クーポラだより No.29 ~「耳をすませば」と夫の秘密~


「隣のトトロ」でお馴染みのジブリ映画は、大人も童心に戻れる楽しい作品を世に送り出しています。



ジブリ映画の特徴はワクワクする飛行シーンや、美味しそうな食事風景、愛らしい小動物などがあげられ、そのほとんどは、宮崎駿(みやざきはやお)と高畑勲(たかはたいさお)のふたりの監督によって制作されました。



宮崎監督は空物(そらもの)が得意で、イタリアの真っ赤な水上機が登場する「紅の豚」や、零戦をつくった堀越二郎が主役の「風立ちぬ」に、その才能が生かされています。



一方、高畑監督は文学作品が得意で、野坂昭如原作の「火垂るの墓」、日本民話「かぐや姫」をつくっています。また、ジブリ以前では、テレビアニメメーションの不朽の名作「赤毛のアン」も高畑作品です。



ジブリは、これまでに21の長編映画を制作してきましたが、空物(そら)でもない、文学作品でもない、異色の作品があります。



中学3年生の聖司くんと雫(しずく)ちゃんが主人公の「耳をすませば」という作品です。



聖司くんの夢は、ヴァイオリン職人になること、雫(しずく)ちゃんの夢は小説家になることです。



若いふたりが将来の夢に向かって思い、悩む姿を描いたみずみずしい作品です。



この「耳をすませば」を監督したのは、47歳の若さでこの世を去った近藤喜文(こんどうよしふみ)です。



近藤喜文は、高畑と宮崎の両監督の下で長年作画を担当してきた、いわば、縁の下の力持ち的存在でした。



高畑監督の「火垂るの墓」のリアルな人物描写は、感受性の鋭い作画をする近藤喜文の存在が大きいと言われています。



高畑、宮崎の二大巨頭の名前が大き過ぎて、近藤喜文の名前が取り上げられことは、少ないのですが、昨年秋、佐賀県立美術館で近藤喜文展が、開催されると聞き、私は夫の遺したオートバイにまたがり、はるばる九州へ出かけて参りました。



近藤喜文が長年、携わってきた作画という仕事は、監督のアイデアをリアルな絵にすることです。



建築でたとえるならば、建築家が出したアイデアを図面におこすような仕事です。



建築家がどんなに素敵なアイデアをだしても、それを実際の形にできる図面がなければ、大工さんたちが困るように、高畑、宮崎の両監督がどんなに面白いアイデアを出してもリアルな絵を描いてくれる作画者がいないと、ジブリのような楽しいアニメーション映画は出来ないのです。



我が夫、大江完も同じようにたくさんのデザイン画を遺し、一度も発表することなく、この世を去ってしまったので、近藤喜文展に行くことは、私にとって特別な思いがあったのです。



普段は、人目に触れることのない、下絵のデザイン画ばかりの回顧展、いったいどんな風に展示してあるのだろうと、期待と不安の半々の思いとともに、会場へ入りました。



会場に入ると、私の不安は消し飛び、近藤喜文の絵の力に圧倒されました。



鉛筆画でありながら、そのデッサン力の正確さ、緻密さに、感動しました。



また、どの絵も皆、とても、楽しそうです。



近藤喜文の描いた鉛筆画は、生命力にあふれ、今にも、紙の中の人物がこちらに向かって歩いてくるようでした。



はるばる岡山からオートバイで駆けってきたためもあるでしょうが、感慨もひとしおでした。



最後にひとつ、大きな疑問が残りました。



近藤喜文展が佐賀県で行われたことです。



近藤喜文の郷里は新潟県なのでまず最初は、新潟県で回顧展が開催されました。


しかしその次に開催されたのが、いったいなぜ、佐賀県なのかと、私は不思議に思ったのです。



この疑問を私は佐賀県立美術館の学芸員(若い女性)にぶつけてみると、なんと、彼女自身が、ジブリ映画の大ファンで、彼女の働きかけで、この回顧展が実現したとのことでした。


回顧展の内容の濃さと、そのエピソード、ふたつの感動を胸に私は九州をあとにしました。



死後、何年も経過して、表舞台に立つことがほとんどなかった人の下書き鉛筆画が、まったく縁もゆかりもない若い世代に感動を与えるなんて、なんて素晴らしいのだろうと思いました。



近藤喜文の唯一の監督作品「耳をすませば」の主人公の聖司君は、ヴァイオリン職人になるため、イタリアのクレモナに行って修行するのが夢です。



1993年、私がイタリア留学した年のクリスマス、夫の大江完は、はるばる日本から、私に会いに来てくれました。



夫は私の歌のレッスンを見学したあと、まず、クレモナに行きたいと言いました。



クレモナは、名ヴァイオリン職人、ストラディバリが活動した街です。



ストラディバリは300年前に活動していた職人ですが、現存する彼のヴァイオリンは素晴らしい音色で、未だに、ストラディバリを超える職人は現れていません。



ストラディバリの作ったヴァイオリンは、「ストラディバリウス」と呼ばれ、第一線で活躍するヴァイオリストたちの手によって素晴らしい音色を聞かせてくれています。



夫の父は「耳をすませば」の聖司君が憧れていたヴァイオリン職人でした。



夫の父の夢はストラディバリの街クレモナに行くことでした。



夫は父のかなえられなかった夢を実現したのです。



手先が恐ろしいほど器用だった夫は、彼の父ゆずり、我が家に遺された膨大な本をすべて読みつくしたほどの博識さは、やはり「耳をすませば」のもう一人の主人公雫ちゃんのような、文学好きな夫の母ゆずりでした。



「耳をすませば」のラストは、聖司(せいじ)君と雫(しずく)ちゃんが、朝焼けの見える高台で、将来を誓い合ってエンディングを迎えます。



もしも、「耳にすませば」のふたりが結婚して、子供が生まれたら、私の夫のような人かも知れないなと、私は、勝手に想像してしまいます。



そして夫が遺した膨大な資料と日々向き合いながら、佐賀県美術館の学芸員のような若い方々に、夫の作品を知ってもらえたらなと、クーポラだよりを書き続けるのです。



つづく

2017年7月29日

大江利子

クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

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