クーポラだよりNo.36 ~ダヴィンチの鳥の手稿と出水(いずみ)平野の又野氏~
東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて春な忘れそ
この和歌は、学問の神様として親しまれている、天神様こと平安時代の貴族、菅原道真(すがわらみちざね)が都を出立するときに、詠んだ歌です。
無実の罪で左遷となり、都を追われる身となりましたが、幼少から詩歌を詠むことに優れ、高潔な人柄の道真公は、取り乱すことなく、この和歌一首を残して、九州へ流されたのでした。
天神様を祀っている神社には必ず植えられている梅は、冬枯れの寂しい景色の中で、真っ先に蕾を開いて、春の訪れを告げてくれる花木です。
薄桃色や真珠色の梅の花が満開になる頃には、我が物顔に暴れていた北(冬)風も、穏やかな春(東)風に変わっていきます。
日本では、道真公の和歌のとおり、東風は春を呼ぶ優しい風で、西風は、秋に吹く寂しい風です。
しかし、ヨーロッパでは、春を呼ぶのは西風です。
ルネサンスの画家ボッティチェリが描いた「ヴィーナスの誕生」では、海の泡から生まれたばかりのヴィーナスを乗せた貝を、陸まで運ぼうと、ゼフュロス(西風)が薔薇の蕾が混ざった春風を、吹き付ける様子が描かれています。
また、ドイツの詩人ゲーテが恋人への愛を詠った「西東詩集」に収められた詩「ズライカ」にも西風が登場します。
歌曲王のシューベルトはその「ズライカ」に春風(西風)を思わせるような、浮き浮きとした喜び溢れるピアノ伴奏に甘いメロディーの歌を作曲しました。
洋の東西が変われば、森羅万象にこめられた意味が反対なものありますが、似た捉え方をされるものもあります。
首が長くて大きな鳥の後ろ姿は人のようですが、ヨーロッパでは白鳥が人の化身として
神話や童話の中に登場します。
ギリシャ神話では大神ゼウスは白鳥に姿を変えて、スパルタ王妃レダを誘惑します。
チャイコフスキーが作曲したバレエ音楽「白鳥の湖」に登場する白鳥たちは、悪魔の魔法にかかったお姫様と娘たちの化身です。
日本では鶴が、人の化身としてお話の中に登場します。
民話「鶴の恩返し」は、貧しい男に助けられた一羽の鶴が、若い女性に姿を変えて恩返しをするお話です。
劇作家の木下順二がこの「鶴の恩返し」を戯曲化した「夕鶴」は1949年の初演以来、上演回数1000回を超えるほどの人気芝居演目となり、宇野重吉、渡辺徹(与ひょう)、坂東玉三郎(おつう)ら舞台俳優の重鎮たちも演じてきました。
「夕鶴」は、作曲家の團伊玖磨(だんいくま)によって、日本人による純国産オペラにもなりました。
鶴も白鳥も季節によってねぐらを変える渡り鳥です。
雀や鳩は年中見かける身近な留鳥なので、親近感がありますが、遠くから渡ってくる白鳥や鶴に、人は神秘性を感じ、空想をかきたてられ、物語や神話が生まれていったのかもしれません。
人にはない翼をもち、何千キロも離れた土地から、迷うことなく生まれ故郷へ帰ってくる渡り鳥たちに、物語の題材としてではなく、科学的な理論を見出そうとした人がいます。
ルネサンスの巨匠レオナルド・ダヴィンチです。
パリのルーブル美術館に展示されている「モナリザ」や、ミラノの教会の食堂の壁画「最後の晩餐」で知られているダヴィンチは、500年以上前に、フィレンツェ近くの小さな村で生まれました。
ダヴィンチは、14歳から20歳くらいまで師の工房で修業しましたが、その後は独立し、すべて独学です。
画家として名高いダヴィンチですが、請われれば絵だけでなく、兵器や治水事業、騎馬像、など多方面に天才ぶりを発揮し、興味を持った分野は、とことん追求しました。
研究熱心なダヴィンチは、リアリティのある人物画を描くために、人体解剖し、人間の内蔵や血管、筋肉までも細かくスケッチし、それから絵筆をとりました。
興味の対象を納得いくまで観察し、どこまでも探索する心がダヴィンチの天才的な作品を生む秘密でした。
万能の天才ダヴィンチが、もっとも情熱を注いだ研究は飛ぶことでした。
その証は、彼の手書きのノート(手稿)に残されています。
ダヴィンチは興味を持ったあらゆる分野のことを13000ページの手稿に書き記しており、その中に、「鳥の飛翔」に関する研究があります。
ダヴィンチは、生まれ故郷の村の丘で、渡ってくる鳥を観察し、翼の研究をしました。
後世の人が滑空に成功した翼の形を、400年以上も先取りして、ダヴィンチはその翼に近い形のスケッチをのこしています。
先日、私は、世界一のナベヅル越冬地、鹿児島県の出水平野にオートバイで行ってきました。
野鳥観察が大好きな夫と私は、いつか出水平野のツルを見に行くことを楽しみにしていました。
しかし、夫は日々の忙しさに追いやられ、ついにその機会に恵まれず、旅立ってしまったので、私は元気なうちに彼の好きなオートバイで見に行こうと思い立ったのです。
出水平野のツル観察センターの隣の宿泊施設に宿をとり、窓越しから、降るような星空を眺めながら、1万3千羽のツルの鳴き声を聞き、眠りに落ちました。
その民宿は半世紀以上、ツルの保護に生涯をかけた又野末春氏が開いた施設で、ツル観察に訪れる人のための民宿でした。
又野氏は8年前に他界されましたが、又野氏のお嬢様と奥様が、毎年、ツルが越冬する季節だけ旅人を受け入れてくれます。
出水平野のツルは江戸時代、薩摩藩から手厚く保護されてきましたが、第二次世界大戦後、保護されなくなり、200羽ほどに激減し、危機的状況になりました。
しかし、又野氏は個人でツルの保護活動を始め、近隣の理解を得ながら半世紀もの活動によって出水平野は1万羽ものツルが越冬する飛来地になりました。
ダヴィンチも、又野氏も、独りで取り組み始め、たゆまぬ努力と試行錯誤をし、それぞれに前人未踏な素晴らしい成果を残しました。
ダヴィンチは400年も時代を先取りした鳥の飛翔の手稿を、又野氏は世界一のナベヅル飛来地を。
又野氏のツル保護活動を半世紀以上支えてこられた奥様の美味しい手料理をいただきながら、私にもできる前人未到のことがあることに気づき、夫と歩んだ暮らしを続けながら、自分の歌声を使って形にしていこうと思いました。
~つづく~
2018年3月1日
大江利子
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