クーポラだよりNo.33 ~六騎(ろっきゅ)とフィガロの結婚~
理由もないのに、心をつかまれて、忘れられない詩に出会います。
御正忌(ごしょうき) 参詣(めん)らんかん
情人(やね)が 髪結うて まっとるばん
寺の 夜明けの 細道に
鐘が鳴る
逢(お)うて 泣け との 鐘が鳴る
「からたちの花」の作詞者、北原白秋が残した「六騎(ろっきゅ)」という詩です。
六騎(ろっきゅ)とは、馬に乗った六人の平家落武者のことです。
壇ノ浦の戦いに敗れた平氏の残党は四国や九州各地の秘境に落ち延びました。
白秋の生まれ故郷にも六人の平家落武者が住み着き、地元住民たちを夜盗から守りました。
御正忌(ごしょうき)とは親鸞上人の命日、情人(やね)とは、恋人のことです。
クリスマスもバレンタインもなかった、その昔、結婚前の男女が夜明けまで共に過ごすことができるのは、御正忌の夜くらいでした。
「六騎」は、六騎伝説が残る北原白秋の生まれ故郷の町で行われる、年に一度の伝統行事、御正忌の夜を待ち焦がれていた恋人たちのせつない心情を表した詩なのです。
白秋のお国言葉の柔らかなアクセントが、艶っぽい内容を一層魅力的にしています。
この「六騎」の詩に、すっかり心を奪われた私は、昨年秋、オートバイで、六騎伝説が残され、白秋の生家が保存されている福岡県柳川市まで行ってまいりました。
柳川市は菅原道真公を祀った九州太宰府天満宮から60キロほど南西方向で、有明湾に近い水郷の町です。
柳川には、「掘割」と呼ばれる水路が市内を縦横に走り、「掘割」の水辺はたおやかな柳の木に縁どられています。
北原白秋の生家は川下りが楽しめる、柳川市内の最も美しい地区に今も大切に保存されています。
「六騎」の伝説となった平家落武者の魂を祀った六騎神社も、白秋生家の近くにあり、岡山からオートバイで走ってきた私を大いに満足させてくれました。
北原白秋は恋多き人で、若い時は情熱のあまりに、人の道を踏み外したこともありましたが、生涯の伴侶、菊子さんが見つかったあとは子煩悩な良きお父さんでした。
カニの床屋とウサギのお客のユーモラスなやりとりを詩にした「あわて床屋」は幸せな家庭の中で優しいお父さんになった白秋が伺い知れます。
一方、情熱的で息苦しいような詩、「六騎」は、道ならぬ恋に白秋が溺れた時期なのでしょう。
白秋が生まれ育った家や町を散策していると、自分にとっては、活字の世界だけに住んでいた遠い存在の白秋が、親しみが持てる人間になったような感覚を覚えました。
「六騎」は、山田耕筰によって幻想的な旋律がつけられ、歌曲になっています。
「六騎」を歌う時、柳川を訪れる前と後では自分の歌の中に込める感情の深さに厚みが増したように思えます。
20年前、1997年の元旦にも、この柳川訪問のように、心をつかまれた音楽に導かれてオーストリアのウィーンまで、夫と共に、足を運びました。
私と夫をウィーンまで導いたのは、モーツアルトが作曲したオペラ「フィガロの結婚」です。
モーツアルトは5歳で作曲し、ヨーロッパ各地で神童と称えられましたが、成人してからは、その才能に見合う役職を与えられませんでした。
モーツアルトが生きていた時代は、王侯貴族など、一部の特権階級が政治権力を握っていた封建社会でしたので、音楽家は、現代のように自由に作曲できなかったのです。
常に、特権階級である雇い主の趣味に合った音楽を作曲しなければなりませんでした。
しかしモーツアルトはそうしませんでした。
モーツアルト自身が納得する台本にしか、音楽をつけなかったのです。
その最たるものが「フィガロの結婚」です。
「フィガロの結婚」は、当時、絶対王政下のフランスで執筆され、貴族を痛烈に批判した内容で、思想的に危険とされたお芝居でした。
知恵者で平民の立場の召使いフィガロが、貴族の特権を振りかざして、傍若無人な振る舞いをする主人を、やりこめて、笑い者にするお話です。
モーツアルトは、この一歩間違えれば、自分の政治的な立場を足元から覆されそうな
「フィガロの結婚」に音楽をつけて、オペラにしました。
モーツアルトは、ウィーンの街中のアパートで「フィガロの結婚」を作曲しましたが、そのアパートは「フィガロ・ハウス」と呼ばれて、今も、柳川市の白秋生家のように大切に保存されています。
私は、夫とともに、ヨーロッパに記録的な大寒波が訪れた1997年の元旦に、マイナス13度のウィーンの街中を歩き、フィガロ・ハウスを詣でました。
かつてモーツアルトが暮らしていたアパートは趣味の良い上品な家具が置かれ、明るい色合いのインテリアは、生き生きとした躍動感あふれる音楽を作曲したモーツアルトらしいお部屋でした。
吐く息が凍り付いてしまうほど厳寒のウィーンの外気とフィガロ・ハウス室内の温もりある雰囲気がとても対照的で、強く印象に残っています。
オペラ「フィガロの結婚」は、完全な形で演奏すると3時間もかかる大作です。
しかしその中身の旋律と歌詞は、どの部分も、親しみやすく、男女の恋をテーマにした「六騎」のような小さな音楽の集合体です。
一般的に、オペラは、専門的に訓練を受けた人だけが歌うもの、と思われがちですが、モーツアルトは歌が好きな人ならば、誰でも歌ってもらいたいと思い、「フィガロの結婚」を作曲したのではと、思います。
茶目っ気がたっぷりのオペラ「フィガロの結婚」の楽しさや、「六騎」の切なさを広くお伝えしたいな、またできるなら歌っていただきたいなと願いつつ、オートバイで巡礼し、クーポラだよりを書く日々です。
~つづく~
2017年11月29日
大江利子
0コメント