クーポラだより No.27 ~「ブレーク」のお皿と180開脚~
自由な旅先で、頭を悩ますものは食べ物です。
旅行業者が企画した、パック旅行ならば、自分で考える必要はありませんが、個人旅行にこだわるならば、すべてを、自分で判断せねばなりません。
短い旅ならば、店構えだけで判断し、適当に入ったお店の味に、あたり外れがあろうと、さほど気にはなりません。
しかし、長い旅だと、体調にも関わるので、野菜がしっかり摂れて、栄養バランスの良い食事を提供してくれるお店を探すのにひと苦労です。
1994年、イタリア留学を、不完全燃焼で終わり、帰国した私のために、夫は、翌年から連続5年間、冬休みを利用してイタリアへ歌のレッスンに連れていってくれました。
毎回、お正月をはさんで、10日間ほど、私と夫は、イタリアに滞在しました。
私の歌の先生、カヴァッリ先生は、ミラノ郊外にお住まいだったので、ミラノ中央駅近くのホテル・フロリダを常宿にしていました。
ホテル・フロリダの建物は観光客が少ない、ビジネス街の裏通りに面していました。
その裏通りは、地元っ子向けのパン屋、お菓子屋、本屋などが、立ち並ぶ、商店街のような、たたずまいでした。
庶民的なお店が並ぶホテル・フロリダ界隈に、「ブレーク」という名前のレストランがありました。
「ブレーク」は、日本円で、千円も出せば、肉料理もサラダも、デザートまでも、いただけるとてもお財布に優しいセルフ式のレストランです。
「ブレーク」の店内に入ると、まず各自、大きなお盆を持ちます。
店内は、広いワンフロアで、料理別にエリアが分かれていて、お盆の上に、欲しい料理をのせていき、最後にレジで精算し、食事コーナーでいただくのです。
日本のスーパーマーケットで、入店したら、各自、かごを持って、店内を自由に歩き回り、
欲しい商品を見つけるシステムとよく似ています。
野菜料理は、フレッシュなサラダ、ジャガイモのバター焼き、などが山盛りに用意され、
自分で、好きな量を、お皿に取ります。
たくさんとっても、少しとっても、一皿のお値段です。
肉や魚料理は、専門の料理人が常駐していて、注文すると、美味しそうなステーキを目の前で、好みの焼き具合に、調理してくれます。
面白いのは、入店すると、まず、デザート・エリアがあることです。
イタリアのケーキは、日本のような、口当たりが柔らかな、ふわふわのスポンジケーキはありません。
干し果物や、ナッツ類を混ぜ込んだ、どっしりとした味のタルトばかりです。
でも、そのタルトの美味しいこと。
イタリアのバターやチーズがフレッシュで濃厚なので、セルフ式の安食堂の味とは思えない、素晴らしい美味しさです。
また、ルネサンス発祥の国だけに、タルトの配色の美しいこと。
宝石を散りばめたような鮮やかな色合いのタルトが、入店するなり、目の前に、現れるのですから、誰も、その魅力に逆らえません。
ダイエットを決め込んでいるらしい、ミラノっ子のOLも、肉料理やパスタは外しても、タルトだけは例外らしく、お盆に、サラダとタルトの大きな一切れをのせています。
「ブレーク」の味付けは、全体的に薄味でした。
食事コーナーのテーブルに、塩、胡椒、オリーブオイルが用意されているので、味が物足らない人は、後から、好きなだけ、濃くできるようになっているのです。
イタリアのお野菜は味が濃厚なので、シンプルな調理方法でも、とても美味しくいただけるのです。
薄味志向、野菜大好きな私と夫は、ミラノ滞在中、いつもこの「ブレーク」のお世話になっていました。
夫が嬉しそうに何種類ものお料理をお盆いっぱいになるまでのせていたのが、懐かしく思い出されます。
自由で、美味しくて、安くて、「ブレーク」は、イタリアの食文化の特徴を凝縮していました。
2015年、夫が亡くなり、彼のオートバイで、いろいろな場所へ独りで行くようになりました。
オートバイと一緒なら、今まで、入りにくかったお店にも、堂々と入れるようになりました。
例えば、サラリーマンやタクシー運転手さんがごひいきにしているような、殿方ばかりのセルフ式の食堂です。
「ブレーク」と同じように、入店するとお盆を持ちます。
でも、私は何か違和感を覚えました。同じセルフ式なのに、「ブレーク」と、何かが違うのです。
違いはすぐに、わかりました。「ブレーク」では店内を自由に歩き回れます。
お盆に載せるお料理の順番も自由、肉料理からでも、デザートからでも、各自が決めて良いのです。
しかし、日本の食堂は、お盆を持ったら、お料理の陳列棚の前に、一列に並びます。
陳列棚の中は、煮物、酢の物、焼き魚、揚げ物、と懐石料理の順番のように並べられ、
自分の順番が欲しい料理の前にきたら、手を伸ばしてとるのです。
いかにも、礼儀正しい日本風です。
しかし、面白いのは、日本の食堂の器は、中身のお料理に合わせて、すべて違うことです。
焼き魚は、長方形のお皿だし、冷やっこは、涼やかな半透明の小鉢、お味噌汁のお椀と、ご飯茶碗も、同じ椀でも、色やデザインが違います。
しかし、「ブレーク」のお皿は、野菜料理もパスタ料理もデザートも、皆、おなじ真っ白な平皿です。
大・中・小の大きさに分かれてはいますが、お皿の厚みも材質も全部同じです。
この両者の違いは、一般家庭でも同じです。
日本の家庭では、お料理に合わせて、様々な器に盛ります。
お料理好きの主婦は器にこだわる人も多いので、大きな食器棚が必要です。
しかし、イタリアの家庭では、家族の人数分の大・中・小の平皿があるだけです。
大家族でも、キッチンでの食器収納スペースはわずかです。
踊りの衣装もお皿に共通したところがあります。
クラシック・バレエの代名詞「白鳥の湖」では、第二幕に、森の奥深い湖に、悪魔の呪いによって、白鳥にされた乙女たちの踊りがあります。
皆、真っ白なチュチュを身につけて、真っ白な頭飾りをつけ、見事な群舞です。
真っ白なバレリーナたちの華麗な踊りは、脚を上げる高さ、視線の角度、腕を伸ばす方向、
すべがそろっていて、何十人も舞台で踊っていても、まるで、たった独りが踊っているようです。
チャイコフスキーの甘く、哀愁を帯びた音楽に合わせ、一糸乱れぬ群舞は、圧巻で、
クラシック・バレエの最大の見せ場は、息のそろった群舞なのです。
しかし、日本の伝統舞踊の見せ場は、ソロの踊りです。
日本を代表する女形、五代目坂東玉三郎のあたり役に鷺娘(さぎむすめ)があります。
鷺娘は、白鷺に姿を変えた乙女の踊りで、ソロの踊りです。
白鳥の湖と同じように、真っ白な衣装の踊りですが、ソロの踊りなので、踊り手の個性によって腰のそらせ具合や、足の運びにも、自由度があるのです。
バレエは、どんなお料理も同じ平皿にもるイタリア料理のように、衣装の中身はどんなに、
個性豊かな人間でも、上げた足の高さや、伸ばした腕の方向がそろうように、お稽古によって、長い時間をかけて、肉体を改造していきます。
33歳から始めた私のバレエのお稽古で、最大の難関は、上げる足の高さでした。
片足立ちでもう一方の足を90度以上、上げようとすると床面では、180度開脚出来ないといけません。
私は33歳までは、180度開脚の必要性を感じなかったので、毎日の必須項目に開脚の練習はありませんでした。
しかし、バレエを始めてしまった以上、歯磨きのように、開脚練習に毎日、取り組みました。
長い時間はかかりましたが、私は、180度開脚を手に入れました。
古典的な決まり文句ですが、毎日の練習は、何よりも効果があるのです。
(1996年12月 ブレークの晩御飯)
~つづく~
2017年5月29日
大江利子
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