クーポラだより No.76~ドルチェと愛の妙薬~
28年前、イタリア留学中の寒い冬の日、歌のレッスンを受ける前に喉を温めようと、ミラノのバールでココアを注文すると、バリスタ(飲み物を作る専門家)に、こう尋ねられました。
「Vuole Panna (ヴォーレ パンナ)?」
尋ねられた意味がよくわからないまま、私は、「Si(スィ)=はい」と答えました。
すると、ソフトクリームのように山盛りのホイップクリームを浮かべたココアをバリスタから手渡され、びっくりしました。
Panna(パンナ)とは、生クリームのこと、Vuole(ヴォーレ)とは、「欲する」という意味の動詞Volere(ヴォレーレ)の人称変化した形で、二人称の敬語です。
つまり、「Vuole Panna?ヴォーレ パンナ」の直訳は、「あなたはホイップクリームを欲しいですか?」意訳すると、「ホイップクリームをサービスでお付けしましょうか?」です。
日本のおまけは、控え目で小さいものです。
ココアにホイップクリームがほんの少し浮んでいるだけでも、嬉しく思う日本人の私は、おまけがはみ出るほどにトッピングしてくれるバリスタの気前の良さに、感情を豊かに表現するオペラの国イタリアらしいと感心しました。
国土の南はアフリカ、北はアルプスに近いイタリアは、地域ごとに特色ある乳製品があり、それを生かした「Dolceドルチェ(菓子のこと)」があります。
アルプス山麓に広がる牧畜の盛んなイタリア北部、ピエモンテ州発祥のお菓子パンナ・コッタは、プリンのような見た目のドルチェです。
「パンナ」は前述のとおり生クリーム、「コッタ=cotta」とは、熱をいれて調理することで、生クリームを温め、ゼラチンで固めて、フルーツソースをかけていただきます。
1980年代後半に、日本で大ブームになったティラミスは、「ティラーレtirare=引っ張る」と「ミッスmissu➡mi(私を)+su(上に)」=私を上に引っ張りあげてください」=「私を元気にしてください」という意味をもつ、カカオ風味のおしゃれなドルチェです。
ティラミスは、ファッションの街ミラノがあるロンバルディア州の特産品マスカルポーネチーズとカスタードクリームをベースに作ります。
牧畜の盛んなシチリアの伝統菓子、カッサータは、羊乳から作るリコッタチーズにフルーツの砂糖漬けを混ぜ込んだカラフルなドルチェです。
パンナ・コッタもティラミスもカッサータもそれぞれ作り方はとてもシンプルで、アレンジは無限大です。
アレンジが得意な日本人は、パンナ・コッタの生クリームをエバミルクに、カッサータのリコッタをアイスクリームにと、手に入りやすい材料で、日本人好みの味に変化させ、ジャパニーズ・ドルチェとして数年の間に定着させてしまいました。
イタリア・オペラの中にも、これらドルチェのように、簡単なアレンジで、アマチュアに楽しめる作品があります。
ドニゼッティが作曲した「愛の妙薬」です。
「愛の妙薬」の主人公は、村いちばんの美人アディーナと、彼女に恋をしているシャイな青年ネモリーノです。
ネモリーノは自分の想いをアディーナへ打ち明ける勇気がありません。
とりまきに囲まれているアディーナをいつも遠くから憧れの眼差しで、見つめるのが精いっぱいなのです。
そんなある日、ネモリーノの村へ薬の行商人がやってきました。
「どんな薬でもお売りします」と、行商人の口上を本気にしたネモリーノは、惚れ薬を売って欲しいと頼みます。
薬売りは赤ワインを惚れ薬だと偽り、ネモリーノに売りつけます。彼はそれを大量に買い込み、すべて飲み干してしまいます。
いつもはアディーナの前でおどおどするばかりなのに、惚れ薬が効いていると信じ切ったネモリーノは、酔っぱらった勢いで、彼女のことなど、眼中にないかのように振る舞います。
普段の様子と違うネモリーノに、アディーナはやきもきし、彼のことが気になりなじめます。
以前は純情過ぎる彼のことを、からかっていたアディーナですが、本当はネモリーノのことを好きな自分の心に気がついて、ふたりはめでたく恋人同士となり、幕となります。
チャーミングなこのオペラには、民謡調の覚えやすい旋律がたくさん使われていますが、特に、ネモリーノがクライマックスに歌う「人知れぬ涙」が有名です。
優しい音色のファゴットが奏する、もの悲しい民謡調の伴奏で、テノールがソロで歌う名場面です。
この「人知れぬ涙」を、私が毎月開講している合唱講座「カントアモーレ」の練習用にアレンジしてみました。
カントアモーレのCanto(カント)は「歌」、Amore(アモーレ)は「愛する」という意味です。
その名のとおり、カントアモーレのメンバーは、純粋に歌がお好きです。
メンバーはフォークソングや日本歌曲、シャンソンとそれぞれに得意分野をお持ちで、まるで、イタリアの地方ごとに特色ある乳製品、パンナやマスカルポーネやリコッタのように個性豊かな面々です。
そんな「カントアモーレ」では、個を抑えた従来の合唱曲は不似合で、曲選びは、いつも私の悩みのタネでした。
そこで、思いきってオペラの名曲「人知れぬ涙」に挑戦してみたのです。
原調は高過ぎるので移調し、歌詞もイタリア語から歌いやすい日本語に直しました。
実際にみんなで歌ってみると、とても美しく歌えました。
最近、新しいドルチェ「マリトッツオ」がブームのようです。
MritozzoとはMarito(マリート=夫)の俗語のことで、ローマ発祥の甘いパンです。
イタリアの「マリトッツオ」は、パンにパンナを挟んだだけのシンプルなものですが、日本では、抹茶パンナやイチゴパンナ、さらに冷やしマリトッツオまで登場し、アレンジ上手な日本の菓子職人たちの手によって本場をしのぐ広がりを見せています。
私もジャパニーズ・ドルチェを見習って、いろいろなオペラをアレンジし「カントアモーレ」の皆様と楽しみたいと思います。
2021年6月29日
大江利子
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