クーポラだよりNo.30   ~北斎の絵とバレエのストレッチ~


この夏、どうしても見ておきたい記念館があり、オートバイで青森県五戸町まで出かけてまいりました。



みちのく青森は岡山から片道1300キロ、自動車でも13時間はかかるみちのりです。



女性独りで、オートバイで行くなんて無謀です。



私の友人たちは、反対こそしませんでしたが、さぞかし肝を冷やしたことでしょう。



 青森県五戸町は、日本の航空の父、木村秀政の郷里です。



木村秀政は、ライト兄弟が世界で初めて動力付き飛行機を成功させた1904年に生まれました。



幼少期に夢中になった模型飛行機工作からスタートし、設計者として教育者として、文筆家として多方面にわたって、日本の航空技術発展のために大きく寄与しました。



 男の子なら誰しも、幼いころ、飛行機が好きなものですが、それを生涯の仕事として人生を貫いた木村秀政を育んだ郷里、青森県五戸町とは、いったいどんな自然風景なのかを肌で感じてみたくてオートバイで行ってみたのです。



八月の夏の盛りだというのに、みちのく青森の家々の庭先には瑞々しい紫陽花が咲き誇り、山肌の下草には真っ白な山百合が顔を出し、産直市場には、ルビーのように輝くサクランボが並んでいました。



町を囲む周囲の山々は、中部地方に見られる険しく崇高な日本アルプスとは違い、穏やかで人々を包み込むような優しい印象の緑でした。



食べ物も水も美味しく、冬には想像を超えるような雪との闘いがあるのでしょうが、それがまた、東北人の粘り強さ、生涯かけてひとつのことを貫く強さを育んでいるのかしら、と思えました。



穏やかで優しい五戸町の景色を見ながら、私は夫と行った長野県小布施町を思い出していました。



小布施には江戸時代の天才浮世絵師、葛飾北斎の晩年の傑作、巨大な天井画が残されています。



2007年の遅い春に、私と夫は北斎の天井画を見に行くため、愛車の黄色いインプレッサに布団を積み込み、交代で仮眠を取りながら、長野県を目指しました。



夜中に岡山を出発し、高速道路を使って7時間ほどで、長野県に到着しました。



目指す北斎の天井画は小布施の町はずれの岩松院というお寺にあります。



小布施の町を散策しながら私たちは岩松院を目指しました。



薄桃色の杏の花が咲く、美しく落ち着いた町並を通りぬけると、岩松院がありました。



北斎の天井画は本堂の天井の桧の板に直接に描かれています。



大きさは畳21畳分、金箔4400枚、辰砂(しんしゃ)、孔雀石、鶏冠石(けいかんせき)などの高級な岩絵具(いわえのぐ)をふんだんにつかって、極彩色の一羽の巨大な鳳凰(ほうおう)が描かれています。



北斎がこの鳳凰図を完成させて160年以上経過した今でも、一度も塗り替えることなく、鮮やかな色彩を保ち、直接に鳳凰を見ることができます。



この鳳凰は「八方にらみ」と呼ばれ、どの方向から眺めても鋭い鳳凰の眼と自分の眼が合います。



寝転んで見ないと全体が見渡せないほど巨大で、北斎最晩年88才から89才にかけて描かれました。



3万点を超える北斎作品の中で、この鳳凰図は最も巨大な作品です。



北斎が存命の頃、彼を当代一の絵師として有名にしたのは



72才の時に発表した富嶽三十六景です。



一枚とて同じ構図のない36景の富士山の浮世絵です。



勇壮な白波がたつ海原の遥か彼方に、可愛く姿を見せる富士山や、桶屋が一生懸命仕事をしている丸い桶の向こうに顔をのぞかせる小さな富士山、などと、ただ単に卓越した技量を持つ絵師ではなく、機知に富み、見るものを飽きさせない北斎のこだわりが感じられます。

日本には、室町時代から江戸時代末期まで、400年にも渡って、画壇の本流を独占していた狩野派(かのうは)と呼ばれる絵師集団が存在していました。



織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった天下人のお抱え絵師として、狩野派は時の権力者の意に沿う絵柄で、居住空間を飾りました。



しかし、狩野派の作品の多くは、安土城、大阪城、江戸城など権力争いが起こるたびに、

建物ごと失われてしまいました。



強いパトロンの庇護のもとに、絵を描いていた狩野派の作品は、パトロンが権力を失うと同時にその作品の運命も終わっていったのです。



けれども、葛飾北斎は、江戸時代、身分社会で生きながら、権力者にすがることなく、絵を描くことだけに専念しました。



誰の庇護も受けず、ひたすらに、自分が納得する作品だけを描き続けて、北斎は90才で生涯を閉じました。



小布施町の鳳凰図は人生最期まで進化し続けた北斎の魂の象徴のように思えます。



純粋に絵を描くことを追求した北斎の作品は、同胞の日本人だけでなく、西欧諸国の人たちにも感動を与えました。



ゴッホやセザンヌも北斎の絵からインスピレーションを得て自分の作品に活かしています。



今や、北斎の作品は、現在の人々の生活に溶け込んでいます。



イワシ雲がたなびく群青色の空にそびえるなだらかな赤富士は、北斎の富嶽三十六景の中の「凱風快晴(がいふうかいせい)」という作品です。



凱風快晴の名は知らずとも、赤富士の絵を見れば、日本人なら誰でも知っている絵です。



真の芸術とは、北斎の赤富士のように、人々の生活に自然に溶け込むものだと思います。



 青森県五戸町、オートバイで往復3000キロを走りきれたのは、ただ私が元気なだけではありません。



長時間、オートバイにまたがり同じ姿勢をし続けると、身体が固まります。



身体が固まらないように、私は常日ごろから、実践しているバレエで培ったストレッチをしながら旅を続けました。



未だ、バレエは幼いころからから始めないと身体が柔らかくならないとか、柔軟性はうまれつきだとか、固定観念が浸透していますが、葛飾北斎の赤富士のように、いつかは、必ず、バレエの正しいストレッチが人々の生活に浸透する日がやってくると思います。



私はそのさきがけとして、少しでもたくさんの人に、大人からでも、勇気をもって、

バレエのストレッチに挑戦し、元気になってもらいたいなと思います。



~つづく~

2017年8月29日

大江利子

クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

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