No.5~初めてのピアノ伴奏~

 ほとんどの学校の、

音楽室には、
ピアノがあります。


私が通った、

小学校の音楽室にも、

古いグランドピアノが、

ありました。


五線が書かれた、

黒板の前に、

ピアノは、

置かれていました。


ピアノの床は、

他より高くなっていて、

ちょっとした、

ステージのようでした。


音楽室には、

ピアノの他にも、

様々な楽器が、

ありました。


木琴、鉄琴、

大太鼓、小太鼓、

アコーディオンなど、


子供たちが、

すぐに音を出せるように、

専用のバチも、

置いてありました。


音楽室で、

授業がある時は、

皆、早めに行って、


それらの楽器の音を、

出して、

楽しんでいました。


けれど、ピアノには、、

誰も触ろうと、

しませんでした。


先生に、禁止されていた、

わけではなく、


ピアノには、

近寄りがたい、

雰囲気が、

あったからです。


ピアノを弾く、

技術も、曲も、

知らないのに、


遊び半分で、

鍵盤をたたいては、

いけない、


そんな暗黙の、

ルールが、

でき上がっていました。


また、ピアノ自身が、

「私の蓋を開け、

鍵盤に、

触るのならば、

何か曲を弾いてね。」と、

言っているようでした。


ある時、

音楽室から、


まるで、

プロの演奏家が、

弾いているような、


よどみない、

流れるような、


ピアノの音色が、

聞こえてきました。


急いで、

音楽室へ、

行ってみると、


長いおさげの、

愛らしい、

小柄な女の子が、


軽々と、

ピアノを

弾いていました。


彼女は、

転校生でした。


私の同級生にも、

ピアノを習っていて、


得意そうに、

お稽古中の曲を、


教室のオルガンで、

披露してくれる子は、

いましたが、


彼女のほどの、

腕前は、


持ち合わせて、

いませんでした。


その件いらい、

ますます、


音楽室の、

ピアノの敷居は、

高くなってしまいました。


けれども、

小学校の、

各教室に、

置かれたオルガンは、


子供たちの、

人気者でした。


人差し指一本で、

旋律しか、

弾けなくとも、


気おくれは、

感じられませんでした。


足元の、

ふたつのペダルを、

交互に踏んで、


空気をオルガンに、

送りこむと、


ハーモニカのような、

優しい音色を、

だしてくれました。


ピアノをまだ、

習っていなかった私も、


休み時間になると、

自己流で、


「エリーゼのために」などの、

名曲の冒頭だけ、を、弾いては、


悦に入って、

おりました。


私の六年生の、

担任の先生は、

ベテランの、

女性の先生でした。


美術以外は、

すべての教科を、

担任の先生から、

教えていただきました。


その先生は、

歌でクラスを、

まとめておられました。


朝の会、

帰りの会、

遠足のバスの、

行き帰り、


参観日に来られた、

お母様方と、

歌のしりとり合戦など、


クラスのみんなと、

一緒によく、

歌いました。


小学校には、

学習発表会と称し、


文化的な出し物を、

クラス別に、


体育館のステージで、

発表する行事が、

ありますが、


私が六年生の時は、

修学旅行の思い出を、


創作で、

歌と朗読付きの、

合奏を、


クラスで、

発表することに、

なりました。


みんなで、

アイデアを出し、


誰が、

何の楽器をするのか、

役割分担の、

段階にきたとき、


私は、

こっそり、

担任の先生のところへ、

相談に、

いったのです。


ピアノを、

習ったことはないけれども、


学習発表会では、

ピアノを、

弾きたいのです、と。


担任の先生は、

私の心の中の、

ピアノに対する、

憧れを、


察知して、

おいででした。


「わかりました、

では、としこちゃんが、

弾けるような、

楽譜にしましょう。」と、


おっしゃって、

私の眼の前で、

楽譜を、

作ってくださいました。


早速、

私は、

休み時間には、

音楽室へ行き、


ピアノを、

触るように、

なりました。


学習発表会で、

私は、

ピアノの伴奏を、

受け持つのだから、


という、

大義名分で、

自分を納得させ、


気おくれすることなく、


学校の、

グランドピアノの鍵盤を、

たたき、


六年生の学習発表会で、

生まれて初めて、


人前で、

ピアノを、

弾いたのです。


今、思い出しても、

幸せな、

六年生を、

過ごしました。


音楽で、

クラスのみんなと、

絆が、

つながっていたのですから。


音楽大学を、

卒業して、


中学校の音楽教師として、

子供たちの前に、

立ったとき、


私は、

教え子たちにも、


音楽で、

人とつながる幸せを、

感じてもらいたくて、

なりませんでした。


初任校は、

全校生徒が、

千人近くの、

大規模校で、


なかなか、

行き届いた指導が、

かないませんでした。


次に、赴任した、

中学校は、

理想的でした。


一学年、

三クラス、


私は、

全学年の、

生徒全員の声を、

ひとりひとり聞いて、

声域を把握し、


読譜力の強化を行い、


校内合唱コンクールを、

行事に、

入れてもらいました。


そして、

近隣の小学校から、

使わないオルガンを、

譲ってもらって、


生徒同士で、

歌の練習が、

できるように、


各教室に、

そのオルガンを、

置きました。


素直で、

純朴な生徒たちは、

よく歌ってくれ、


私もやりがいのある、

日々でした。


しかし、オルガンを、

教室に置いたことに、

一番反応し、


喜んで弾いていたのは、


当時は、

私の同僚だった、

夫だったのです。    


~つづく~  


(完33歳、利子30歳)

  




クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

0コメント

  • 1000 / 1000