クーポラだより No.69~藤戸饅頭とバレエ「ナポリ」とゲーゼ~
倉敷市藤戸寺の前には、とても美味しい酒蒸し饅頭「藤戸饅頭」が売られています。
上品な甘味のこし餡を、甘酒を入れた小麦粉の薄皮で包み、蒸したお饅頭です。
藤戸饅頭は、岡山城下町の京橋で江戸時代から売られている大手饅頭によく似ていますが、
大手饅頭よりも小ぶりで、女性でもひと口で食べきれる大きさで、私は大好きです。
大手饅頭は岡山城主の池田公の茶会で愛でられたお饅頭ですが、藤戸饅頭の方は、
源平合戦「藤戸の戦い」で、命を落とした人の法要を藤戸寺で行ったときに、
振る舞われたお饅頭が始まりといわれています。
「藤戸の戦い」は平家物語の十巻に登場します。
一ノ谷の戦い(1184年3月20日)で敗れた平氏は西へと逃れ、当時は瀬戸内海に点在する島のひとつだった児島の琴浦付近に(現在は干拓よって半島)に陣を構えました。
瀬戸内海の制海権を握り、水軍を持っていた平氏は、天然の要塞である海に囲まれた児島の陣ですっかり安心し、水軍を持たない源氏が対岸の藤戸で手をこまねいているのを見て、小舟で近づき「源氏ここを渡せや(源氏ここを渡ってみろよ)」と扇で招いて挑発するほどでした。
現在の藤戸周辺は干拓により陸地になっていますが、「藤戸の戦い」が行われた当時(1184年10月7日)は、まだ海だったのです。
藤戸の源氏と児島の平氏の間を隔てる海は25町(約2.7キロ)ほどでした。
そこで、源氏の武将、佐々木盛綱は地元漁師から浅瀬を聞き出し、先陣をきって藤戸海峡を馬で渡り、油断していた平氏の不意をついて敗走させます。
武勲をあげた佐々木盛綱は、備前国児島一帯を受領しますが、漁師の若者は口封じのために、戦いの前に盛綱によって殺され打ち捨てられてしまいました。
それを知った若者の母は、盛綱をひどく恨み、佐々木盛綱の「ささ」と同じ音がつく笹は憎いと、自宅の裏山一体に生えていた笹をすべて引き抜き、笹無し山ができたほどでした。
この漁師の母の深い悲しみは、室町時代の申楽(さるがく=江戸時代以前の能楽のこと)師の世阿弥によってつくられた謡曲「藤戸」で今も語り継がれています。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人もひさしからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前のちりに同じ。
平家物語の冒頭一節は、誰しも皆、中学校で暗唱させられたことでしょう。
私も中学2年生の時に、暗誦の宿題が出て「ぎおんしょうじゃの~」と何度も口に出しながら覚えた記憶があります。
国語が大好きだった私は、「あり」や「ごとし」など古文の言い回しが、とても新鮮で、平家物語の冒頭をよどみなく暗誦できるようになるまで、楽しみながら練習したものです。
祇園精舎がどこにあるのか、沙羅双樹の花が実在するのかなど、平家物語に登場する固有名詞は、理解しづらいものばかりでしたが、簡素でリズミカルで歌のように流れる文章そのものに、とても魅力を感じたからです。
「映画も音楽も、簡素でわかりやすいものが名作である」と夫はしばしば申しておりましたが、同感です。
バレエにも高いジャンプや連続回転もない素朴な振り付けの作品があります。
デンマーク人のブルノンヴィルによって振り付けられた「ナポリ」です。
バレエ「ナポリ」の初演は1842年、日本では江戸時代、天保の改革が始まった頃で、
大手饅頭(1837年)と藤戸饅頭(1860年)が販売されはじめた幕末です。
「ナポリ」は、デンマーク王立バレエの振り付け師ブルノンヴィルが旅先のイタリアで得た着想をバレエ化したものです。
ナポリ湾の港町サンタルチアに住む、気立ての良いテレシーナと漁師のジェンナーロは恋仲です。
ある日、ふたりは港でボートに乗っていると突然、嵐に襲われて、テレシーナは行方不明になります。
テレシーナはカプリ島の洞窟に流れ着き、そこで海の王から愛されて、姿をニンフに変えられて、人間の記憶をなくしてしまいます。
けれども恋人を想うジェンナーロの真心と聖母マリアの救いによって、再びテレシーナは人間にもどり、めでたくふたりは結ばれます。
このチャーミングなストーリーをバレエのステップのなかでは、地味な部類のプチ・ジュッテ(小さく低いジャンプ)を中心に、身体の向きや腕の動きのアレンジをつけるだけで、ワクワクするような踊りになるようにブルノンヴィルは振り付けています。
ブルノンヴィルのステップはシンプルなのに味わい深く、飽きの来ない美しさは、まるで平家物語の文体や藤戸饅頭のようです。
バレエ「ナポリ」との出会いは、夫が買ってくれたレーザディスクです。
十数年前の夏、彼が嬉しそうに「珍しいバレエを見つけた!」と、自慢そうにディスクを取り出してふたりでいっしょに、初めて「ナポリ」を鑑賞し、ブルノンヴィルのステップの楽しさに夢中になりました。
おもしろいことに、バレエ「ナポリ」の振り付け師はブルノンヴィルひとりですが、
作曲は4人のデンマーク人、ヘルステッド、パウリ、ゲーゼ、ロンビの共作です。
それゆえ、よけいに「ナポリ」は、振り付けのブルノンヴィルばかりが印象的で作曲家たちのことは、ずっと関心がなかったのです。
しかし4人のうちのひとり、ゲーゼの音楽を先日、偶然に耳にする機会がありました。
大学時代の指揮研究会の先輩、新田ユリ氏は、プロの女性指揮者として活躍しておられますが、彼女が6年前から愛知県室内オーケストラの常任指揮者に就任され、そのオーケストラとともに日本ではまだ珍しい北欧音楽を公演し続けています。
愛知室内オーケストラは今月の定期演奏会でもゲーゼの交響曲を演奏することになっており、私は、オーケストラ・リハーサルを見学できるという幸運に恵まれて、大学以来の先輩のタクトを見つめていました。
すると、初めて聞く音楽なのに、なぜか耳懐かしい気がするので、こっそりとスマホで調べると、たった今、目の前で先輩が指揮しておられるゲーゼは、バレエ「ナポリ」のゲーゼだとわかり、あの夏の思い出とつながって、とても嬉しくなりました。
定期演奏会のリハーサルのあとは、先輩の指揮で愛知室内オーケストラの伴奏で椿姫を歌える夢のようなひとときでした。
私はオーケストラの皆様のお土産にと、藤戸饅頭を持参していました。
飾らない素朴な味のお饅頭を「美味しい、美味しい」と言って食べてくださる団員の方々を見つめながら、57歳まで椿姫を歌えるコンディションを保つため、毎日積み重ねてきた地味で孤独なお稽古の時間が、すべて昇華されたように思えて幸せでした。
2020年11月29日
大江利子
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