クーポラだよりNo.28 ~勝山とヴィチェンツァとバレエのフォンデュ~
お気に入りの映画は、ストーリーを覚え、登場人物のセリフや演技までも覚えてしまいます。
大好きな映画の撮影場所を旅の目的にするのは、実に楽しいものです。
「男はつらいよ」は渥美清演じる寅さんが主人公で、48回ものシリーズが続いた大ヒット映画です。
「男はつらいよ」の筋書きは、パターン化しており、48作品、ほぼ同じです。
茶色のソフト帽をかぶり、皮のトランクケースを片手に、日本全国を旅しながら露天商売のてきや稼業の寅さんは、旅先でちょっと影のある美女に、恋をしてしまいます。
恋の結末は、必ず寅さんの失恋に終わります。
失恋の傷を癒すため、寅さんがあらたな旅に出発するところで映画はジ・エンドを迎えます。
観客は、寅さんの行く末を案じながら、映画館を後にし、次作が発表されると、寅さんの元気な姿に会いたくて、また、映画館に足を運んでしまうのです。
「男はつらいよ」の新作は、年に2回、お盆とお正月に発表され、夏の暑い盛りには北国へ、
寒さが厳しい冬には南国へ、寅さんは旅をします。
日本人の心のふるさとを呼び覚ますような懐かしい風景を、寅さんは旅してまわるので、
全国に「男はつらいよ」のロケ地が点在しています。
私も先日、「男はつらいよ」の最終作のロケ地、岡山県北部の町、勝山へ行ってきました。
勝山は、木材の町として有名で、昔は宿場町として栄えました。
なまこ壁や連子格子窓など、懐かしい和建築の粋(すい)を凝らした建物が大切に保存され、今も、その歴史的な建物で人々は生活をしています。
黒光りする、木目美しい重厚な梁が素敵な、酒蔵を改造したレストランで、地味豊かなお昼ご飯をいただきながら、私は20年前の夏を思い出しました。
夫が同伴してくれた歌のレッスン旅行は、いつも飛行機代が安い冬でしたが、一度だけ夏に行きました。
ミラノで歌のレッスンを受けた後、私たちは、イタリアの小さな町、ヴィチェンツァを目指しました。
ヴィチェンツァは、ミラノから東へ、アドリア海の女王と謳(うた)われたヴェネツィアへ行く途中です。
私たちが、わざわざ、ヴィチェンツァを目指したのには、理由がありました。
我が家には、夫がそろえた、大量のレーザー・ディスク(映像ソフト)があります。
邦画、洋画と様々なジャンルがありますが、私の勉強用にと、貴重なオペラ映像もたくさんあります。
オペラは歌舞伎のように舞台作品なので、映像も、生舞台をそのまま収録した、ライブがほとんどですが、稀に、オペラ映画があります。
オペラ映画は、一流の歌手が、映画俳優のように自然な演技をしながら歌います。
衣装もセットも違和感なく音楽と一体化し、あらすじを知らないオペラでも、無理なく楽しめます。
我が家のオペラ映画コレクションの中で、特にお気に入りの一本は、「ドン・ジョバンニ」です。
「ドン・ジョバンニ」はスペインのハンサムな貴族で、女性遍歴を重ねるドンファンの物語をモーツァルトがオペラにしました。
愛らしく軽やかな音楽のモーツァルト作品とは異なり、暗く、ダイナミックで迫力満点のオペラです。
このモーツアルトの異色のオペラ「ドン・ジョバンニ」のオペラ映画が我が家にあります。
アラン・ドロン主役の「暗殺のメロディー」の監督、アメリカのジョセフ・ロージーが
1979年に発表したオペラ映画です。
主役のドン・ジョバンニは、当時のオペラ界で最も実力があり、容姿も申し分ないバリトン歌手、相手役の女性陣も、声も姿も美しい歌手たちばかりです。
そして何より、素晴らしいのは、映画の撮影場所です。
ロージー監督が選んだのは、イタリアの小古都ヴィチェンツァの町を彩る、ルネサンス建築の巨匠パッラーディオの建築物でした。
私たちは、そのドン・ジョバンニのオペラ映画に使われた撮影場所、パッラーディオ建築を見たくてヴィチェンツァの町まで行ったのです。
ヴィチェンツァに残されているパッラーディオ建築の一番の特徴は古典的な様式美です。
パッラーディオは若い頃、パルテノン神殿に代表されるギリシア建築をたくさん勉強しました。
パルテノン神殿は、堂々とした円柱とファサードが印象的です。
神殿の壮麗さを強調するために使われた円柱やファサードを、パッラーディオは個人の住居や劇場の建物に応用しました。
パッラーディオ様式は後の時代に広く浸透し、アメリカのホワイトハウスにも取り入れられています。
ヴィチェンツァは山あいの小さな街なので、私たちは、レンタサイクルで「ドン・ジョバンニ」ロケ地巡りをしました。
8月の真夏なのに、ヴィチェンツァの空気は清々しく、パッラーディオ建築は、どの建物も、実際に町の人たちに使われていて、500年前のルネサンス時代の建物が、現在の人々の生活に活きていることに、とても感動を覚えました。
パッラーディオの建築様式が先を見通した素晴らしいものなのでしょうが、500年にも渡って、その建物を大切に守りながら、日々の暮らしを積み重ねてきたヴィチェンツァの街の人々が素晴らしいなと思いました。
先日、勝山を訪れた時も、20年前にヴィチェンツァで抱いた感動とまったく同じでした。
様式美や伝統美は、建築も、彫刻も、音楽も、与えられた約束ごとからはみ出さずに、
いかに、美しく魅せるかを工夫することです。
約束ごとからはみ出さず、最大限、美しく魅せること、これは、バレエで最も大切なことです。
バレエのレッスンの中で、「フォンデュ」と呼ばれる動きがあります。
スイスの伝統食チーズ・フォンデュのように溶けるような柔らかな動きのことです。
両足の膝を曲げた状態から、片足で真っ直ぐ立ち、もう一方の足は、空中に出す動きを、
両足同時に、なめらかに、柔らかく行うのです。
地味な動きですが、実にこれが難しいのです。
でも、このフォンデュができないと、ぎこちない踊りになり、バレエの最大の魅力である、
優美さを、表現できないのです。
片足立ちで、反対の足を空中に伸ばすためには、立っている足に、全体重を受けねばなりません。
しかも、バレエはつま先立ちですから、かかとは使えず、足の指先だけで、自分の体重をコントロールします。
足の指先で体重をコントロールするには、身体全体の筋肉の調和が取れていないと出来ません。
毎日のバレエお稽古は、思うように動いてくれない我が身との闘いです。
伝統的な美や様式美を身体で表現するために、特効薬や近道はありません。
決して、替えることはできない我が身、つまり、与えられた約束ごとからはみ出さずに、最大限、美しく魅せるには、ヴィチェンツァや勝山の人々のように、日々の暮らしの積み重ねが大切なのです。
~つづく~
2017年6月29日
大江利子
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