クーポラだより No.23 ~バレエのルーツと大人バレエの第一歩~


信玄餅は、食べるときに、ちょっと考えてしまう、楽しくて、美味しい和菓子です。


花菱模様の茶巾包みの、結び目をほどくと、きな粉をまぶした、柔らかな、求肥(ぎゅうひ)が、顔を出します。


求肥には、別添えの黒蜜を、お好みで、からめて、食べます。


甘党で、欲張りな私は、その黒蜜を、全部、求肥に、からめようしてと、難儀をしますが、それが、また、嬉しい信玄餅でもあります。


信玄餅は、その名が、示すように、戦国時代の名将、武田信玄に由来する和菓子です。


戦(いくさ)上手な武田信玄は、戦国時代の風雲児、織田信長が、最も恐れた人物です。


山に囲まれ、盆地ばかりの領地に、土手を築き、治水工事で、新田開発し、領民の暮らしを豊かにし、少ない兵力でも、機知に富んだ作戦で、領地を守りました。


詩歌を好み、自作の漢詩まで、残っている、文武両道に秀でた、甲斐の国(かいのくに)の名君です。


徳川家康が、天下統一するまで、小国同士、小競り合いが、続いた日本列島では、無駄な戦(いくさ)を、避けるため、結婚は、国と国が同盟を結ぶための、政略結婚でした。


武田信玄も、武蔵の国(むさしのくに)の上杉家から、お姫様を、妻に迎えました。


今から、484年前、1533年のことです。


信玄が、上杉家の姫と結婚した同年、海の遥か西のかなた、ヨーロッパ大陸の、長靴の形の国、イタリアでも、同じように、姫と王子の政略結婚がありました。


姫の名前は、カトリーヌ・ド・メディチ。


イタリアの花の都、フィレンツェのお姫様です。


カトリーヌが輿入れしたのは、フランスのアンリ王子です。


ふたりが結婚したころのイタリアは、日本と同じように、ひとつの国として、統一されておらず、長靴の半島内で、都市国家が睨みあっていました。


ゴンドラの街ベネツィアも、フィアットの街トリノも、コロンブスのジェノバも、独立した国家でした。


カトリーヌの実家、メディチ家は、フィレンツェ共和国に、ルネサンスを花開かせた、芸術のパトロンでした。


メディチ家はダビデ像を彫ったミケランジェロやビーナスの誕生を描いたボッティチェリ、万能の天才レオナルドダヴィンチ、たちを保護し、フィレンツェを美しい芸術の都にしました。


メディチ家のパーティーでは、レオナルドダヴィンチが、演出した舞台まで、上演されました。


カトリーヌが、お嫁入りする時は、フィレンツェの洗練された文化を、フランスに持ち込みました。


手づかみだったフランスの食事作法を、カトリーヌは、ナイフとフォークに改めました。


アイスクリームや、キャラメル生地と、ナッツを混ぜ込んだ、洋風のおせんべい、美味しいフロランタンも、カトリーヌが持ってきました。


そして、優美なダンス、バレエも、カトリーヌの嫁入り道具なのです。


フランスに持ち込まれたバレエは、手厚く保護され、ロココの宮廷で、発展しました。


カトリーヌの遠縁のルイ14世は、信玄のように、文武両道でした。


在位、72年という長い間に、ベルサイユ宮殿を完成させ、病院、学校を整え、戦に勝ち、

フランスを強大で、文化の高い国に、変身させました。


少年王のころ、バレエが大好きだったルイ14世は、自ら、舞台にたちました。


ギリシア神話の太陽の神、アポロンの役が、特に、お気に入りで、後の人々は、ルイ14世のことを、太陽王と呼びました。


成人し、バレエに適さない身体になった、太陽王は、バレエを保護し、学校を作りました。


現在もなお続く、世界最古で、世界最高峰のパリ・オペラ座バレエ学校です。


太陽王のバレエ学校のおかげで、バレエは、ひとつひとつのステップに名前がつき、発展し、バレエ用語は、すべて、フランス語で、整理されました。


33歳で、はじめてバレエのお稽古を始めた私は、何もかも、新鮮でした。


先生のお宅の広いレッスン室。


大きな鏡、階段の手すりのより、ちょっと太いバー。


超初心者の私を、導いてくださったのは、私よりも、年下の女の先生です。


まだ、娘さんのような先生でしたが、小さな男の子のママでした。


先生のお名前は、山根里加さんです。


里加先生から、私は、「としこさん」と呼ばれました。


大人になって、下の名前で呼ばれる機会などなかった私は、「としこさん」という、呼ばれ方がとても、新鮮でした。


どうやら、バレエの世界は、苗字よりも、名前を呼ぶのが、お作法のようです。


先生から、「としこさん」と呼ばれるたびに、別世界に足を踏み入れたようでした。


その先生の門下生は、黒いレオタードにピンク色のタイツ、足の甲のところで、ゴムがクロスしたピンク色バレエのシューズで、全員、お稽古します。


33歳の私とて、例外ではありません。


私は、生まれて初めて見る、自分のレオタード姿に、とても、がっかりしました。


黒いレオタードとピンク色のタイツは、身体のあらゆるラインを強調するからです。


もともと、ふっくらした体型ではありませんが、なんと、姿勢が悪く、筋肉のないこと!


そう、大人から始めるバレエの最初の洗礼は、自分の肉体と客観的に、向き合い、認めることなのです。


~つづく~

2017年1月29日

大江利子

クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

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