クーポラだより No.25 ~習字の授業とバレエのタンジュ~
因幡(いなば))街道は、白鷺城の姫路から、白うさぎの神話の国、鳥取までを結ぶ裏街道です。
この因幡街道の中ほどに、宿場町、大原があります。
大原は、岡山県の北東、中国山地に囲まれた緑豊かな美しい町です。
古くは作州と呼ばれたこの大原は、剣豪宮本武蔵の生誕地として、注目を集めています。
宮本武蔵は、戦国時代に活躍した流浪の剣士です。
13歳ではじめての決闘で勝って以来、負けなしと伝えられています。
右手に長い刀、左手に短刀を持つ、二刀流を極めた人です。
戦国時代に生きた武蔵は、いろいろな戦国大名のもとで、その腕前を重宝がられましたが、ついに、定まった主(あるじ)を持つことはありませんでした。
晩年は、熊本の洞窟にこもり、自らが極めた二刀流の奥義をまとめた「五輪書(ごりんのしょ)」を書き残すことに命を燃やしました。
剣の道を極めた武蔵ですが、書画の才能もあり、個性豊かな水墨画を残しています。
布袋竹雀枯木翡翠図(ほていちくじゃくこぼくひすいず)は、気迫にあふれた、水墨画です。
一瞬をとらえた観察眼で、いっさいの無駄を省いた筆さばきは、真剣勝負をくぐりぬけてきた剣の達人、武蔵ならではの作品です。
白い紙の上に、墨の濃淡だけで、深い精神性までも、表すことができる水墨画は、とても日本的な描き方です。
日本の子供たちは、水墨画と同じような精神性を学校の授業の中で養えます。
習字の授業です。
真っ白な半紙に向かって、太い毛筆に墨汁を吸わせて、ゆっくりと、字を書き上げます。
いったん、半紙の上に筆をおいたら、最後まで、筆のスピードを変えては、いけません。
何か迷ったり、考えたりして、筆の速度が一定でないと、文字の形が崩れてしまいます。
自分の満足いく字に仕上がるまで、何度も何度も集中して、同じ字を書き続けるうちに、精神統一がつちかわれるのだと思います。
また、習字の時間では、書慣れた文字が、他人行儀に思えます。
簡単な文字なのに、ゆっくりと書くと、どうしてこんなにも、難しいのだろうと、再確認するものです。
おそらく、習字の行為は、文字をただ伝達するだけの記号ではなく、いかに美しく見せるか、という視点にたって、考えるからだと思います。
はらい、うったて、小さな部分まで意識して文字をゆっくりと書くため、日頃、いい加減に、書いていた、漢字の細かい部分にくると、困るのだと思います。
バレエのお稽古も、習字とよく似ています。
普段、使い慣れた、自分の身体の筋肉をゆっくり、意識して動かします。
No.23でとりあげた、プリエの次の課題は、タンジュです。
タンジュとは、フランス語で、「ぴんと張った」という意味です。
その名のごとく、タンジュの目的は、膝小僧が、無くなるくらい、足の指先を、遠くに向かって引っ張るつもりで、膝の裏をのばします。
限界までピーンと膝を伸ばした足で、ゆっくりと音楽に合わせて、足先を前、横、後ろの三方向へ、伸ばして、戻す を繰り返します。
もちろん、動かしている足と、反対の足はしっかりと、床を押して立ち、動かしません。動かさない足の側の上半身は上へ向かって、伸び続けている意識を持ちます。
つまり、自分の身体の中で、筋肉の場所によって、違う意識を持たねばならないのです。
しかも、音楽に合わせなければならないのですから、大変です。
おまけに、動かしている足元に、視線を落としてはならないのです。
視線は常に、真っ直ぐ前です。
これらのことを同時に、実行しようとすると、頭脳回路が、混乱します。
何年間も、慣れ親しんだ自分の足の筋肉が、まるで、他人の筋肉のように、言うことを聞いてくれず、情けない気持ちになるのです。
ちょうど、鉛筆やボールペンでは、意識せずに、スラスラと書ける自分の名前が、筆を持つと、腕が震え、どう動かそうかと、迷う感覚に、似ています。
自分の名前を筆で、美しく書くためには、意識して何度もゆっくりと正しい練習をしなければなりません。
バレエの足先も、美しく足を出すために。日常生活の歩き方とは違う意識の持ち方とゆっくりとした繰り返しの練習が必要なのです。
~つづく~
2017年3月29日
大江利子
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