No.3 私のイタリア語の先生

~天野 恵・マリア・ローザ夫妻との出会い~  


イタリアへ、
奨学金で行こうとすると、
いろいろな条件が、
あります。


 まず、
一番大切なのは、
語学能力です。 


そうです、


留学先で、
語学に、
不自由しないことを、


試験で、
証明せねばならないのです。 

  
学生時代、
ドイツ語を、
選択していた私には、


イタリア語を、
学んだ経験は、
無く、


Andante(アンダンテ)や、
Tempo(テンポ)などの、
音楽用語が、
わかる程度でした。


 27年前(1988年)は、
まだ、


イタリアという国が、
現在のように、
身近では、
ありませんでした。

 
「パスタ」という言葉も、
使われず、


洋風の麺は、
すべて、
「スパゲッティ」でした。


 サッカーの中田選手の活躍も、


トリノ・オリンピックで、
金メダルを取った、
荒川選手のことも、


ずっと後のことです。

  
「イタリア語を独学しよう!」


と思い、岡山で、
一番大きな本屋さんに、
行ましたが、


観光用の、
旅行会話の本ばかりで、


相応しい本は、
見つかりませんでした。


 基礎英語で、
お馴染みの、
NHKのラジオ語学講座は、


スペイン語は、
開設されているのに、


イタリア語は、
何年も、
中断されたままでした。


 きっと、
需要が少なく、
リスナーがいないので、
閉講したのだと思います。


 どこかに、
イタリア語を、
教えてくれる人は、
いないかしら?


 誰に、尋ねても、


「知らない、見当もつかない。」
という返事が、
返ってくるばかりです。

 
 不毛な環境だと、
絶望していた私に、


救いの手が、
差し伸べられました。


 私の職場に、
異色の先生が、
おられました。


 その先生は、
臨時に、美術を、
教えに来られていた、
若手の彫刻家でした。


 彼の知人に、


イタリア語の勉強を、
始めた人がいると、
言うのです。


 早速、私は、
お仲間に、
入れてもらいました。


 イタリア語を、
教えてくださる先生は、
天野恵(あまのけい)、
とおっしゃる男の先生です。 

天野先生は、
京都の方です。


京都の大学を、
卒業後、
イタリア政府給費生として、
渡伊され、


岡山の大学で、
教鞭を、
とられていたのです。


 奥様は、
イタリアの方です。


マリア・ローザさん、
とおっしゃる、
笑顔の素敵な方です。

 
 おふたりの間には、
天使のような、
双子のお嬢さんが、
おられました。 



 イタリア語のレッスンは、


いつも、
天野先生の、
ご自宅でした。


 レッスンの途中で、


マリア・ローザ奥様の、
入れてくださるコーヒーが、
なんと美味しかったことか!


当時(1990年頃)、


エスプレッソも、


カプチーノも、


日本では、
一般に、
普及していませんでした。


 深入りで、
香りは高いのに、
酸味は、控えめの、
イタリア式のコーヒーが、
楽しみでなりませんでした。 


 天野先生の、
ご自宅のインテリアも、
素敵でした。


 机、椅子、照明や食器に、
いたるまで、
私にとって、
新鮮でした。


 マリア・ローザ奥様が、
しつらえた、
室内のインテリアは、


日本では、
ありませんでした。


 天野先生の、
ご自宅の玄関の、
ドアを開けると、


金髪で、茶色の瞳の、
お嬢さんが、
迎えてくださり、


まるで、
イタリアへ、
やってきた気分でした。


 しかし、
目的のイタリア語は、
なかなか、
厄介でした。


 ラテン語起源の言語、
であるがゆえに、


動詞の活用が、
やたらと多いのです。


 イタリア語の、

習得労力の8割は、


動詞の活用を、
覚えることに、
費やします。


 一年かけて、
ひととおり、
文法を習い終え、


今度は、
マリア・ローザ奥様から、
個人的に、


会話の特訓を、
受けました。


 マリア・ローザ奥様は、
ロミオとジュリエットの、
舞台で、有名な、
ヴェローナ出身の方で、


独身時代は、
イタリアの、小学校の先生を、
されていました。


 私も、
現役の中学校の、
教師でしたから、
話題も、
つきませんでした。


 イタリアと、

日本の学校制度の違いや、

夫婦の価値観の違い、


奥様とのお話は、
新鮮で、
興味深いことばかりでした。


 今、振り返ると、
私は、なんて、
幸運に、
恵まれていたのだろうと、
おもいます。


 なぜなら、その後、
天野先生は、
京都の大学に、
変わられ、


岡山に、
住んでおられたのは、
数年間だけ、
だったからです。


 そして、
もうひとつ、
私にとっては、
幸運なことが、
ありました。


 長い間、
中断されていた、
NHKの、
ラジオイタリア語講座が、
復活することになり、


なんと、
その講師を、
一年間、
天野ご夫妻が、
担当することに、
なったのです。


 天野夫妻は、
イタリアの文化や、
風習を、
読み物として、
ただ読んでも楽しく、


文法も、
まんべんなく、
織り交ぜて、


とても、
手の込んだテキストと、
練習問題を、
作られました。


 天野先生が、
作られた、
練習問題は、


ご自身の家庭の、
話題が登場し、


内情を知っている、
私には、
ほほえましく、
思ったものでした。


 今でも、
そのテキストは、
私の宝物です。


 こうして、
私は、岡山で、
現役の中学校の教師を、
しながら、


奨学生試験の、
準備を、
進めることが、
できたのです。 

もし、天野ご夫妻と、
出会わなければ、


いえ、彫刻家の先生が、
私の職場に、
いなかったら、


私はイタリアには、
行けて、
いなかったことでしょう。


 ~つづく~


 2015年5月29日 

大江利子  


クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

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