クーポラだより No.77~赤い靴とダブルピルエット~
アンデルセンの童話「赤い靴」は、主人公の女の子が自分の両足を切り落としてもらうまで、踊ることをやめられなかったお話です。
貧しい家の女の子カーレンは、お母さんのお葬式の日にお金持ちの年取った奥様に引き取られます。
奥様の家で、読み書きとお裁縫を習い、とてもきれいな娘に成長したカーレンは、堅信礼(大人になる儀式)に合わせて、町の靴屋で新しい靴を新調することになりました。
町の靴屋には、お姫様が履くようなきれいな靴があり、その靴は伯爵のお子様のために
縫ったものですが、お子様の足の寸法に合わなかったので、そのまま靴屋にありました。
そのきれいな靴はカーレンの足の寸法にぴったりだったので、買うことになりました。
靴は堅信礼にはふさわしくない赤色でしたが、年取った奥様は目が悪くて靴の色まで気がつかなかったのです。
カーレンは自分の赤い靴が嬉しくて、周りの注意も聞かずに、堅信礼に履いていきました。
堅信礼だけでなく、奥様が病気になっても、恩人である奥様の看病をせずに、カーレンは赤い靴を履いて町のダンスパーティーに出かけました。
すると、カーレンがダンスをやめたくても、赤い靴が勝手に踊りつづけます。
赤い靴を脱ごうにも、足にぴったりくっついて離れずに、カーレンは何日も踊りつづけ、その間に奥様は亡くなってしまいました。
奥様のお葬式の行列の横をカーレンは踊りながら通りぬけ、町をでて、畑にでて、荒野の一軒家に住む首切り役人のところまできました。カーレンは首切り役人に罪を懺悔し、彼のよく切れる斧で、赤い靴ごと両足を切ってもらい、ようやく踊りから解放されました。
なんとも衝撃的な展開ですが、義足になったカーレンは、以後、改心して質素で敬虔な日々を送ったのち、死後、彼女の魂は神の国へ迎えられるという結末です。
踊りのために恩をわすれた娘を戒めるために、ずいぶんと残虐なお仕置きをしたアンデルセンです。
この宗教色の濃い童話「赤い靴」は、1845年に発表されましたが、当時、アンデルセンの国デンマークでは、きれいな女の子がきれいな赤い靴をはいて、家事も何もかも、おろそかにして踊りつづけて、社会的に困ったことでもあったのでしょうか?
1845年、デンマークの隣国ドイツでは、作曲家ワーグナーが、快楽の女神ビーナスの色香に惑わされた騎士が、清純な乙女によって救われるというオペラ「タンホイザー」を発表します。
同年、フランスでは、悪女に惑わされて真面目な男が転落していくビゼーの傑作オペラ「カルメン」のもとになった小説をメリメが発表します。
日本でも、1841年、風俗壊乱の理由で、娘義太夫36人が手鎖となり、三味線を没収されます。1842年、歌舞伎興行は江戸・京都・大阪以外は禁止、つまり、東西の洋を問わずに、社会に影響を与えるほど公の場で歌舞音曲する女性の姿が、目立ってきたということでしょうか?
説法的な童話「赤い靴」の発表から約100年後の1948年に、アンデルセンの意図とは裏腹に、少女たちのダンス熱をあおるような美しいバレエ映画「赤い靴」がイギリスで作られました。
1943年サドラーズ・ウェールズバレエに入団し、「眠れる森の美女」の主役を踊って脚光を浴びていたフランス人形のような容姿のモイラ・シアラーは、映画「赤い靴」で銀幕デビューします。彼女が「赤い靴」の中で披露した正統なバレエテクニックは、世界中の少女たちを魅了しました。
モイラの踊った「赤い靴」から42年後、1985年、ミュージカル舞台のバックダンサーのオーディションを映画化した「コーラスライン」が作られました。
大勢の応募者から最終選考まで残った17人、それぞれの踊りは甲乙つけがたく、審査員である演出家は、どうしてダンスを始めたかを質問します。すると女性ダンサーのほとんどが「赤い靴」を見たからだと、夢見るように答えます。
ユーチューブなどなかった時代、映画館の大きなスクリーンで少女たちが見た、モイラのトウシューズでの軽やかなステップは、さぞや衝撃的だったことでしょう。
そして、「赤い靴」に憧れて、バレエレッスンを始めた人なら誰でも、モイラのように軽々とトウシューズで躍ることが、いかに困難なことかも思い知ったことでしょう。
なぜなら、少女の頃に見た「赤い靴」に憧れて、バレエを始めたと告白した、映画コーラスラインの女性ダンサーたちが今受けているオーディションはトウシューズで躍るバレエではなく、踵のある靴で踊るミュージカルなのですから。
トウシューズで踊るテクニックを身につけるには、憧れだけでレッスンを始めても無理です。
股関節が柔くて、180°開脚できるだけでは到底足りません。身体中のすべての筋肉をバレエ用に変えることが不可欠です。
正しい知識と基礎訓練を何年間も毎日積み上げてこそ、初めて、トウシューズでの軽やかな回転技やステップが我が物となるのです。
この基礎は、幼少期からバレエを始めないと、身につかないとされ、いくらバレエに憧れても、成人女性には、町のバレエ教室でさえも門戸が開かれていませんでした。
しかし近年、スポーツ科学が発達してきたおかげで、ヨガ、ピラティスなどと並行し、身体の筋肉をバレエ向きに少しずつ改善しながら、大人からスタートしても正統なバレエテクニックに近づけるという考えや実践している人が増えてきました。
33歳でバレエを始めた私もそのひとりです。
いつかモイラのように踊りたいとバレエ向きの身体改造へ挑戦する毎日です。
今、私が重点的に取り組んでいるのは背中の柔軟性をアップし、回転技の難易度を上げることです。
背中の柔軟性に効果的なのは、ブリッジですが、私は肘でブリッジすることにチャレンジし、一年間かけて、ようやくできるようになりました。
そして肘ブリッジの効果を試そうと、先日、久しぶりにトウシューズで回転してみたら、2回転が難なく成功しました。
バレエでは回転のことをピルエットと呼びます。
駒のように、クルクルとダブルピルエットができたときの嬉しさは格別です。
還暦近い私がどんなにバレエに打ち込んでも、今やとがめる人もなく、カーレンのように両足をきられる心配もありません。
むしろ、歓迎してくれる生徒さんが私の元にやってきます。
私よりも10歳以上遅く40代後半からバレエを始めた彼女は、私に言いました。
「以前はバレエを見るだけで楽しかったけれど、いったん、バレエのレッスンを始めたら、もう見るだけでは我慢できない。」と。
バレエを踊る喜びを知ってしまった彼女はカーレンのようです。
そんな彼女にダブルピルエット成功を話したら、目を輝かせながら言いました。
「100歳になってもバレエを踊りたい。」100歳まで踊りたい彼女の師匠である私は、自分の身体改造がもはや必須課題ですが、私には強い味方現れました。
コロナの影響か、ユーチューブではプロのバレリーナが競って秘蔵のトレーニング方法を公開しています。
アンデルセンが今の世の中のバレエを知ったらさぞ、驚くことでしょう。
2021年7月29日
大江利子
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