クーポラだより No.75~ガンピの花と45年ぶりの操山登山~


一作年より、この季節、近隣の山へ行って「花をつけたガンピを見つける」ことが私の大きな楽しみになっています。



ガンピの花は、花弁がなく、とても地味な花ですが、葉っぱの間にクリーム色のガクがついているさまは、とても愛らしいです。



「花をつけたガンピを見つける」とは、可笑しな表現ですが、花が咲かない季節のガンピは、特徴がなく、葉っぱだけだと、他の山の植物と見分けることがとても難しいのです。



ガンピは和紙(雁皮紙)の材料になる植物ですが、私は、あるきっかけで、手漉き雁皮紙の美しさと優れた性質に魅了されて、その原料であるガンピの花を見たくなりました。



まずは、インターネットや本で、西日本の山にガンピが自生していることを突き止めたのですが、どこの山に行けば、ガンピに出会えるのか、まったくわかりません。



山野草に詳しい方々に尋ねても、地味なガンピの花は、人気がないようで、自生している場所を特定できる人はいません。



わからないとなれば、ますます見たくなる私は、日本各地の手漉き雁皮紙職人さんをオートバイで訪問し、ついにガンピ採取職人さんまでたどり着き、その職人さんからガンピの自生している山とガンピの見分け方を教えていただきました。



驚くことに、職人さんが案内してくれた山は、岡山県総社市の山「鬼ノ城」で

した。



鬼ノ城は、私の自宅から北へ約30キロの場所です。



自生ガンピを求めて、日本各地をオートバイで走り回った私は拍子抜けでした。



そして、もっと拍子抜けしたのは、私はガンピが幻の植物のように希少な植物だと信じこんでいたのですが、岡山の山には、いくらでも生えているよと、職人さんから教えていただいたことです。


私がガンピを幻の植物だと信じていたのには、理由があります。



和紙は、昔からその材料によって、楮紙、三椏紙、雁皮紙の3種類ありますが、その中でも雁皮紙は、「和紙の王」と呼ばれる存在です。



平安時代に和歌の隆盛とともに雁皮紙は発達し、最澄が遣唐使として中国へ渡る時に、日本の土産として持参したのも雁皮紙でした。



その後も、日本の和紙文化の最高の存在でしたが、楮や三椏と異なり栽培が難しいので、乱獲によって、自生ガンピが減ってしまった、という記述をいくつもの本で見つけたからです。


ですから、私は、いったん絶滅したコウノトリのように自生ガンピも乱獲によって絶滅寸前だと思っていたのです。



けれども、ガンピはその存在が希少なのではなく、雁皮紙の役割が減ったために、単に、たくさん採取する必要がなくなっただけでした。



1970年代頃まで、戸籍など、長く保管しなければならない大切な文書には、必ず雁皮紙が使用され、当然、材料のガンピ採取もさかんでした。



一般家庭の女性や子供が山へ入ってガンピを採取し、お小遣い稼ぎにするほどでした。



つまり、当時は誰でも山でガンピを見分けられていたわけです。



しかし、その後、洋紙に追いやられて、雁皮紙の需要は激減し、ガンピ採取の必要もなくなり、いつしか誰もガンピが見分けられなくなってしまったのです。



私が訪問した手漉き雁皮紙の里は、福井県、石川県、滋賀県、兵庫県、高知県でした。



どの県の職人さんも見事な雁皮紙を漉いておられました。



遣唐使のお土産になったほど優れた和紙である雁皮紙の手漉き技術も、平安時代から脈々と受け継がれ、原料のガンピもたくさん自生しているのに、需要だけが見いだせないとは、とても寂しく思います。



せめて、私だけでも、ガンピを正確に見分けられる岡山県人でありたいと、ガンピの花が咲くこの季節、休日のたびに、あちこち出掛けているわけです。



先週は玉野市深山公園で満開のガンピの花をみました。



今週は岡山市の操山へ45年ぶりに登ってみました。



この操山は私が通った宇野小学校のすぐ近くで、毎年、小学校の春の遠足はいつも操山でしたから、私にとって小6以来、つまり45年ぶりの登山でした。



操山の登山口はいくつかありますが、私の思い出の登山口は安住院をとおっていくルートです。

安住院は奈良時代の僧、報恩大師が創建したと伝えられる寺院です。



地元の人は「赤門」と呼ぶ、鎌倉時代に建てられた素晴らしい木造建築の安住院の仁王門を過ぎて、多宝塔へ進み、その奥から、操山へ入ります。



落ち葉でふかふかした道と緑のトンネルは昔のままでした。



頂上までは行かずに、昔と同じように見晴らしのよい三勲神社跡地の大きな石の上に登って岡山市街地を一望してきました。



肝心のガンピの花は、時期が遅すぎて終わっていましたが、花がなくても見分けられました。



ヤマツツジの花が咲く日当たりの良い場所にガンピが生えていました。



ガンピを見ていると、日本のいろいろな伝統技術の象徴のように思えます。



どんなに素晴らしい技術もいったん失われてしまったら、取り戻すのは難しいものです。



ガンピを見分けるだけでなく、もっと何か私にできることはないかなと思った操山登山の一日でした。



2021年5月29日

大江利子

クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

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