クーポラだより No.16 ~ボロネーゼと「どっぽ」~
イタリア食材が、簡単に手に入り、イタリア料理も日本に浸透してきました。
典型的なイタリア料理の「スパゲティ」を、「パスタ」と呼ぶことに、障(きざ)な感じもしなくなりました。
「パスタ」とは、イタリア語で、小麦粉を練った、生地のことです。
「パスタ」には、スパゲティ(細長いひも状のもの)の他に、形によって、面白い名前があります。
耳たぶの形の「オレッキーニ」、蝶々の形の,「ファルファッラ」、星の形の「ステッリーニ」。
色も、ほうれん草のペーストを練り込み、美しい緑色のもの、にんじんを練り込んだ、オレンジ色のもの、全粒粉入りで、番茶のような色のもの、など無数にアレンジが存在します。
イタリアのマンマたちは、家族のために、「パスタ」を手打ちにします。
「パスタ」を練るための水分は、卵のみです。
マンマは、ボールを使わず、台の上に、直接、小麦粉を広げ、その真ん中に、卵を落として、練っていきます。
手打ち「パスタ」は大変、手間のかかるものですが、味は素晴らしく、イタリア男性は、自分のマンマの「パスタ」が世界一と自負します。
「パスタ」は、スーゴ(ソースのこと)をかけて食べられます。
スーゴ作りも、やはり、手間と時間が、かかります。
スーゴには、ベースの「お出し」が必要です。
イタリア料理の「お出し」作りには、クリスマスに見かける、骨つきの、丸のままの鶏肉を使います。
ラーメン屋さんが使うような、ずんどう鍋に、丸鶏、セロリや人参、玉ねぎ、などの香味野菜と水を入れ、弱火で、煮込でいきます。
鶏肉が、ホロホロになるほど、じっくり煮込むと、お鍋の中に、黄金色のスープが現れます。
このスープは、「ブロード」と呼ばれます。
「ブロード」は、ひと晩、寝かせます。
翌朝、「ブロード」の表面に浮いた「脂」と野菜を取り除いて、イタリアの「お出し」の完成です。
イタリアの煮込み料理は、この「ブロード」をベースに作られます。
トマトと、ひき肉、野菜のみじん切りを煮込んだ、お馴染みのミートソースも、この「ブロード」を少量加えるだけで、素晴らしい味になります。
ミートソースは、イタリアでは、「ボロネーゼ」と呼ばれます。
ボロネーゼとは、イタリア語で、「ボローニャ風」という意味です。
ボロネーゼは、食道楽の国イタリアの中でも、特に、肉好きで、食いしん坊の街、ボローャに由来し、名付けられました。
本場イタリアのボロネーゼは、赤いトマト色ではありません。
最低でも、2時間は煮込むので、野菜もトマトも完全にソースと一体化し、美しいキャラメル色をしています。
イタリア人は、このキャラメル色のボロネーゼ・ソースに、すりおろしたパルメザンチーズを、お皿が真っ白になるまでふりかけて、いただくのです。
手打ち「パスタ」の上に、じっくり煮込んだボロネーゼ・ソースをかけ、濃厚なパルメザンチーズをふりかけた一皿は、絶品です。
私は、この絶品ボロネーゼ・パスタに、イタリア留学よりも、もっと以前に出会っていました。
私は、大学時代、下宿の近くの喫茶店で、アルバイトをしていました。
アルバイト先の喫茶店の名前は、「どっぽ」です。
「どっぽ」は、ちょっと、シャイなマスターと、お料理の達人のマスターのお母様とで、切り盛りしておられました。
私は、「どっぽ」の、手の足らない日曜日の午後や、開店前の、お掃除のアルバイトをしていたのです。
「どっぽ」のお店の名前は、「他人に頼らず、自分の力で、信じる道を進む」の
「独立独歩」と、美しい武蔵野の自然を描写した小説家、「国木田独歩」に由来します。
「どっぽ」は名前のとおりの、お店でした。
メニュー内の品々は、お菓子も、パンも、カレーの付け合わせのラッキョウまで、すべてマスターのお母様の手作りです。
もちろん、キャラメル色のボロネーゼ・ソースも。
33年前に、アサリがたっぷり入り、オリーブオイルをからめた、本格的な
ボンゴレ・スパゲッティまでメニューにありました。
コーヒーは、注文を受けてから、マスターが、一杯ずつ、豆を挽き、注ぎ口が、
細長い、ポットを使って入れてくれます。
マスターが、挽きたての豆の上に、ポットを使って、お湯を、糸のように細長く注ぐと、珈琲豆は生き物のように、ぷっくりと膨れて、いい香りが店内に、広がります。
このポットの扱いは、とても、難しく、お湯を自在に操るのは、集中力と技術が必要です。
この、注ぎ方は、マスターにしか、できませんでした。
マスターが入れてくれたコーヒーは、そのお人柄のごとく、優しいお味で、イタリア留学前の私が、唯一、ブラックで飲めるコーヒーでした。
「どっぽ」では、コーヒーの入れ方、お菓子のつくり方、お掃除の仕方、家事全般に関する、いろいろなことを、学びました。
私の知らないことばかりで、アルバイト代をいただきながら、花嫁修業をさせていただいたようなものです。
「どっぽ」のおふたりは、とても研究熱心でした。
お母様は、お店のメニューにふさわしいお菓子を常に模索しておられましたし、マスターも、お客様に、極上のコーヒータイムを過ごしていただけるよう、いつも心がけておられました。
イタリアの「ブロード」のように、美味しいものを提供するために、おふたりは
手間を惜しみませんでした。
そして、おふたりは、手間をかけることを、とても楽しんでおられました。
このおふたりの姿勢は、歌に、とても通ずるものです。
歌の、一曲の長さは、数分ほどです。
しかし、歌詞の背後にあるものを理解し、聞いてくださる方と共感し合えるほどの、演奏をするまでには、地道な努力が必要です。
努力がつらい、苦しい、の積み重ねであれば、その演奏は、苦しみの結晶になってしまいます。
「どっぽ」のおふたりのように、楽しみながら、勉強を積み重ねてこそ、たくさんの人達を、感動させる歌になるのだと思います。
家族のように可愛いがっていただいた、「どっぽ」のおふたりから、私は、お菓子作りの型を、大学卒業のお祝いに、いただきました。
その型で、私は、夫のため、友人のため、お菓子を作り続け、歌の勉強を続けました。
誰かに喜んでもらえることを想像しながら、手間をかける楽しさを教わった、私の原点は、「どっぽ」にあるのです。
~つづく~
2016年6月29日
大江利子
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