♪クーポラだより No.8 ♪ ~名曲アルバムとバックハウス~
コンパクトディスク、いわゆるCDが発売されたのが1982年、私が大学2年生の時でした。
それまでは、音楽を家で楽しむにはレコードが主流でした。
しかし、レコードを再生するには専用の機械が必要です。
繊細なクラシック音楽の音色を楽しむには、大きなスピーカーや、アンプ、広い空間などの環境を整えなければなりません。
昭和の日本の庶民の住宅事情では、なかなか難しいものがありました。
中学2年までは、団地暮らしの私も、レコードとは縁が無く、カセットテープとラジオを聴くことができる、ラジカセで音楽を楽しみました。
そして、当時、お世話になったのが、名曲アルバムです。
名曲アルバムは1976年から放送されたNHKのクラシック音楽番組です。
名曲にゆかりのある外国の映像とその曲のエピソードの字幕付きで音楽を流すのです。
どんなに長い曲でも5分に編集されていて、クラシック音楽入門者には大変ありがたい番組でした。
私はラジカセを、テレビのすぐ近くに置き、名曲アルバムを録音し、オリジナルのカセットテープを作っていました。
コンサートホールへ生演奏を聞きに行く機会がなかった私にとって、この名曲アルバムが、新しい音楽との出会いの場でした。
夜、枕元にラジカセを置き、録音した名曲アルバムを聴きながら幸せな眠りについたものでした。
しかし、ピアノの練習に明け暮れた高校時代は名曲アルバムを録音する余裕も無くなりました。
その代わりに、同級生たちが学校で披露する曲が新しい音楽との出会いとなりました。
私たちの教室にはピアノが一台置いてありました。
休み時間に同級生たちが弾いていた、ショパンやリストなど、感情の起伏の激しいロマンチックな曲がとても、新鮮でした。
私は、技術的に遅れていたので、それらの曲は弾かせてもらえませんでした。
ショパンやリストの時代は作曲の題材を文学や絵画に求め、旋律は民謡などから引用して、
現在の感覚でも親しみやすいものが多いのです。
けれど、高度な技術を要求されるので、ひとつ前の時代のバッハやベートーベンを、しっかり勉強する必要があるのです。
バッハやベートーベンの生きた時代は身分制度があり、音楽は一部の権力者のものでした。
したがって、その時代の建築も絵画も、芸術は皆、形式や様式美が大切でした。
音楽も例外ではなく、決められたルールにしたがって作曲されました。
単純な和音と、短い旋律で、シンプルな音楽です。
しかし、演奏するのは厄介で、少しでもミスをすると、とても目立つのです。
しかし、これが技術を磨くには、最適な教材なのです。
私は高校3年の夏まで、徹底的に勉強させられました。
そして、高校生活、最後の曲となったとき、初めて、希望の曲を弾かせてもらえました。
ベートーベンのヴァルトシュタイン、これが、私が選んだ曲です。
ベートーベンは時代の狭間に生きた人です。
彼が若い頃は、時代は、封建社会でした。
しかし、市民革命によって、権力者が倒れ、世の中は大きく変わりました。
ベートーベンも時代と共に、自らの作風を変えていきました。
ヴァルトシュタインはベートーベンが失いつつある聴力に一度は絶望しながらも、その苦しみを乗り越えた後に作曲されたものです。
澄み切った美しさに満ちて、躍動感溢れる名曲です。
昭和50年代、池田理代子の漫画「ベルサイユのばら」が少女の間でブームになりました。
私もこの漫画の大ファンでした。
そして、池田理代子が次に発表したのが「オルフェウスの窓」です。
ドイツの教会付属の音楽学校の生徒たちのお話です。
その「オルフェウスの窓」に実在のピアニストや作曲家が登場します。
私はその中で、バックハウスというピアニストに強く惹かれました。
彼の演奏を聞きたくて、自分でレコードを買いました。
そのバックハウスのレコードの中にヴァルトシュタインがあったのです。
彼の弾くベートーベンは魅力的で、ショパンやリストへの憧れは、すっかり失せてしまいました。
そして、どうしてもヴァルトシュタインを弾いてみたくなったのです。
たった一枚のレコードを聞いただけで、高校時代に憧れ続けたショパンやリストが
色あせて思えたのは不思議です。
しかし、名演と呼ばれるものは、そういった力を持つのです。
高校生の時は一枚のレコードしか持っていなかった私が、現在は、何百枚あるか、わからないくらいのレーザーディスクやCDに囲まれています。
これらは全て夫が集めたものです。
夫は優れた演奏家の録音は、本と同じくらいに価値があると、中古レコード店を回って20年かけて集めてくれたのです。
私は夫に一度もヴァルトシュタインの話はしたことがありませんでした。
~つづく~
2015年10月29日
大江利子
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