No.2 クーポラのネーミングの理由


 前回、

レナータ・スコットの、

リサイタルで、

彼女の発声に、

感銘を覚えたことを、

述べました。


 


今回は、

私がなぜ、

イタリアへ、

行ったのかを、

少し、お話します。




 幼い頃から、

私は、

喘息もちでした。




 季節が、変わるたびに、

よく、風邪をひき、

夜中に、

発作を起こしました。




 気道が詰まり、

空気の中で、

溺れているようでした。




 呼吸が思うように、

出来ない息苦しさで、

このまま死ぬのでは、

と、何度も思いました。




 肺の奥の方から、

ヒューヒュー、

ゼ―ゼ―、と、

奇妙な音がして、

激しい咳が出て、

胸の筋肉が、

痛くなりました。




 しかし、

そんなにも、

激しい発作を、

繰り返しながらも、

私の声帯は、

無事でした。 




発作がおさまり、

元気になると、

学校の音楽の時間で、

喜々として、

歌いました。 




全校集会で、

校歌斉唱の時、

周囲の皆は、

恥ずかしくて、

小さな声で歌うのに、



私だけがひとり、

嬉しそうに、

大きな声で、

歌っている、

そんな子供でした。 




しかし、

私は、

自分の声に、

ひとつ、

不満がありました。



 音程が外れることもなく、

濁ることもない、

声だけれど、

音域が、

極端に狭いのです。 



「ド・ㇾ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド」

と下から順番に、

高い音へ上っていくと、



上の「ド」を、

超えた辺りから、

声が詰まって、

やせた音色に、

なるのです。 



曲の中の、

クライマックス部分、

いわゆる、

「サビ」の部分には、

高い音を、

使います。 



私の歌は、

曲の「サビ」、

の部分になると、


声がやせてしまい、

響きが、

薄くなりました。


 なぜなのか、

自分でも、

よくわからず、

いろいろ、

試してみましたが、

わかりませんでした。



 男の子たちが、

裏声(ファルセット)を、

出しますが、


あの声は、

「逃げた声」だな、

と思いました。


 私は、

低音や、中音の、

豊かな響きのまま、


高音も、

歌いたかったのです。



 解決策が、

わからないまま、

私は、

音楽大学を、

卒業しました。



音量はあるけれど、

音域がない、


その不満を、

抱えたまま、


私は、

歌の勉強を、

続けました。


 公立中学の、

音楽教師をしながら、


私は、

大学時代に、

習っていた、


バリトンの、

鈴木先生のところへ、


東京まで、

通っていました。


 鈴木先生は、

ウィーンで、

声楽を、

勉強された方です。



 先生のお声は、


ドイツの名歌手、

ヘルマン・プライ、

を思わせるような、


甘い音色で、


知性的な、

曲の解釈を、

声で表現出来る、


素晴らしい、

バリトン歌手です。


 私は、

大学時代、

鈴木先生のもとで、


たくさんの、

ドイツ歌曲を、

学びました。 


大学卒業後も、

わざわざ、

岡山から、

東京まで、


レッスンに、

通ってくる私に、


 ある時、

鈴木先生は、

こう言いました。 


「地元で、

女性の先生を、

見つけなさい。」と。


 こうして、

私は、

師を、

変えることに、

なったのです。


 私の新しい、

女性の先生は、


イタリアで、

声楽を、

勉強された方です。


女性の先生は、

最初のレッスンで、

私の歌声を聞くと、

こう言いました。 


「自己流の、

くせをとるために、

まず、

ハミングだけ、

をしましょう。」と。


 え、ハミングだけ?


と、心の中で、

私は、

その言葉を、

反芻(はんすう)し、

驚きました。


 「ハミング」とは、


口を、

ほとんど開けずに、


鼻の付け根の骨に、


声を響かせる、


声の、

準備運動です。


 合唱団などで、

発声練習のために、

「ハミング」を、

取り入れている、

ところはあります。


 しかし、

「ハミング」そのものに、

こだわって、

練習するなんて、

考えても、

みませんでした。 


「ハミング」の他にも、

女性の先生は、

声のための、

訓練を、

私に、

施してくれました。


 一年もすると、

私の声に、

大きな、

変化が起き、


楽々と、

高音まで、

出せるように、

なったのです。


 いったい、

女性の先生は、

誰から、


こんな、

斬新な、

訓練を、

学ばれたのでしょうか? 


それは、

女性の先生が、

イタリア留学時代に、

出会われた、

カヴァッリ先生から、

学ばれたものでした。  


カヴァッリ先生は、

オペラの殿堂の、

ミラノ・スカラ座で、

プリマドンナとして、

活躍された、

名ソプラノ歌手です。


 私は、

何としてでも、

直接に、

カヴァッリ先生の、

レッスンを、

受けたい!

と、強く思うように、

なりました。 


しかし、

私は、

現役の、

公立中学の、

教師です。


生活費を除いた、

残りのお給料は、

すべて、

歌のレッスン代に、

消えて、

貯金は、

ありませんでした。


 イタリアへ、

行くには、

奨学金を、

とるしか、

ありません。


 そんな幸運と、

実力が、

私に、

あるわけがない、

と、思いながらも、

2回目の、

チャレンジで、

イタリア政府が、

出してくれる、

奨学金を、

得ることが、

できたのです。


 私は、

30歳に、

なっていました。


 職場の中学校に、

無理を言って、

夏休み前に、

私は、退職し、

イタリアへ、

行きました。


 念願の、

カヴァッリ先生の、

レッスンを、

ようやく、

受けることが、

出来るように、

なったのに、

私の心は、

寂しさで、

いっぱいでした。


 去年、

(2015年)の1月に、

急死した、

夫と出会い、

お互いが、

なくてはならない、

存在なのだと、

気がついた、

ばかりだったからです。


  カヴァッリ先生の、

レッスンは、

科学的でした。 


顔の中の、

筋肉を、

動かす方向や、

舌の位置、

口の開け方、

良いお手本、

悪いお手本、を、

わかりやすく、

見せてくれました。


 そして、

自分の体の中の、

声が響く場所の、

イメージを、

持つことが、

大切だ、と、

おっしゃいました。


 カヴァッリ先生の、

口から、

よく「クーポラ」、

という言葉が、

出ました。


 クーポラとは、

ヨーロッパの教会に、

見られる、

玉ねぎのような、

屋根の部分の、

ことです。


 玉ねぎの内側は、

高く、

丸い天井に、

なっていて、

美しい天井画が、

描かれています。


 その下で、

音を出すと、

実によく、

響きます。


 人間の頭蓋骨も、

クーポラのように、

声を、

響かせることが、

できる、

だから、

オペラ歌手は、

それを利用して、

マイクなしで、

劇場の、

隅々まで、

響き渡る声を、

だせるのだ、

とカヴァッリ先生は、

おっしゃいました。

(カバッリ先生と大江利子1993年12月)


 1993年の、

クリスマスに、

夫は、

イタリアに、

やって来ました。


 カヴァッリ先生の、

レッスンを、

見学した夫は、

私に言いました。


 「いつか君が、

日本で、

歌を教える場所が、

出来たら、

“クーポラ”と、

名付けよう。」と。


 そして、

私のコンサートで、

お馴染みの、

クーポラマークを、

夫が、

デザインして、

くれたのです。

 

~つづく~

 2015年4月18日

 大江利子  

クーポラだより

幼い頃から、歌とピアノが大好き! ピアノを習いたくて、習いたくて.・・・。 念願かなって、ピアノを習い始めたのは、13歳。ピアノを猛練習し、 高校も大学も音楽科へ。就職も、学校の音楽の先生。夫、大江完との出会い。 イタリア留学。スカラ座の花形歌手、カヴァッリ先生の教え。33歳から始めたバレエ。 音楽が、もたらしてくれた、たくさんの出会いと、喜びを綴ったのが、クーポラだよりです。

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