クーポラだより No.32 ~シネマ・クレールとカストラートの発声~
深く感動した映画は、人生の宝となります。
その映画のことを思い出すだけで、心が温かな感動に包まれ、生きる勇気を与えてくれます。
小学生の頃、喘息持ちだった私は、学校を休みがちでした。
季節の変わり目ごとに、体調を崩し、喘息の発作がでました。
喘息の発作は、真夜中におきます。
半身をおこし、掛け布団を抱きかかえて、背中を丸めて発作による呼吸困難をしのぎます。
夜明け前、やっと発作がおさまり、眠ることができます。
一晩中、喘息の発作と闘い続けたので、体力を奪われ、とても学校へ行く元気はありません。
午前中は、死んだように眠っていますが、午後には目が覚めます。
少しでも、元気になると、布団の中でじっとしているのが退屈になってきます。
両親共働き、一人っ子の私は、誰もいない家の中で茶の間のテレビで退屈な午後をしのぎました。
1970年代(昭和50年代)テレビで、白黒の古い洋画を放映していました。
「秘密の花園」や「若草物語」など、文学作品を題材にした白黒映画は、図書館で借りた本で原作を読んでおり、あらすじを知っていたので、小学生の私でも、とても楽しめました。
たくさん見た白黒映画の中で、特に印象に残っている映画があります。
1937年のアメリカ映画「オーケストラの少女」です。
失業したオーケストラ楽団員たちのために、歌の上手な少女が奔走する心温まる物語です。
「オーケストラの少女」には実在の指揮者やオーケストラが登場し、クラシック音楽の名曲がたくさん演奏されます。
成長するにしたがって、喘息発作は減り、音楽大学に進学した私は、ピアノの練習に追われ、映画を見る余裕などない青春時代でしたが、映画好きな夫と結婚して再び映画を見る機会が巡ってきました。
1990年代、一般的に新作映画を見るには、封切館(ロードショー館)と呼ばれる、大規模な映画館を利用しました。
岡山市内には岡山駅前に千日前映画館と中山下に映画館がありました。
どちらの映画館も、大資本に支えられた商業目的の娯楽映画を上映していました。
スピルバーグ監督の「インディ・ジョーンズ」、ルーカス監督の「スターウォーズ」、
キャメロン監督の「タイタニック」のような作品です。
しかし、クーポラだよりNo.31の岡本忠成のように小さな映画や、「オーケストラの少女」のように古典映画は、儲けを度外視しているので、封切館では上映されません。
では、岡本忠成作品のような、小さな傑作映画はどこで出会えたのでしょう?
1980年代、岡山市内では、オリエント美術館の地下ホール、岡山県総合文化センター(天神山文化センター)などで、映画通の人たちが自主上映会を開き、隠れた傑作映画を見せてくれていました。
現在、岡山市北区にシネマ・クレールという名の素敵なミニシアターがあります。
シネマ・クレールの館長の浜田高夫さんは、京都の大学を卒業後、郷里の岡山でご自分の見たい映画に出会えないもどかしさから、サラリーマンをしながら自主上映会を開き続けていました。
若き夫は、浜田高夫さんの自主上映会で素敵な名画にたくさん出会いました。
夫のファイルには半券やチラシが当時のまま美しく保管されています。
1994年に、浜田高夫さんは、映画への想いがいっぱい詰まったシネマ・クレールを
岡山市の石関町に誕生させました。
49席の可愛いホールですが、映画審美眼の鋭い浜田高夫さんが納得のいく傑作映画を上映する全国的にも貴重なミニシアターです。
1995年、夫と私は開館して間もない、石関町のシネマ・クレールにベルギー人コルビオ監督の「カストラート」という映画が上映されると聞きつけ、見に行きました。
コルビオ監督は「仮面の中のアリア」という作品で、我が家ではお馴染みでした。
「仮面の中のアリア」は本物のオペラ歌手が主役で、引退したオペラ歌手が若い歌手を育てる映画です。
「仮面の中のアリア」には、オペラ歌手になるための秘訣がたくさん散りばめられ、私は、何度も繰り返し見ていました。
そのコルビオ監督の新作がシネマ・クレールで見られると知って夫と私は石関町に足を運んだのです。
「カストラート」とは、オペラを歌うために去勢された男性歌手のことです。
ヘンデルやバッハが活躍したバロック時代は、オペラ歌手の発声技法は華やかでスペクトルなもので、常人には信じ難い高音を、目の覚めるようなスピードで歌うことのできる歌手が、スーパー・スターとして、もてはやされたのです。
技巧的な歌い方は、強靭な肉体としなやかな声帯が不可欠です。
女性オペラ歌手は、しなやかな声帯を持っていますが、男性並の筋力はありません。
ひばりがさえずるような軽い声で歌う歌手は、演歌歌手のようなドスの効いた低音は出せません。
ヴァイオリンとコントラバスで音域を分けるのと同じです。
けれども、ひとりの人間の肉体の中で不可能に挑戦したのがカストラートなのです。
自然に逆らって、技巧のために誕生したカストラート歌手の活躍と哀しみを描いた映画が、
「カストラート」です。
カストラートは、危ない医療行為が問題視されて、現在は存在しません。
けれども、怪しく、美しいカストラートの技巧的な歌声は人々の耳に残り、ヘンデル以降の作曲家たちも魅力しました。
女性オペラ歌手たちの見せ場のソロ部分で、アップ・ダウンの激しい技巧的な旋律が登場するのは、その名残りなのかもしれません。
私がオペラ歌手の歌い方に魅了される理由のひとつも、その技巧的な部分です。
自分で何故なのか説明がつかず、言葉が見つかりませんでしたが、夫とともに、石関町のシネマ・クレールで「カストラート」を見てからは、答えが見つかったように思います。
失われた幻の技法、不可能な歌い方をいつか我が物にしたいと思い、日々精進する毎日なのです。
~つづく~
2017年10月29日
大江利子
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