クーポラだより No.10 ~ガルニャーノの思い出と熟語本位英和中辞典~
語学の勉強に欠かせないものは、辞書です。
最近、電子辞書が出回っていますが、私は、パラパラとページをめくる作業が好きなので、
従来の辞書を使います。
お目当ての単語を見つけ、その単語の慣用句や派生語などを読みながら、
意外な使い方に出会って感心したり、自分の推測どおりの意味だと、得意になったりしています。
1993年の8月、イタリアのミラノ郊外の美しい避暑地、ガルダ湖畔の町、ガルニャーノに、
私は一か月滞在しました。
ミラノ大学が外国人向けに、毎夏、開講するイタリア文化講座に参加するためです。
その講座はヴァカンスを利用して、イタリアの美しい夏を満喫しながら、イタリア文化を学ぼうと、ヨーロッパ各地から、老若男女が参加していました。
スペイン、ドイツ、チェコ、オランダ、トルコ、等、国際色豊かな参加者たちの中、
日本人は私だけでした。
講座の参加者はガルニャーノの一般家庭にホームステイします。
私は綺麗好きで、アンティークな家具がお好きな、スィニヨーラ・エンリカのお宅に、
ドイツの女子大生と一緒に滞在しました。
講座の初日にクラス分けがあり、私は初心者クラスに入れてもらいました。
しかし、初心者クラスのはずなのに、私のクラスメイトたちは、
イタリア語で先生に、どんどん質問します。
私は、日本で文法の基礎は身につけてはいましたが、頭に浮かんだことが、
すぐにイタリア語で口から出てきませんでした。
観光やショッピングで使う程度のイタリア語には困りませんでしたが、
大学が開設している文化講座の参加者たちと、対等に会話をするとなると、話は別です。
私はガルニャーノの町の本屋さんで、モラヴィアの短編小説を購入し、辞書をたよりに読みました。
少しでも、知っているイタリア語を増やして、クラスメイトたちの会話に参加したかったからです。 私は伊和中辞典という小学館が出版している辞書を日本から持参していました。
大きさは新書判より、少し大きく、厚さが4センチで、携行用としては、かさばりますが、
語彙数は7万語も収録され、単語の用例や慣用句の説明がわかりやすく、大変、頼もしい辞書です。
その伊和中辞典を片時も離さず勉強している私を見て、クラスメイトのドイツの青年が不思議なことを言いました。
「イル・トゥオ・ディツィオナーリオ・エ・ベッロ!」
直訳すれば、「君の辞書は素晴らしい!」 日本では、イタリア語の学習者なら、
誰でも持っている普通の辞書に、なぜ彼が感動しているのか、私には、理由がわかりませんでした。
青年に感動の理由をたずねると、ドイツの携行用の辞書は、伊和中辞典のように、
親切な単語の用例が無く、語彙数も7万語もなく、あまり役に立たないのだそうです。
ヨーロッパの国々の言語は元をたどれば同じものもあり、発音も、アルファベットの綴りも、
よく似た単語がたくさんあります。
国境も一応、ありますが、時代の権力者の都合で塗り替えられてきただけで、
民族の文化は交流をしながら、発展をとげてきた、地続きの大陸です。
他国の言語でも、辞書に細かく説明を載せなくても、日本人ほどは、困らないのでしょう。
しかし、日本は、明治以前は武士の国、300年も鎖国をしていて、西洋化が国民に浸透して、
わずか100年足らずです。
ファッションや食の西洋化は進みましたが、西洋の思想や歴史、美術など、文化面では、
日本人の感覚では、詳しい説明無しには理解出来ない単語がたくさんあるのです。
伊和中辞典は1983年に出版されましたが、日本人向けに、単語の詳しい用例を載せることを、
心掛けて、辞書を編纂したことが、序文に明記されています。
伊和中辞典に先駆けること、約70年、1915年に、たった独りの学者の努力によって、
出版された英語の辞書があります。
現在も、ほぼ当時のままで出版されている「熟語本位英和中辞典」です。
この辞書は小澤征爾を育てた斎藤秀夫の父、斎藤秀三郎がたった独りで作り上げた、
素晴らしい辞書です。
斎藤秀三郎は江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜が征夷大将軍になった1866年に、
仙台藩に生まれました。
仙台は名将、伊達政宗が樹立した東北の学都です。
仙台藩の英語学校で、秀三郎は5歳から英語を学びました。 14歳で、東京大学の前身にあたる学校に入学し、その学校が所蔵する英書は全て読み、大英百科事典は2回読んだとのエピソードを残すほどの勉強家です。
18歳で英語塾を開き、教え子には、バイロンやホメロスの翻訳者で、「荒城の月」の作詞者の
土井晩翠もいます。
「熟語本位英和中辞典」は日本人の感覚でも理解できるようにと、英単語の訳を独創的で、
大変わかりやすい日本語を使って表現しています。
父は英語の辞書、息子は指揮の教科書、日本には無い外国の文化を、
一般の人々にわかりやすく説明するために、親子は、心血を注いだのでした。
さて、お話を、私の大学1年の春に、もどしましょう。
ここでも、指揮研究会の新入部員は私だけでした。
優しそうな指揮研究会の先輩女学生が、新入部員が最初にすることを見せてくれました。
彼女は指揮棒を持つ右手の内側の筋肉だけを、カエルが跳ぶみたいに、ぴょんと出してくれました。
指揮者が正確に同じ図形を描き続けるために、必要なのだと、説明してくれました。
「まず、この筋肉をぴょんと出せるようになりましょう。」と彼女はにっこり笑って言いました。
~つづく~
2015年12月29日
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