クーポラだより No.39 ~カルメンとノルマンディーの春~
オペラ「カルメン」は情熱的な恋物語です。
真面目一徹、許嫁(いいなずけ)までいる純朴な青年ホセは、ジプシー女カルメンの魅力に逆らえず、彼女の恋人になります。
カルメンと生活を共にするために、ホセは兵士の身分も、ふるさとの母も捨て、彼女と同じ密輸業者に身を落としてしまいます。
しかし、恋多き女カルメンは花形闘牛士エスカミーリョから求愛されて、あっさりと心変わりしてしまいます。
嫉妬に狂い、我を忘れたホセは、カルメンの命を奪ってしまうのです。
人生を破滅させるほどの激しい恋愛を描いた「カルメン」はスペインが舞台ですが、物語の原作を書いたのは、フランス人作家メリメです。
メリメの表向きの職業は文化財に関わる役所の官吏で、スペイン各地を視察旅行したとき、それから得たインスピレーションで、カルメンを創作し、1845年に小説として発表しました。
30年後の1875年に、「カルメン」はオペラ化され、パリ・コミック座で初演を迎えます。
オペラ化したのは、当時、36歳だったフランス人作曲家ビゼーです。
パリ・コミック座の劇場支配人に、新作オペラの注文を受けたビゼーは、メリメの小説「カルメン」を台本に選んだのです。
ボレロ、セギディーリア、ハバネラなど、民俗舞曲をたくさん使って、誰が聞いてもすぐに覚えられる、わかりやすい音楽で「カルメン」のストーリーは展開していきます。
オペラ「カルメン」の歌詞はフランス語ですが、日本で上演するときには、邦訳して歌われることもあります。
邦訳歌詞も名訳がつけられていますが、やはり、フランス語に比べると、オペラの魅力が半減してしまいます。
「カルメン」が大好きな私は、フランス語でカルメンを歌いたくて、22年前、32歳からフランス語を独学で勉強することにしました。
最初はNHKラジオ講座を、毎日聞いて勉強していましたが、そのうち、ラジオ講座だけでは物足らなくなり、フランス政府が直接運営する東京日仏学院(現在はアンスティチュ・フランセ東京)の通信教育で、フランス語のスキルアップを図りました。
通信教育のシステムは、学院から郵送される課題を期日までに解答して、学院へ郵送するだけです。
課題は、学院手作りの長文読解で、課題内容はフランスの時事でした。
今でこそ、インターネットでフランスのテレビ放送も簡単に見ることができますが、22年前、日本の田舎町の主婦の身分では、東京日仏学院の長文課題がとても貴重でした。
解答した課題は、担任の先生によって赤ペンで細かく添削されて、戻ってきます。
文通のみですが、先生の誠意ある説明と丁寧な添削がとてもうれしくて、難しい課題に辞書を片手にせっせと取り組みました。
東京日仏学院からの郵便は課題の他に、学級通信のようなお便りが入っていて、映画などのイベント紹介や、フランスに関するお知らせが掲載されていました。
ある時、そのお便りから、京都にある姉妹校の関西日仏学館の存在を知りました。
関西日仏学館の図書コーナーでは、貴重なフランスの資料が自由に閲覧できるので、私は、20年前、夫と共に京都まで出かけて行きました。
関西日仏学館は京都大学近くにあり、建物は1936年に落成された美しい白亜の洋館で、
今も当時の姿のまま使用されています。
正面玄関を入ると、1階にカフェがあり、このカフェの壁にはフランスに帰化した日本人画家 藤田嗣治(ふじたつぐはる)の絵画「ノルマンディーの春」が飾られています。
藤田の絵の特徴は面相筆で描かれる繊細なラインと透き通るような乳白色の女性の肌です。
関西日仏学館のカフェには、その画風が生かされた、みずみずしい乙女を題材にした巨大な藤田嗣治の絵が飾られているのです。
明治生まれの藤田嗣治は27歳で単身渡仏し、その独自の画風がフランスで高く評価され、レジオンドヌールを受賞しました。
しかし、祖国日本の画壇は、藤田の才能が理解できず、その才能にふさわしい評価を与えませんでした。
20年前、私が初めて「ノルマンディーの春」を見たときも、藤田嗣治の名は、世間一般には知られておらず、私もそのひとりでした。
しかし、私に藤田嗣治の予備知識はまったくなくとも、また、絵画の鑑識眼がなくとも、「ノルマンディーの春」にはただならぬものを感じ、その場を立ち去り難く、しばらくの間眺めていたのを思い出します。
夫は、藤田嗣治のことを知っていて、レオナール藤田と改名して、フランスで没したことも教えてくれました。
数奇な人生と日本人離れした不思議な魅力の絵を描く藤田嗣治に強い魅力を感じ、その時以来、私の中で、特別な存在の画家となりました。
先日、5月10日、20年ぶりに「ノルマンディーの春」を見に、再び関西日仏学館を訪れました。
カフェは別の経営者になり、椅子やテーブルなどの調度品は、すっかり変わっていましたが、「ノルマンディーの春」は20年前と同じ場所にありました。
カフェの給仕をしてくれた若い女性が、親しげに「ノルマンディーの春」の説明をしてくれました。
絵の説明をする嬉しそうで、誇らしげな彼女の表情に、私は20年前の自分の気持ちを重ねていました。
彼女も私と同様に藤田嗣治の「ノルマンディーの春」に魅せられたのだなと直感しました。
オペラ「カルメン」も「ノルマンディーの春」も、いちばんの魅力は、そのわかりやすさです。
難しい専門知識がなくとも、すぐに理解できることが、芸術には一番大切なことだと思います。
私もわかりやすい文章と万人の心に響く歌を目指して、歌い続け、書き続けようと思います。
2018年5月29日
大江利子
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