クーポラだより No.20 ~声明(しょうみょう)とグレゴリオ聖歌~
お寺で、読経(どきょう)の声をきいていると、歌っているように、聞こえます。
読経の声は、水の波紋ように、澄んだ空気の中に広がり、響き渡ります。
読経は、木魚(もくぎょ)を使うもの、声だけのもの、宗派により、様々です。
いずれにせよ、一定のリズムで、途切れることのない読経の声は、音楽になっています。
普段、私たち日本人が、耳にする、仏教のお経、般若心経は、漢字で書かれています。
しかし、仏教は、インドで生まれたので、お経の原典は、サンスクリット語です。
サンスクリット語は、インドで、古代から使われている公用語です。
インドでは、大切な公用文や、経典(きょうてん)は、すべて、サンスクリット語で、記録されました。
仏教の、原典も、サンスクリット語で、書き残されていました。
昔、サンスクリット語は、知識階級の人しか、身につけることが、できませんでした。
貧しく、一日中、労働に従事し、サンスクリット語を学ぶ機会が、もてない人にも、仏教の経典が、理解できるよう、サンスクリット語を、(サンスクリット語の日本語訳)中国語に、翻訳した人がいました。
孫悟空(そんごくう)が登場する、冒険小説「西遊記」に登場する、三蔵法師のモデルになった、玄奘(げんぞう)です。
玄奘(げんぞう)は、唐の時代の僧です。
玄奘(げんぞう)は、単独、インドに渡り、16年かけ、仏教の原典を学び、中国に持ち帰りました。
故郷に戻ってから、玄奘(げんぞう)は、サンスクリット語の膨大な仏教の原典を、中国語に翻訳する作業に、一生を捧げました。
玄奘(げんぞう)が、サンスクリット語から中国語に翻訳してくれたおかげで、わかりやすく、読みやすい、般若心経(はんにゃしんきょう)が生まれたのです。
玄奘(げんぞう)が、インドで仏教の原典を、中国に持ち帰ろうと、頑張っていた頃、ヨーロッパでは、キリスト教の聖歌を、記録に残そうとしていました。
キリスト教の古い聖歌は、グレゴリオ聖歌と呼ばれます。
グレゴリオ聖歌は、お祈りから生まれた歌です。
キリスト教のお祈りは、はじめのころは、聖書の詩をただ、読むだけでした。
しかし、聖書の詩を、抑揚をつけて、読み、大切なところは、引き伸ばして読んでいるうちに、歌のようになりました。
この歌を、記録するために、様々な、工夫がなされました。
最初のうちは、横線に、■をつけただけの記号でしたが、複雑になっていく歌に、合わせ、記録方法も、改良されました。
横線は、5本になり、■には、棒が付き、規則的なリズムを表すため、拍子(ひょうし)も生まれました。
グレゴリオ聖歌を記録するために、工夫を重ねた結果、五線を使った楽譜、五線譜が、誕生したのです。
この五線譜は、アラビア数字と、同じく、世界共通です。
五線譜は、いつしか、キリスト教から独立し、音楽を正確に記録する、世界共通の記譜法となりました。
五線譜のおかげで、音が、とても整理されました。
クラシック音楽では、使う音の高さは、正確に決まっていて、ピアノの鍵盤と同じ、88個です。
88個の音は、下から上へ、階段のように、きれいに並んでおり、五線譜は、88個の音を、すべて、正確に、記録できます。
数字のように、狂いを許さない、正確な高さの音を追究した、究極の音楽が、クラシック音楽と、言えるでしょう。
音の高さが正確なクラシック音楽は、アンサンブルに適しています。
日本では、毎年、年の瀬になると、各地で、ベートーベンの第九合唱が、演奏されます。
「千人の第九」と、話題になった演奏会もありました。
千の人が、皆、きちんと五線譜どおりの、正確な音の高さを守って歌うからこそ、素晴らしいアンサンブルになるのです。
しかし、五線譜で、表せない音楽もあります。
般若心経を産んだ仏教の音楽です。
仏教の音楽は、声明(しょうみょう)と呼ばれます。
グレゴリオ聖歌の誕生と同じように、声明は、仏教の祈りの言葉、お経に抑揚をつけて唱えているうちに、誕生しました。
しかし、残念ながら、記録されず、師匠から、弟子への口伝でした。
後世になって、記録するようになりましたが、五線譜のように、共通性は、追究されませんでした。
声明(しょうみょう)の他にも、日本の伝統音楽、琵琶や琴、雅楽なども、五線譜でなく、特別な記譜を使います。
したがって、伝統音楽は、音の高さやリズムも、クラシック音楽と、感覚が、異なります。
クラシック音楽では、高さが、ずれている音も、日本の伝統音楽では、わび、さび、などの、幽玄の世界を表現する、素晴らしい音に、なったりもします。
日本人が、クラシック音楽を学ぶ時、心の奥深く流れる、美意識が、案外、演奏技術向上を、妨げているのかも、知れません。
特に、オペラを歌うベルカント唱法は、聖歌を美しく歌うために、工夫され、発達した唱法です。
技術面だけでなく、背景となる歴史の理解も深まった時、はじめて、ベルカント唱法で、歌う意味を、見出せるのではと、思います。
~つづく~
2016年10月29日
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