クーポラだより No.11 ~ヴェローナの野外コンサート~
「ロミオ、ああ、あなたはなぜロミオなの?」のセリフで有名な悲劇「ロミオとジュリエット」は「リヤ王」や「ハムレット」の作者、シェークスピアの代表作です。
シェークスピアはイギリスの作家ですが、「ロミオとジュリエット」の舞台はイタリアです。
長靴の形をした、イタリア半島の上の辺りに、ヴェローナという古都があります。
その、ヴェローナが「ロミオとジュリエット」の舞台です。
ヴェローナは、水の都ベニスとファッションの街ミラノを結んだちょうど、中間あたりに位置し、
ジュリエットのバルコニーがある家も、実際に存在するので、世界中から、観光客が訪れます。
ヴェローナには、「ロミオとジュリエット」の他に、もうひとつ、世界的に有名なものがあります。
それは、町の中心部にある巨大な円形競技場です。
この円形競技場は1世紀頃に古代ローマ帝国によって作られました。
ヴェローナは古代ローマ帝国の支配下だったので、首都ローマと同じ建造物が作られたのです。
人気俳優の阿部寛と上戸彩が出演した映画「テルマエ・ロマエ」に、古代ローマの生活が、
楽しく描かれています。
ローマ帝国は、2千年も繁栄しましたが、それには、秘訣がありました。
それは、都市整備です。
石の建造物が得意だった古代ローマ人は、アッピア街道で知られるように、道路に石畳を敷き、
人と物の流れを良くしました。
遠くからきれいな水を街へ運ぶために、水道橋を作り、 人々の生活を快適にしました。
公衆浴場を作り、健康管理に務めました。
娯楽のために、巨大な競技場を作り、大勢でスペクタクルなショーを楽しみました。
54億円もの制作費をかけ、古代ローマを舞台に描かれたハリウッド映画「ベン・ハー」には、
競技場で戦車競争するシーンが登場します。
現在の私たちがスポーツ観戦をスタジアムで大勢の人と一緒に楽しむように、いつの時代も
人々がストレスを発散するためには、わくわくする、ショーが政治的に必要だったのです。
しかし、ローマ帝国滅亡後は、イタリア各地に巨大な石の建造物が残されました。
水道橋は現在も使われているものもあります。
けれど、競技場は、史跡見学くらいしか、使用目的が見つかりませんでした。
ヴェローナの円形競技場も、長い間、最適な用途が見つかりませんでした。
しかし、1913年にオペラの興行師が、ヴェローナの円形競技場で、夏の間、野外オペラの上演を
思いつきました。
ヨーロッパの歌劇場は、年間を通して、休みなく上演しているところは、少なく、
ほとんどの歌劇場は冬期にオペラを上演します。
夏のヴァカンス時は、皆、避暑地に行ってしまい、歌劇場がある都市部には、人がいないからです。
ヴェローナの街は避暑地にも近く、円形競技場は2万人を収容出来る巨大な建物です。
天井はありませんが、音響も、とても良いことがわかりました。
ヨーロッパ各地から、たくさんの人たちが野外オペラを楽しむために、ヴェローナに
やってくるようになったのです。
イタリアの夏は緯度の関係上、昼がとても長いです。
太陽は夜の9時をまわるころ、やっと西の空に沈みます。
ヴェローナの野外オペラでは、開幕時、聴衆は、キャンドルに灯りをともします。
星を散りばめた夜空の天井に2万本のキャンドルの灯りが溶け込む頃、オペラが始まるのです。
私は、このヴェローナの野外オペラを2回見ました。
最初はガルニャーノの語学研修時に、クラスメイトたちと「カルメン」を見ました。
2回目は1997年8月8日に夫と一緒に行きました。
夫といっしょの時に見たオペラは、ヴェルディ作曲の「リゴレット」です。
リゴレットは、親しみやすく、覚えやすいメロディーがたくさん詰まったオペラです。
私と夫の席の近くは、ドイツ人のグループでした。オペラが始まる前から、知っている
リゴレットのメロディーを歌って、大はしゃぎです。
「オペラを見に行く」といいますと、何か、堅苦しいイメージで、謹聴しないと、
いけないように感じますが、ヴェローナの野外オペラには、そんな心配は無用です。
まるで、日本の夏祭りの花火を河川敷で見ているようです。
開幕前には、甲子園球場のスタンドサービスのように、座席の間を、飲み物や、座布団を売りにきます。(座席は石の階段なので、お尻が痛くなるのです。私たちの近くのドイツ人は座布団も飲み物も持参しておられました。)
観客の服装はTシャツに短パン、サンダルです。けれど、演奏は超一流です。
世界のプリマドンナと称されたマリア・カラスもここで歌いました。
舞台も、3千人が上がれるので、とても凝ったセットが組まれます。
そして、もうひとつ、驚くことは、超一流の演奏が500円で楽しめたことでした。
もし、仮に日本で、そっくり同じ施設で、同じ公演を提供しても、人は集まらないだろうなと
思います。
オペラが一般に浸透していないこともあるし、夏のヴァカンスが1ヵ月もないし、
公共の移動手段が低価格でないからです。(ヨーロッパの特急列車はとっても安いのです。)
夫といっしょにオペラを楽しみながら、この楽しさを日本の人たちと、分かち合いたいと強く、
心の底から思いました。
さて、No.9 から始めた、私の指揮研究会にお話をもどしましょう。
先輩女子は、指揮棒を握る右腕の筋肉の鍛え方を、教えてくれました。
机の天板の下に右手の親指の甲の方を当て、天板を真上に持ち上げようと、力を入れるのです。
そうすると、ちょうど、血管注射をする辺りの筋肉だけが、出てきます。
この筋肉が、指揮棒を持つ右腕の弾みがついた動きを、連続させるのです。
入会以来、私は、毎日天板を持ち上げて、私の指揮者筋肉が目覚めるのには1ヵ月ほど、
かかりました。
つづく
2016年1月29日
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