りにくく、マーガリンで代用したサブレをよく焼いたものです。
焼きムラができても、マーガリンで代用しても、それでも自分で作ったサブレは美味しくて、お菓子作りがとても好きになりました。
サブレの他にも、「楽しいクッキー」の中のいろいろなクッキーに挑戦してみましたが、
材料が入手不可能で、憧れだけに終わったものもあります。
それは、干しブドウをたくさん使う「ガルバルジー」です。
干しブドウは、40年前、実家の近所の八百屋では、取り扱っていなかったのです。
けれども、たとえば、干しブドウなしで「ガルバルジー」を焼くならば、それは「サブレ」と同じ味に、なってしまいます。
つまり、干しブドウ入りの「サブレ」が、「ガルバルジー」なのですが、なぜ、そんな特別な名前がつけられたか、当時の私にはわかりませんでした。
「楽しいクッキー」にも「ガルバルジー」の由来は載っていませんでした。
しかし最近になって、「ガルバルジー」の由来がわかりました。
「ガルバルジー」とは、19世紀イタリア統一運動の指導者ガリバルディ将軍の名前です。
19世紀のイタリアは、小さな国に分かれており、それぞれの背後には、親分の国イギリス、オーストリア、フランスが裏で糸を引き、親分の力関係が変わるごとに、イタリア半島は翻弄(ほんろう)されるややこしい時代でした。
そんな中で、ガリバルディ将軍が義勇軍を結成し、統一運動をおこして、イタリア半島から親分の国を追い出して、イタリアをひとつの国にまとめて、自分は国王とならずに、身を引いたのです。
ガリバルディ将軍が、イタリア統一後、すぐに身を引き、隠居生活に入ったおかげで、日本で起きた戊辰戦争のような内乱が避けられ、彼は英雄と讃えられたのです。
この複雑なイタリア統一のいきさつを、なかなか、理解できずにいましたが、ヴィスコンティ監督の「夏の嵐」という映画を見て、私は、いっぺんに、理解できました。
「夏の嵐」は美貌のヴェネツィア侯爵夫人と、ニヒルなオーストリア青年将校の破滅的な恋が、イタリア統一運動を背景に描かれており、ガリバルディ将軍のイタリア統一運動も、ストーリーの重要なポイントです。
侯爵夫人と青年将校が初めて出会う場所は、ヴェネツィアのオペラ劇場、フェニーチェ劇場です。
イタリア・オペラの巨匠ヴェルディが作曲したオペラ「イル・トロヴァトーレ」が、
フェニーチェ劇場で上演される中で、ふたりは出会い、恋に落ちます。
世情不安なヴェネツィアで、逢瀬を重ねる恋人たちのセリフから、当時のイタリア情勢とそれに巻き込まれた人々の苦しみがとてもよくわかりました。
2時間足らずの「夏の嵐」を見ただけで、統一イタリアの時代に、急に詳しくなった気がして、ガリバルディ将軍も私にとって、活字だけの人でなくなりました。
「夏の嵐」は、20年前、夫が買ってきた中古のレーザー・ディスクで見ました。
夫は古い名映画収集のために、大阪方面まで足をのばして、中古レーザー・ディスクをたくさん買い集めていましたが、「夏の嵐」もそのひとつです。
「夏の嵐」を夫ともに見て、20年の歳月が流れ、やっと「楽しいクッキー」のガルバルジーの由来がわかる日がやってきました。
今月6月、岡山市の後楽園近くにある夢二郷土美術館で、竹久夢二作品の特別公開があると知り、オートバイで行ってきました。
今回の夢二展は、何百枚という楽譜に描かれた夢二の挿絵が公開されており、新しい夢二の一面を見ることができました。
また、夢二郷土美術館の敷地内に、カフェが新設されており、夢二が愛したお菓子がメニューにありました。
竹久夢二が愛したのは、あの「ガルバルジー」でした。
そして「ガルバルジー」の由来は、イタリア統一運動のガリバルディ将軍で、将軍がイギリスに渡ったときに彼を讃えて作られたお菓子だと説明されていました。
夢二の愛した「ガルバルジー」を注文すると、出てきたのは、「楽しいクッキー」を見て、憧れていたあの、「ガルバルジー」でした。
ひと口食べると、甘酸っぱいレーズンが口いっぱいに広がり、オートバイでやってきた疲労を癒してくれました。
「楽しいクッキー」から「夏の嵐」、そして「竹久夢二」と40年もの時空を超えて、やっと「ガルバルジー」が解決して、私は深く感動しました。
そして同時に、もしも夫が「夏の嵐」を私に見せてくれていなかったら、「ガルバルジー」の感動は、ここまで深くなかったとも思うのです。
夢二は、大正時代に本の挿絵、着物の柄、絵はがきなどで、人々の暮らしに芸術を根付かせました。
ヴィスコンティ監督はスクリーンを通じて、国籍を超えた人々にイタリアの歴史と文化を見せてくれました。
そして夫は、家の中に、いつでも手の届くところに芸術を集めてくれました。
私も、音楽と文章で、愛する周りの人々に感動したものを運び続けたいと思います。
2018年6月29日
大江利子
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