クーポラだより No.74~guida CUCINA(グイーダ・クチーナ)と日本の主婦と初マルシェ~
イタリアの街角や広場にはEdicola(エディーコラ)と呼ばれる小さな売店があり、その構えは、売り子独りで対面販売をしている日本のキオスクに似ています。
キオスクは、新聞、雑誌、文庫本など、列車の待ち時間の退屈を埋める読み物や、お弁当やスナック菓子など小腹を満たす軽食までコンビニエンス的な要素をもつ売店ですが、イタリアのエディーコラは、似ているのはその外観だけで、扱う商品は読み物ばかり、要は新聞・雑誌の専門店です。
エディーコラには芸術的な写真で表紙を飾る多種多様な専門雑誌が所狭しと、陳列されています。
私が大好きな映画監督ナンニ・モレッティが、自作自演する「Aprile(アプリーレ)」には、エディーコラで扱う雑誌種類の豊富さと、店員のプロフェッショナルな対応が印象的なシーンがあります。
1995年、大金持ちで右派の政治家(ベルルスコーニ)が初当選しました。
イタリア社会が再びファシズムへ傾くのではと恐れを抱いたモレッティ監督は、この危惧を訴えるための真面目な映画製作が自らの義務と感じます。
けれど、本音は、長年温めてきた娯楽的なミュージカル映画を製作したいのです。
が、そこは自制し、監督は真面目な映画製作のために世論をリサーチしようとエディーコラへ行きます。
「Salve(サルベ)、Salute(サルーテ)、Come Stai(コメ・スターイ)・・・」と、詩を朗読するかのように、よどみなく雑誌の名前を監督が注文すると、エディーコラの店員も、うろたえることなく、無数に陳列された中から、素早く目的の雑誌を取り出します。
このシーンは47秒間ですが、なんと34種類もの雑誌と新聞を監督は手に入れます。
その後、それらは切り抜き記事の紙の山と化しますが、この山が、活かされるのか無駄になるのか、映画のラストに愉快な答えが隠されています。
日本人は新聞を毎朝家に配達してもらうのが一般的ですが、イタリア人は、モレッティ監督のように、自分で毎日エディーコラに買いに行きます。
1993年~1994年、私がイタリア留学していたミラノの街角のエディーコラでは、早朝に新聞を購入し、勤め先に向かうビジネスマンをよく見かけたものです。
私も、しばしばエディーコラを利用しましたが、私の目的は新聞ではなく、毎週末に発売される料理雑誌「guida CUCINA(グイーダ・クチーナ)」です。
グイーダはガイド、クチーナはキッチンを意味し、邦訳すれば「料理案内」です。
エディーコラには、他にも料理雑誌がたくさん売られていましたが、私がそれを選んだ理由は、3つ、コンパクトなA4版で、1500リラという安さ(当時の日本円で約100円)、月曜から日曜までの一週間分の日替わり献立が綺麗な写真付きでわかりやすく紹介されていることでした。
家賃節約のため、フランス人とイタリア人のふたりの独身女性とアパートをシェアしていた私は、台所を使用するにも遠慮がありましたが、お料理は大好きでしたので、グイーダ・クチーナを参考に、狭いイタリアの台所でイタリア料理に挑戦したものです。
イタリア料理は日本料理に比べると大雑把です。
日本料理だと、野菜の切り方から魚のさばき方まで、熟練の技が必要で、シンプルな煮物でさえも経験の浅い人には難しいものです。
しかし、イタリア料理は適当に食材を切ってソースで煮込みパスタに絡めて、パルミジャーノチーズをふりかければ、美味しい一皿の出来上がる単純明快な調理法で、大失敗の要素が少ないのです。
こんなことを書いたら、イタリア料理専門家に叱られそうですが、グイーダ・クチーナに紹介されていた庶民的なレシピは、特に簡単な調理法が多かったと思います。
イタリア留学を終えて帰国し、専業主婦となり、毎日、夫のために、本やテレビの料理番組を参考に美味しいものを追及していたある日、懐かしいグイーダ・クチーナのページをくりながら、日本の主婦とイタリアの主婦の大きな違いに私は気がつきました。
グイーダ・クチーナのレシピはイタリア料理ばかりですが、日本の料理雑誌は和食の他、中華、エスニック、イタリアン、フランス、韓国など、実に国際食豊かです。
つまりグイーダ・クチーナの読者であるイタリアの主婦たちは自国料理に忠実な保守派の料理人で、日本の主婦たちは、積極的に異国料理を取り入れる国際派の料理人だと、発見したのです。
そして、自分を振り返り、なんと視野の狭い勉強をしてきたのだろうと、反省しました。
憧れのイタリア、異国の地で朝から晩まで歌に専念して頃は、思いもしなかったことですが、私がこだわるオペラやクラシックの曲だけをコンサートで歌うことは、イタリア料理だけを毎日の献立に作り続けるようなものだと気がついたのです。
留学を終えて、主婦をしながら自分の弱点が見えてくるなんて面白いものです。
イタリアの主婦達が私のように偏狭だと断言するつもりはありません。ただ異国料理を上手く家庭料理にアレンジする日本の主婦たちの柔軟な姿勢を見習いたいものだと思ったのです。
しかし、どんな風に自分のコンサートに反映させるかは見当もつきませんでした。
私の大きな転換の引き金になったのは、やはり夫が天国へ旅立ったことです。
独りぼっちになった私に、激しい独立心が芽生え、コンサートでさえも伴奏者に左右されることなく、独りで歌いたいと思い始め、弾き語りを猛練習し、望みどおり独りでコンサートができるようになりました。
すると妙なことですが、クラシック音楽もオペラへのこだわりも消え、すべてのジャンルの音楽が並列となり、さらに、自分だけが歌って超絶技巧のひけらかしのようなコンサートをするよりも、私の伴奏を喜んでくださる方々と音楽をつくり合うことに生きがいを感じるようになったのです。
今月4月10日、第3回みんなの発表会を開催しました。
みんなの発表会のコンセプトは「老若男女誰でもみんな、お稽古をしているお好きなものを発表しましょう。」です。
今回のプログラムは、音楽と踊りが中心で、シャンソン、フォークソング、日本歌曲、オペラ、バレエと、バラエティー豊かで演奏レベルも高い、充実した会となりました。
私は独奏ピアノ以外の出演者全員の伴奏を受け持ちましたが、彼らの演奏曲は、彼ら自身の選曲です。
私独りだと、思い浮かばないような曲や未知の曲もあり、大変良い勉強になりました。
そして、発表会の会場で「マルシェ」も初開催し、こちらも大成功でした。マルシェとはフランス語で市場を意味し、日本の朝市のようなものです。
発表会当日は、出演者全員、半日以上同じ空間で過ごしますが、個別の楽屋もないので、知己の少ない人同士だと妙な気を遣い合います。
ですから、共通の話題で、楽しい待ち時間が過ごせたらいいなと、出演者の皆様に軽食の出品を依頼し、その出品物でマルシェを開こうと思いついたわけです。
「マルシェをするので、手作り料理、大募集」の呼びかけに、ベテラン主婦でもある出演者の皆様方から、炊き込みごはん、筑前煮、カップケーキ、シフォンケーキ、甘酒、おにぎり、卵焼き、などなど、優しく素朴な素晴らしい手料理が集まり、マルシェの商品は完売でした。
第4回みんなの発表会は今年の秋です。半年後の出演者の方々がどんな曲を選ぶのか、また次回のマルシェにはどんな品が並ぶのかとても楽しみです。
2021年4月29日
大江利子
0コメント