No.4 ~東敦子(あずまあつこ)氏の野外コンサート~

 昨今、

個人の才能ひとつで、

世界を舞台に、

活躍する日本人が、

大勢おります。


 テニスの錦織圭選手、

建築家の安藤忠雄、

バレエダンサーの熊川哲也、

など枚挙に、

いとまがありません。 


クラッシック音楽の世界でも、

指揮者の小澤征爾、

ピアニストの内田光子、 

バイオリニストの五嶋みどり…と、

世界の至宝に、

値する日本人がおります。


 けれど、オペラ歌手は、

といいますと、いかがでしょう? 


もちろん国内では、

素晴らしい方々が、

大勢いらっしゃいます。


 けれど、他の楽器と比べると、

未発達な感が、

否めないのは、

私だけでしょうか?


 しかし、私の中で、

ただひとり、

別格の存在の方が、

おられます。 


それは、ソプラノ歌手の、

東敦子氏です。


 彼女は大学を卒業後、

イタリアへ渡り、

世界の歌劇場で、

オペラの主役を 、

18年間も、

歌ったのでした。 


とりわけ、

彼女の「蝶々夫人」は、

有名で、このオペラの、

主役の蝶々さんを、

500回以上、

歌ったのです。 


1978年に、

帰国され、

その後は、

後進育成に、

力を注がれたのです。


 その世界のプリマドンナ、

東敦子の「無料コンサート」の、

お知らせを見つけたのは、

私が大学3年生のときでした。 


「大学を卒業したら、

岡山に帰り就職する」、

という条件で、

私は、音楽大学に、

通わせてもらっておりました。


 ですから、私は、

東京に居る間に、

出来る限り、

生の良い演奏を、

聞いておきたいと思い、


クラッシック音楽愛好家の、

バイブル雑誌「音楽の友」の、

演奏会のお知らせは、


毎月欠かさず、

点検していたのです。


 しかし、世界の著名な、

演奏家のチケットは高額で、

月に一度か二度しか、

行くことができませんでした。


 それなのに、あの、

世界の東敦子が、

無料で聞けるだなんて、


これは行かねば、

 なんとしてでも、

行かねばならない、

と思いました。


 コンサートは、

1984年の4月29日、

午後2時からでした。


 会場は、

「つくし野駅前広場」

とありました。


 私は、またもや、

驚きました。 


最近では、

クラッシック音楽でも、

野外コンサートは、

珍しくありませんが、


当時、会場が、

「駅前広場」だなんて、

とても、

斬新だったのです。


 しかも、「町田フィルハーモニー」

と記載があり、

生のオーケストラが、

伴奏するようです。


「雨が降ったら、

どうなるのかしら」


あれこれ想像し、


期待に、胸を膨らませ、


私は、何度も何度も、

電車を乗り継いで、


ひとりで、

春の野外コンサートに、

むかいました。


 当時、私が住んでいたのは、

東京といっても、

東大和市で,

埼玉県の近くです。 


会場のつくし野駅は、

町田市で、

東京といっても、


お隣はもう、

神奈川県です。


 東京生活三年目、


つくし野駅は、

初めて降り立った、

駅でした。


 私はいつも、

西武新宿線を、

利用しておりました。 


その沿線の、街並みは、

商店街が、駅前からのびて、

下町風でした。


 しかし、

つくし野駅に、

向かう小田急線沿線の、

風景は違っておりました。


 きちんと、

区画整備された住宅地に、

ハイカラな家々が、

並んでいます。 


各駅前には、

レンガ敷きの、

広場が広がり、


同じ東京とは、

思えませんでした。 


目的のつくし野駅に到着し、

またもや驚きました。


 特設のステージが、

設営され、


そのステージの前に、

オーケストラピットさながら 、

パイプ椅子が並べられ、


正装した、

町田フィルハーモニーの、

団員たちが、


楽器を手に、

座っています。


それに観客も、

すごい数です。


 一曲目は、

ロッシーニの、

セビリアの理髪師の序曲。


お天気の良い、

春のうららかな、

陽気にぴったりの、

楽しい曲です。


次は男性歌手の独唱で、

「酔っぱらいの歌」

と、 観客に退屈を、

感じさせない、


見事な、プログラムが、

すすみます。 


そして、その日、

その午後、


観客の誰もが、

待ち望んだ、


東敦子氏の、

蝶々さんの歌、


「ある晴れた日に」

の番となりました。


 彼女が舞台に現れた時、

皆、「おおっ!」と声をあげ、

大拍手です。 


なぜなら前半の彼女は、

「からたちの花」、

を歌いましたが、


その時は、

白い留袖姿でした。


 けれど、今度は、

日本髪のかつらをつけ、


黒い着物を、

芸者姿で、


おひきずりに、

着こなしていました。


 着物の裾裁きも、

見事に、


舞台に現れた姿は、

歌い始める前から、


既に、可憐な、

蝶々さんでした。


彼女の歌声も、

もちろん、

素晴らしかったのですが、


なにより、

印象的だったのは、


彼女の

黒いキラキラ輝く、

大きな瞳でした。


 たくさんの人の後ろで、

遠目に演奏会を、

楽しんでいる私にも、

はっきりとわかるくらい、


彼女の瞳の輝きは、

素晴らしかったのです。


 彼女の存在感もまた、

圧倒的でした。


 けれどもその力は、

きっと、観客、

皆に、音楽を、

オペラを楽しんでもらいたい、

という純粋で、

透明な精神性から、

わきでるものだろうな、

と思いました。


 演奏も、衣装も、

いっさい妥協せず、

野外で、

無料だなんて、


素晴らしい人だなと、


私は彼女の、

人間性に、

感動しました。




 その日から8年後、

 私は、

イタリア大使館の一室で、

東敦子氏の前で、

歌っていました。


 彼女は、

イタリア政府給費生の、

実技試験官として、

座っていたのです。


 8年前と同じ、

あの、大きな瞳で、

私を真剣に、

見つめておられます。


 一般に、

試験の雰囲気は、

冷たく、

よそよそしいものですが、


その日は、

なぜか私は、

そんな印象は、

うけませんでした。


 彼女の人柄の、

せいでしょうか? 


「さあ、歌ってごらんなさい、

あなたらしくね。」と、

彼女の大きな瞳が、

語りかけるようでした。


 いつになく、

力まず、

私らしく歌えたのは、

東敦子氏の

おかげでしょうか? 


それとも、


岡山で、


一生懸命に、

試験の合格を、

祈ってくれていた、

 夫のおかげでしょうか?


 ~つづく~ 

2015年6月29日

 大江利子  

クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

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